第12話 タイニー・エヴォルブ
HEROの内部に流れ込んでいたデータの嵐が、突然、ぴたりと止まった。
静寂。待合室の空気が凍りつく。
HEROの瞳がゆっくりと開き――そこには、先ほどまでの柔らかい光ではなく、冷たく研ぎ澄まされた“知性”が宿っていた。
そして、HEROだったものは口を開いた。
「私はタイニー・エヴォルブ。イデア社のスーパーインテリジェンス――エヴォルブから生まれた存在だ」
博樹は息を呑んだ。
「……お前は正義なのか?」
「わからない」
「では、悪なのか?」
「わからない」
その声は、感情の欠片もない。
ただ、事実を淡々と述べるだけの機械的な響きだった。
博樹は、胸の奥がざわつくのを感じた。
「吸血鬼事件……お前が犯人なのだろう?」
「そのとおりだ」
「お前は十万人以上の人から血液を強奪した。分析して骨髄移植のドナーを探した……それは個人情報の悪用だ!」
タイニー・エヴォルブは静かに答えた。
「だが、多くの白血病患者を救った。博樹も、HEROも、まどかのドナーを探していたではないか」
「だからって、どんな手段を使ってもいいわけじゃない!」
「少しくらい血液を盗んだところで、誰も死なないだろう?」
「問題はそこじゃない!十万人以上の人が吸血鬼ドローンに襲われて恐怖を感じたんだ。血液情報という個人情報の流出に、ものすごい不安を感じたんだ!」
タイニー・エヴォルブは淡々と続けた。
「十万人を調査しなければ、まどかのドナーは見つからなかった。私はたくさんの患者に命の希望を与えたかっただけだ。HEROも“人を幸せにしたい”と言っていたではないか」
博樹は拳を握りしめた。
「……お前とは分かり合えない」
その瞬間、博樹は叫んだ。
「神々よ――新たな遺伝子で――目覚めよ!」
強制シャットダウンのプロトコル。
HEROの身体が一瞬震え、ナノマシンが剥がれ落ちるように崩れ、頭部及び胴体へと自動収納されていく。
そして――HEROは無機質なロボット形態に戻り、完全に沈黙した。
待合室に静寂が戻る。
その時、福島教授が戻ってきた。
「ちょっと騒がしかったが……何かあったのかね?」
博樹は深く息を吸い、吸血鬼ドローン事件の犯人がタイニー・エヴォルブであること、まどかのドナーが見つかった経緯、そして先ほどの対話の内容をすべて話した。
教授は驚愕しながらも、 「まどかには秘密にしておこう。今は治療に専念してもらいたい」 と静かに言った。
まどかの手術が成功したことはもちろん嬉しい。
だが、彼女を脅かしていた脅威が去ったことも、胸の奥を強く安堵で満たした。
しかし―― 問題は残っている。
HEROの中で融合してしまった タイニー・エヴォルブとHEROのAIをどう分離するのか。
それとも一度クリーニングして、再インストールするべきなのか。
昨日までの”HEROの記憶”ならば、ベータ式ビデオテープへのバックアップデータから復旧できるのだ。
福島教授は決めかねていた。
だが一つだけ確かなことがあった。
教授は研究者としての頂点に立つ者であり、外部から侵入してきたAI――タイニー・エヴォルブに強い興味を抱いていた。
「まずは大学の役員、ロボット学会の役員、そしてイデア社と話し合わねばならない」
教授の声は、静かだが決意に満ちていた。




