ふたりの作戦会議
カール様との面会について、ご報告したいことがございます。そう手紙を送った翌朝、我が家の前に公爵家の馬車が停まっていた。
ご近所の窓という窓から、視線が飛んでくる。母は玄関で固まっていた。
「エミーリア……あなた、何をしたの」
「何もしてないってば。報告に行くだけ」
「報告で、公爵家が馬車を寄越すの?」
それは私が聞きたい。
――迎え、早くない?
揺れの少ない座席に収まって、我が家の馬車との違いを噛みしめる。クッションが分厚い。それだけで少し泣けてくる。
いつもの離れの応接間に通されると、イルゼヴィーネ様は扇を手に待っていた。挨拶もそこそこに、すっと片手が差し出される。
「紙は?」
「……え」
「この間の、あれよ。今日もあるのでしょう」
報告書のことだ。持ってきている前提らしい。
――気に入ってくれてるんだ!
ふふん。昨夜のうちに、ちゃんと書いてきましたとも。
差し出すと、イルゼヴィーネ様は黙って目を走らせた。読む速さが、前回よりずっと速い。
「候補だと、知っていたの?」
「はい。公爵家に出入りしている商人から聞いた、とおっしゃっていました」
扇が、ぴたりと止まった。
「商人が、名前まで?」
「はい。候補の一人に名前が挙がっている、と」
「名簿は父の手元にあったものよ。写しを持っているのは、あなただけ」
声が、いつもより低い。イルゼヴィーネ様は扇を閉じて、こちらをまっすぐに見た。
「あなたが聞いて回った先から、漏れたのではなくて?」
――え、疑われてる?
いや、違う。責める目ではなかった。確かめている目だ。
「アンネリーゼ様に、カール様のお人柄を伺ったことはあります。でも、なぜ伺うのかは、どなたにもお話ししていません」
「なら、誰かが勝手に繋げたのかもしれないわね。あなたが公爵家に出入りしていることは、とうに知られているもの」
そこで一度、言葉が切れた。
「……それとも、本当に屋敷の誰かか」
どちらとも決められない。その答えが、一番気持ち悪い。
「この件は、私が調べるわ。あなたは誰にも言わないで」
「承知しました」
報告書の次の行で、扇の先が止まった。
「分家との件は、どこまで進んでいるか。……そう聞いたの?」
「はい。お答えはしていません」
「当然よ」
短い返事なのに、声の温度がはっきり下がった。
続けて、組合の話をした。前回は固まった微笑みが、今日は少しも動かなかったこと。
「前と違う顔をした、のではなくて。同じ顔をし続けた、ということね」
「はい。……用意してきたように、見えました」
「最初に会ってから、どれだけ経ったと思っているの。顔くらい、いくらでも作り直せるわ」
さらりと言われて、背筋がぞくりとした。この人は、そういう相手と渡り合いながら育ってきたのかもしれない。
「それで、顔合わせはいかがなさいますか。カール様は、イルゼヴィーネ様のご意向をお待ちです」
「保留よ」
即答だった。
「候補からは外さない。返事もしない。待たせておきなさい」
「……待たせて、ですか」
「候補のままなら、あの男にとって一番の近道はあなたよ。近道があれば、人はそこを通るもの。外して、知らない道を使われるより、動きが見えるほうがいいわ」
――え、怖。かっこいい。
扇の一振りで社交界から締め出す。そんな噂は散々聞いてきた。でも本物は、扇なんか振らない。黙って盤面を見ている。
……って、感心している場合じゃない。その近道、私なんですけど。
「あの、それはつまり、私が見張り役ということでしょうか」
「仲人なのでしょう。間に立つのが仕事よ」
――いや、それ、結婚相談所の業務範囲を超えてると思います……。
もちろん、口には出さない。出せる相手でもない。それに、相手を待たせるだけ待たせるのも、仲人としては少し良心が痛む。
「カール様に、何かお伝えしておくことは」
「何も。向こうも『待つ』と言ったのでしょう。待たせておけばいいのよ」
ぐうの音も出なかった。言質を取ったのは、私だ。
イルゼヴィーネ様は報告書を丁寧に畳んで、文机の引き出しにしまった。開いた引き出しの中に、見覚えのある紙がもう一枚見えた。前回の報告書だ。
――取っておいてくれてるんだ。
卓上の皿に目を移すと、焼き菓子が一つ減っていた。夜会を控えていた頃のイルゼヴィーネ様は、菓子に手もつけず、じっと見つめているだけだったのに。
頬が緩みそうになって、慌てて紅茶で隠した。
「それと。あの文官との次の席だけれど」
「三日後ですね」
「ええ。あの男、分家のことを知っていたわね。新しい後ろ盾を探していることまで」
「はい。風の噂、だそうです」
「次に会ったら、どこで聞いたのか問い詰めてやるわ」
――それ、仮交際の二回目で聞くこと?
「あの、イルゼヴィーネ様。仮交際は、お互いを知るための席でして。尋問の席では……」
「知るためよ。あの男が何者なのか」
ぱちん、と扇が鳴った。
言い返せなかった。正直に言えば、私も知りたい。だったら、止めるより、聞き方を考えたほうがいい。
「では、作戦を立てましょう」
「作戦?」
「まず、入り口は前回の続きから。二度目の席の定番です。前の話を覚えていてもらえると、人は嬉しいものですから。ヴェルナー様の古地図のお話、覚えていらっしゃいますか?」
「……そんな話だったかしら」
イルゼヴィーネ様は扇で口元を隠した。
「誰が何を欲しがって、何を諦めたのか。紙の上に残っている、とか言っていたわね」
――一言一句、覚えてる。
「それです。そこから入れば、話は自然に分家のことにも繋がります」
「……悪くないわね。それで?」
「それと、聞きたいことがおありなら、先に一つ、ご自分のことをお話しになってください。人は、打ち明けてもらった分だけ、打ち明け返したくなるものなんです」
前世で読み漁った、婚活の指南書の受け売りだ。でも、これは本当によく効く。
「自分のこと? 何を話せというの」
「前回、ヴェルナー様が真っ先に興味を持たれたのは、剣術のことでしたよね。お好きだ、というところまでは伺いました。どうしてお好きなのかは、まだです」
扇が、止まった。
イルゼヴィーネ様はしばらく黙って、窓の外を見ていた。
「……考えておくわ」
断られなかった。それだけで、今日は十分だ。
帰りの馬車の中で、今日の話を思い返した。
屋敷の中の誰か。あるいは、誰かが勝手に繋げた噂。どちらにしても、イルゼヴィーネ様はこれから、自分の家の中を疑わなければならない。あの低い声が、まだ耳に残っている。
それから、三日後の席のことを考えた。
作戦は渡した。渡した、けれど。
あのイルゼヴィーネ様だ。前回の続きから入って、三言目くらいで問い詰めている気もする。
楽しみなような、心配なような。主に、ヴェルナー様の身が。




