第7話 棚から一攫千金
「ビートコインって覚えてるか?」
ある日。
山田真が唐突に言った。
霧島蓮はコーヒーを吹きかけた。
「急になんだよ」
「いや、思い出した」
「俺は思い出したくない」
「なぜだ?」
「パスワード探しで三日潰れた」
二人は学生時代。
ブロックチェーン技術が話題になり始めた頃、半分遊びで暗号資産を購入していた。
動機は実に適当だった。
「面白そうだから」
それだけである。
ピザひと切れ程度の金額のコインを、失っても困らない小遣いの範囲で。
その程度の認識だった。
その後。
二人とも完全に忘れた。
数年後。
ニュースが騒ぎ始める。
価格高騰。
史上最高値更新。
投資家熱狂。
その頃になってようやく。
「あれ?」
と二人とも思い出したのである。
結果。
二人ともとんでもない資産家になった。
「普通は忘れないだろ」
霧島が言う。
真は平然としていた。
「いや、研究の方が面白かった」
「お前らしいな」
さらに腹が立つのは。
真が秘密鍵を完全に暗記していたことだった。
「なんで覚えてるんだよ」
「覚えていた」
「それだけ?」
「それだけ」
霧島はテーブルに突っ伏した。
この男には勝てない。
結局。
その資金があったからこそ。
五千機のドローン。
さらに予備五千機。
莫大な開発費。
全て賄うことができた。
宇宙粒体生物との戦い。
文字通り。
ピザ代が地球を救ったのである。
「それで」
蓮が聞いた。
「今度は何を始めるんだ?」
すると。
真の目が輝いた。
嫌な予感しかしない。
「ロボット研究所だ」
やっぱり。
「作るのか」
「作る」
「いくらかかる?」
「知らん」
「恐ろしい答えだな」
真は笑った。
「足りなくなったら借りる」
「誰から」
「お前」
「貸さん」
「じゃあ雇う」
「嫌だ」
「はんだごて持参なら歓迎する」
「おい」
二人は大笑いした。
だが。
蓮は少しだけ真面目な顔になる。
羨ましかった。
本当に羨ましかった。
社長になってから。
蓮は開発現場から遠ざかっている。
会議。
経営。
株主対応。
予算管理。
もちろん大切な仕事だ。
だが。
冒険ではない。
未知の機械を組み立てる時間。
徹夜で研究する時間。
「できた!」
と叫ぶ時間。
そういうものが懐かしかった。
「なあ真」
「なんだ?」
「俺も雇ってくれ」
真は即答した。
「はんだごてと情熱を持ってこい」
「それだけか?」
「それだけだ」
「あまりにも安い採用条件だな」
「厳しいぞ?」
真は笑った。
「世界一面白い研究所を作るからな」
霧島も笑う。
その時だった。
ふと思った。
社長を辞めてもいいかもしれない。
もちろん。
妻に相談したら反対されるだろう。
取締役会もひっくり返る。
社員も困る。
だが。
少しだけ本気だった。
数か月後。
日本科学技術大学院大学。
キャンパスを訪れた霧島は博樹と福島まどかを呼び出した。
「二人とも」
「どうしたんですか?」
「卒業したらイデア社に来ないか?」
博樹とまどかは顔を見合わせた。
そして。
同時に答えた。
「お断りします」
あまりにも息がぴったりだった。
「即答!?」
霧島はのけぞった。
博樹は笑う。
「大学に残ります」
まどかも頷く。
「私もです」
「なぜ!?」
「HEROがいますから」
霧島は頭を抱えた。
優秀な人材が逃げていく。
しかも理由が納得できる。
「参ったな」
本気で参った。
帰り道。
車の後部座席で考える。
イデア社で雇えない。
真の研究所にも取られる。
大学にも残る。
どうするか。
しばらく悩んだ末に。
「大学ごと買うか」
と呟いた。
運転手が思わずバックミラーを見た。
「社長?」
「いや、なんでもない」
そして数秒後。
「あれ、国立だよな……」
現実に気付く。
「無理じゃないか」
自分で言って。
自分で落ち込む。
運転手は必死に笑いをこらえていた。
窓の外へ視線を向ける。
空は青かった。
戦いは終わった。
けれど冒険は終わらない。
真は研究所を作る。
博樹たちは新しい未来を作る。
そして自分もまた。
新しい何かを見つけなければならない。
霧島蓮は少しだけ笑った。
「さて」
「次はどんな冒険をしようか」
そう呟く彼は、
巨大企業の社長というより、少年のまま大人になった研究者そのものだった。




