第1話 毛無峠の男
1980年。
群馬県と長野県の県境に位置する毛無峠。
山田真は愛用のラジコングライダーを空へ放っていた。
東京大学工学部に通う20歳の大学生。
機械いじりが大好きで、今回飛ばしているグライダーも当然ながら自作だった。
「よし、いい感じだ」
風を読む。
上昇気流を捉える。
機体は実に滑らかに空を舞っていた。
だが。
「あっ」
ほんの一瞬の気の緩み。
グライダーはバランスを崩し、そのまま谷底へ吸い込まれるように落下していった。
数秒後。
ガシャン、と悲しい音が山に響く。
「うわぁぁぁ……」
真は頭を抱えた。
制作に何か月もかけた力作である。
財布の中身もかなり犠牲になった。
それが今、群馬県側の深い谷底へ消えた。
さすがに回収は無理だ。
真は諦め半分で谷を見下ろした。
その時だった。
誰かがいる。
遠く下方。
十年程前に閉山した小串鉱山の索道跡を歩いてくる人影が見えた。
男だった。
黒っぽい服装。
異様なほど無表情。
そして、その両手には――
「え?」
真のラジコングライダーが抱えられていた。
男は何事もなかったかのように坂を登ってくる。
まるで最初から落下地点が分かっていたかのように。
やがて真の前まで来ると、無言のまま機体を差し出した。
「え……あ、ありがとうございます!」
男は答えない。
ただ小さくうなずいただけだった。
その様子に真は妙な違和感を覚える。
表情がない。
まるで人形のようだった。
「助かりました。本当に」
再び礼を言う。
やはり返事はない。
ただ見つめてくるだけだ。
山風が二人の間を吹き抜けた。
妙な沈黙だった。
居心地が悪くなるほどに。
「……どこかまで送りますか?」
気まずさを紛らわせるように真が尋ねる。
男は黙ってうなずいた。
「どちらまで?」
男は真自身を指差した。
「俺と同じところ?」
うなずく。
「俺、高山村に住んでるんだけど」
うなずく。
「じゃあ乗ってください」
男は素直に助手席へ乗り込んだ。
だが、その後に起こる出来事によって。
山田真は、自分の人生が二度と普通ではなくなることを知るのであった。




