第6話 貸与パソコン
博樹の家は横浜にある。
港の見える丘公園のすぐ近く――夜になると、海風がビルの谷間を抜けて心地よい音を運んでくる。
そのビルの一室を、博樹と母・愛は借りて暮らしていた。
ビルのオーナーは、母の兄・井出彬。
伯父は二人を気にかけ、家賃を免除してくれている。
その優しさが、博樹の胸にいつも重く、そして温かく残っていた。
母は平凡な主婦だが、博樹を大学に通わせるため、昼はスーパー、夜は伯父の食堂で働き、毎日21時半まで働き詰めだった。
博樹も夜は食堂のホールを手伝う。
「マスター、のどぐろ定食三つ入りまーす」 「はいよー」
そんなやり取りが日常になっていた。
食堂は高級食材の定食が人気で、夜の忙しさは想像以上だ。
21時の閉店後、博樹は20階の自宅へ戻り、すぐにシャワーを浴びる。
店じまいの手伝いをしてから、疲れて帰ってくる 母がすぐに風呂に入れるよう、湯を沸かしておくのも毎日の習慣だった。
母と博樹の夕食は伯父が作ってくれるまかない飯で済ませてある。
博樹が通学用の黒いハードタイプのデイバッグを開けると――一台のノートパソコンが姿を見せた。
大学から貸与された高性能パソコン。
家庭の事情で研究室に長く残れない博樹のために、福島教授が大学に掛け合って特別に持ち出し許可を得てくれたものだ。
このパソコンでは、HEROのAIやシステムの制御プログラムの改良、新しいデバイス追加のためのプログラミングなどが行える。
ただし―― WEB接続は禁止だ。
SSD内部はすべて暗号化されており、仮に悪意ある第三者に渡っても起動すらできない。
起動には、博樹の肉声によるプロトコルが必要だった。
「私の夜は、貴方の昼間よりも美しい」
この一文だけは、どうしても気恥ずかしい。
だから、母が帰ってくる前に起動しておきたかった。
21時半頃、玄関の鍵が回り、母が帰ってきた。
「母さん、お風呂、温かくしてあるよ」
「いつもありがとう。さっそく入って、もう寝るわね」
博樹が5歳の頃、父・山田真が行方不明になってから、 母は一人で博樹を育ててきた。
その背中を見て育ったからこそ、博樹は母を支えたいと思っていた。
母が風呂に入っている間、博樹はノートパソコンでHEROの新しいデバイスのためのドライバープログラムを作成した。
一時間ほどで風呂から出てきた母は、疲れた表情で言った。
「今日は疲れたわ……博樹、おやすみ」
「お疲れ様、母さん。おやすみ」
母が寝室へ向かうと、博樹は作成したプログラムを ベータ式ビデオテープにバックアップした。
ベータ式――今では製造中止になった古い規格だが、 父の書斎には大量の生テープが残されていたらしく、引っ越しした時にもここに持ってきていた。
ビデオデッキももってきていたので、博樹はそれを改造して デイバッグに入る薄型の小型機器に仕上げていた。
バックアップを終えると、ノートパソコンをシャットダウンする。
「私の夜は、貴方の昼間よりも美しい」
その言葉を呟きながら、博樹は自分の寝室へ向かった。
そして、自分自身をシャットダウンするように、静かに目を閉じた。




