第6話 十億円計画
あの日から。
山田真は二つの人生を生きていた。
一つはイデア社の社長としての人生。
もう一つは誰にも知られてはならない戦士としての人生。
昼間。
真は巨大IT企業の経営者だった。
会議に出席し、世界中の企業と交渉し、何千人という社員の未来を決める。
夜。
真は侵略者に対抗するための研究者だった。
毛無峠。
小串鉱山跡。
高圧電流。
粒体生命体。
核。
誰も信じない脅威を相手に、一人で調査を続けていた。
数か月後。
真はある結論に至る。
「スタンガンじゃ無理だ……」
会社の研究室で図面を眺めながら呟く。
核は巨大だった。
直径十メートル。
しかも周囲には無数の粒体生命体がいる。
仮に近づけても、一人で破壊できる相手ではない。
必要なのは圧倒的な火力。
だが。
政府に言っても信じてもらえない。
警察にも相手にされない。
自衛隊へ話を持ち込んでも同じだろう。
ならば。
自分でやるしかない。
真は極秘口座を作った。
会社とは無関係。
個人でもない。
誰にも辿れない資金管理用の口座だった。
そこへ巨額の資金が流れ始める。
最初は数百万円。
次に数千万円。
やがて億単位。
そして。
総額十億円。
全てが核討伐計画のためだった。
「パパ、またお仕事?」
ある夜。
幼い博樹が聞いた。
真は思わず手を止める。
机の上には洞窟の地形図。
ドローンの構想図。
侵略者に関する資料。
それらを慌てて伏せた。
「そうだな」
「お仕事、忙しい?」
「まあな」
博樹は少し寂しそうだった。
しかし笑顔を作った。
「がんばってね」
その言葉が胸に刺さる。
真は息子の頭を撫でた。
守りたい。
何よりも。
だからこそ戦わなければならない。
数年が過ぎた。
博樹は五歳になった。
義兄の井出彬も妻子を同時に失うことになった交通事故の悲しみから立ち直り始めていた。
そしてある日。
その時が来る。
会長室。
窓の向こうに東京の街並みが広がっていた。
真は静かに呼び出しを受ける。
部屋へ入ると彬が座っていた。
机の上には分厚い書類。
その表情は険しい。
「真」
「どうしたんです?」
「聞きたいことがある」
声が重い。
嫌な予感がした。
「使途不明金がある」
真は沈黙した。
「十億円」
その数字を聞いても驚かなかった。
いつか来ると思っていた。
「お前か?」
彬が尋ねる。
真は目を閉じた。
嘘はつけない。
この人にだけは。
社長に抜擢してくれた人。
自分を信じてくれた人。
家族になった人。
何より兄のような存在。
そんな相手だから。
なおさら言えなかった。
宇宙人がいるんです。
毛無峠に侵略者がいます。
地球を守るために使いました。
そんな話をしたら。
本気で心配されてしまう。
「……俺です」
静かな声だった。
会長室から音が消える。
彬はしばらく何も言わなかった。
やがて。
深く息を吐く。
「理由は?」
真は答えられなかった。
答えれば余計に傷つける。
だから。
黙った。
その沈黙が。
真実になった。
彬は立ち上がる。
窓際へ歩く。
背中が小さく見えた。
「理由も言えないのか」
「……すみません」
「そうか」
それだけだった。
怒鳴りもしない。
責めもしない。
それが逆につらかった。
真は理解した。
終わったのだ。
全て。
会社も。
信頼も。
家族も。
その日の夜。
真は高層マンションへ戻った。
リビングには愛がいた。
真の顔を見るだけで何があったか察したらしい。
「ばれたのね」
「ああ」
「お兄ちゃんに?」
「ああ」
愛は何も言わなかった。
責めもしない。
ただ真の隣に座る。
長い沈黙。
「やっぱり行くのね」
愛が言った。
真は頷いた。
「このままここにいたら」
静かに続ける。
「君たちまで巻き込まれる」
「私は構わない」
「俺が構う」
即答だった。
「博樹だけは駄目だ」
愛の目に涙が浮かぶ。
「帰ってくる?」
真は答えない。
答えられない。
核を倒すまで終われない。
もし失敗したら。
もう二度と会えない。
そんな予感すらあった。
深夜。
愛と博樹が眠った後。
真は静かに荷物をまとめた。
持っていくのは最低限。
現金。
研究資料。
設計図。
そして家族写真。
最後に離婚届を置く。
署名済み。
押印済み。
愛が自由に生きられるように。
自分がいなくなった後も困らないように。
それが精一杯だった。
寝室の扉を少しだけ開ける。
博樹が眠っている。
愛も眠っている。
二人とも穏やかな顔だった。
涙が出そうになる。
だが我慢した。
今泣けば決意が揺らぐ。
「絶対に守る」
誰にも聞こえない声で呟く。
「必ず帰る」
そして。
山田真は家を出た。
社長の肩書きを捨て。
夫である資格を捨て。
父親である幸せを捨て。
ただ一人。
地球を守るために。
毛無峠の闇へ向かって。




