第1話 ナノマシーン
毛無峠決戦から二年が過ぎていた。
あの日。
霧島蓮たちは宇宙から飛来した粒体生物と戦った。
世界の命運を懸けた戦いだった。
だが、完全な勝利ではなかった。
あと少し。
本当にあと少しだけ火力が足りなかった。
もしも、あの時。
今持っている技術があったなら。
もっと大きな力があったなら。
――山田真は家族のもとへ帰れたのではないか。
蓮は今でもそう考えてしまう。
後悔だけは二年経っても消えなかった。
しかし。
あの戦いで得たものも確かにあった。
粒体生物の研究。
そして、その結合メカニズムの解明。
世界最高峰の科学者である山田真は、自我を持つ粒体同士が結合し、一つの人型を形成する原理を突き止めていた。
その研究成果から生まれたのが、
ナノマシーン。
人類史を塗り替える技術だった。
数千億個もの微細機械。
それぞれが自律制御を行い、一つの意思として動く。
もともと真は五千機のドローンを同時制御するシステムを構築していた。
そのアルゴリズムが応用されたのである。
「相変わらず化け物じみてるな……」
蓮は苦笑する。
研究報告書を読むだけで頭が痛くなる。
それを作った本人は、
「いや、意外と簡単だったぞ」
などと言うから始末に負えない。
本当に困った天才だった。
そして現在。
イデア社はそのナノマシーン技術を活用し、新たな共同研究を進めていた。
研究相手は日本科学技術大学院大学。
そして。
真の息子。
山田博樹。
若き天才研究者だった。
ロボット学会当日。
会場には国内外の研究者や報道陣が集まっていた。
蓮は会場最後列の席に腰を下ろす。
隣には山田真。
もちろん、そのままの姿ではない。
二人ともナノマシーンによって別人に擬態していた。
巨大企業の社長と世界的研究者が突然現れて会場を騒がせるのは避けたかったからだ。
「緊張するな」
真が呟く。
「お前が?」
蓮は吹き出しかけた。
「あの博樹の発表だからな」
「親バカだな」
「認める」
即答である。
蓮はあきれながらステージへ視線を向けた。
照明が落ちる。
会場が静まり返る。
そして。
ステージ中央へ一体のロボットが現れた。
HERO。
銀髪。
青い瞳。
白いスーツ。
どう見ても人間だった。
会場がざわつく。
次の瞬間。
HEROの身体がナノマシーンへ分解された。
無数の銀色の粒子が舞う。
そして再構成。
完全な人間の姿へと変貌した。
爆発的な拍手が起こる。
歓声さえ聞こえた。
研究発表の場とは思えない熱狂だった。
「すごいな……」
蓮は思わず呟いた。
真も静かにうなずく。
「俺もそう思う」
親バカではなかった。
これは本当に凄かった。
発表後。
記者会見が開かれる。
質問が飛ぶ。
技術的なこと。
研究開発費。
安全性。
将来性。
その中で一人の記者が尋ねた。
「HEROさん」
会場が少し笑う。
だが記者は真面目だった。
「あなたが一番やりたいことは何ですか?」
誰もが技術的な回答を予想していた。
しかし。
HEROは迷わず答えた。
『人を幸せにしたいです』
会場が静まり返る。
その一言は。
誰の予想とも違っていた。
研究成果でもない。
データ分析でもない。
効率化でもない。
ただ。
人を幸せにしたい。
その純粋すぎる願い。
蓮は鳥肌が立った。
「……真」
「ああ」
「今の、どう思う?」
真は少し考えたあと答えた。
「親としては複雑だな」
「なぜだ?」
「息子より立派なことを言ったからだ」
蓮は思わず吹き出した。
真も笑う。
だが次の瞬間。
二人の表情は真剣なものへ変わった。
シンギュラリティ。
その言葉が脳裏をよぎる。
人を超える知能。
自我。
意思。
感情。
HEROは本当にロボットなのだろうか。
それとも。
新しい生命体なのだろうか。
蓮には分からなかった。
ただ一つだけ。
この瞬間。
世界はまた少し変わった。
そんな気がした。
会場を出る頃には夕暮れになっていた。
オレンジ色の空の下を二人で歩く。
「博樹は立派になったな」
蓮が言う。
「ああ」
真がうなずく。
「たぶん俺より優秀だ」
「親がそれを言うな」
「事実だ」
そんな会話を交わしながら歩く。
だが蓮は一つだけ気になっていた。
「そういえば」
「ん?」
「HEROのAI担当の福島まどかさん」
「ああ」
「今日はいなかったな」
真もうなずく。
「入院中らしい」
蓮は足を止めた。
嫌な予感がした。
かつて聞いたことのある病名。
忘れたくても忘れられない病。
夕焼け空を見上げながら蓮は静かに呟く。
「……そうか」
胸の奥が少しだけ痛んだ。
まだこの時の蓮は知らない。
この出会いが。
自分の運命を大きく変えることになるのを。
そして後に。
吸血鬼事件と呼ばれる騒動の始まりになることを。




