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噂の変わり者

扉の向こうに、待っていたのは、猫背気味に肩をすぼめた青年だった。


「あ……その、ようこそいらっしゃいました。ヴィルヘルム・フォン・ライテンベルクです」


名乗りながら、慌てて立ち上がろうとした拍子に、少しだけ姿勢が伸びる。その瞬間、思っていたよりもずっと背が高いことに気がついて、私は密かに驚いた。


前髪が目にかかるほど長く、視線は終始、こちらの顔よりも少し下、テーブルの端あたりを彷徨っている。ライテンベルク家といえば、代々整った容姿で知られる家系だと聞いていたが、こうして俯きがちにしていると、その面影は掴みにくい。


社交界での噂では、「幼い頃からほとんど夜会に姿を見せない」「剣も魔法も、表舞台で振るったことがない」と聞いていた。それは事実として語られていたが、その理由については、様々な憶測が飛び交っていた。身体が弱いのではないか、気位が高く人を見下しているのではないか、あるいは――代々の美貌とは裏腹に、ご本人だけは容姿に自信を持てずにいるのではないか、と。


どれが本当なのか、この場ではまだ分からない。


「エミーリア・クラインリヒトと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


一礼すると、ヴィルヘルム様は、慌てたように座り直そうとして、その拍子に、机の端にあった書類の束に肘をぶつけた。ばさりと音を立てて、紙が数枚、床に散らばる。


「あ……申し訳ございません、その」


「大丈夫です。お気になさらず」


急いで拾おうとする様子を見ながら、私は内心で首を傾げた。


――容姿に自信がないのか、それとも気位が高いのか。噂ではそんな風に語られていたけれど、目の前で書類を拾い集めるのに必死になっている姿からは、そのどちらの印象も浮かんでこない。単に、不器用なだけなのかもしれない。


散らばった書類を片付けたところで、ヴィルヘルム様は、何度か口を開きかけては、また閉じる、を繰り返していた。指先が、落ち着きなくカップの取っ手をなぞっている。


「あの……お手紙に書かれていたことについて、もう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか」


助け舟のつもりで、私から切り出した。ヴィルヘルム様は、目に見えてほっとしたような表情を浮かべる。


「は、はい。その……先ほども申し上げた通りなのですが……見合いの席で、何を話せばいいのか、いつも分からなくなってしまって」


言葉と言葉の間に、詰まるような間があった。それでも、私の問いに対しては、途切れながらも、きちんと答えが返ってくる。


「具体的には、どのような形で、うまくいかないのでしょうか」


「相手の方が、何か話しかけてくださっても……頭の中が真っ白になって、当たり障りのない返事しかできず。かといって、こちらから話題を振ろうとしても、何を話せば失礼にならないのか分からず……結局、黙り込んでしまうんです」


「そういった沈黙が続くと、相手の方は、どのような反応をされるのですか」


「大抵は、気を遣って別の話題を振ってくださいます。それにも、うまく答えられず……最後には、お互い、当たり障りのない世間話だけで終わってしまって」


答えるたびに、少しずつ、詰まりが減っているような気がした。漠然とした問いには言葉を探して沈黙するのに、輪郭のはっきりした問いには、案外すらすらと言葉が出てくる。


「当主代理という立場上、そういつまでも独り身ではいられません。それは、頭では分かっているのですが」


「分かっていても、どうにもならない、ということですね」


「……はい。情けない話ですが」


自嘲するような笑みを浮かべながら、ヴィルヘルム様は、ようやく少しだけ、こちらに視線を寄越した。前髪の隙間から覗く瞳は、オリーブがかった深緑をしていた。辺境の大地を思わせる、落ち着いた色合いだった。


「差し支えなければ、もう少し伺ってもよろしいでしょうか。見合いの席以外――例えば、家臣の方や、幼い頃からご存知の方とは、普通にお話しになれるのですか」


ヴィルヘルム様は、少し意外そうな顔をした。


「それは、もちろん。むしろ、そういった方々とは、いくらでも話せます。……あ、それに、先日の遠縁の集まりでは、大勢の中に紛れていたせいか、思いのほか気楽に話せた気がします。誰も、私一人に注目しているわけではなかったので」


その一言に、私はふと、引っかかるものを感じた。


「大勢の中の方が、気楽、ということでしょうか」


「そう、かもしれません。一対一だと、どうしても、こちらだけをじっと見られている気がして……」


なるほど、と思う。単純に人付き合い自体が苦手なのではなく、"漠然とした問い"や、"一対一で注目される状況"に弱いのかもしれない。輪郭のはっきりした話題や、大勢に紛れられる状況では、案外気負わずに話せる。


「今日は、色々とお話を伺えて、参考になりました。もう少し、考えをまとめさせてください」


「……はい。よろしくお願いいたします」


ヴィルヘルム様は、深々と頭を下げた。その仕草にも、やはり、どこか不慣れな硬さがにじんでいた。


帰りの馬車に揺られながら、私はぼんやりと、先ほどの言葉を反芻していた。


――大勢の中の方が、気楽。


一対一の見合いが、彼にとって鬼門なのだとしたら。逆に、大勢が集まる、もっと気楽な場を用意できれば、案外うまくいくのかもしれない。


そう考えを巡らせていると、ふと、馬車の窓の外に、薔薇の生垣が見えた。


その色に、記憶が引き戻される。


――そういえば、イルゼヴィーネ様は、あれから、どうしていらっしゃるだろう。


夜会からもう何日か経つのに、まだ様子を伺いに行けていない。そのことに、今更ながら気づき、私は小さく息を吐いた。


やらなければならないことが、一気に増えた気がした。

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