一拍
カール様からの返事は、手紙を出してちょうど十日後に届いた。
手本をなぞったように整った文字で、丁寧な詫びと、お会いできる日取りが三つ。誤字はもちろん、余計な一文もない。完璧だ。
そして、読み終えても何も残らなかった。
不器用ながら実直なヴィルヘルム様の手紙も、芝居がかったヨーゼフ様の手紙も、読んだあとに必ず何かが残った。この手紙には、それがない。
――十日、何してたんだろう。
考えすぎかもしれない。でも、気になるものは気になる。
会う場所は、前回と同じ喫茶店だった。今日はアンネリーゼ様の同席はなし。婚約者候補だと打ち明ける、繊細な話だ。まず私が一人で受け止めるべきだと思った。
早めに着いて、席を整える。手元には、昨夜書いた一枚の説明書。顔合わせから仮交際、真剣交際へと進む流れと、どの段階でも断れること。前世の結婚相談所の入会案内を、思い出せる限り再現したものだ。冒頭の台詞も、馬車の中で三回練習してきた。
……我ながら、仲人の準備に気合いを入れすぎている。今日の本当の目的は、この人の素顔を探ること。あの日、美容術師組合の話で一瞬だけ固まった、あの微笑みの理由を。言うなれば、潜入捜査だ。
約束の時刻ちょうどに、扉が開いた。
「お待たせいたしました」
前回と寸分違わぬ所作で、カール様は一礼する。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます。実は、前回お伝えすべきことを、お伝えしておりませんでした」
「伺いましょう」
いつもの一拍。それから頷く。
私は息を吸った。
「カール様は、イルゼヴィーネ・フォン・アーデルシュタイン様のご婚約者候補のお一人です。事前のご説明もなく、申し訳ありませんでした」
――言った。怒られても仕方ない。
頭を下げたまま待つ。返ってきたのは、柔らかな声だった。
「存じておりました」
「……え?」
顔を上げた私に、カール様は微笑んだまま続けた。
「公爵家に出入りしている商人から、伺いました。候補のお一人に、私の名が挙がっていると」
――商人? 公爵家が縁談相手を探している、という噂ならともかく、候補の名前まで外の人が知っているのは、おかしい。
屋敷の中に、話を外へ流している人がいるのかもしれない。……誰が?
「では、前回は、ご存じのうえで」
私が尋ねると、カール様は穏やかに頷いた。
「ええ。エミーリア様から、お話しいただけるのを待っておりました。こちらから申し上げては、角が立ちますから」
完璧に筋が通っている。通りすぎていて、少し怖い。
深呼吸をして、背筋を伸ばした。
「そのうえで、確認させてください。イルゼヴィーネ様の婚約者候補として、このまま進めてよろしいでしょうか。お気が進まなければ、今ここでお断りいただいて構いません」
カール様は、いつもの一拍を置いてから答えた。
「お断りする理由は、ございません。公爵家とのご縁は、私の家にとっても願ってもないことです」
「ありがとうございます。では、今後の流れをご説明します」
用意してきた説明書を差し出す。
「イルゼヴィーネ様のご意向も伺ったうえで、まずは顔合わせの席を設けます。お互いにもう少し話したいと思われたら、仮交際という期間に進みます。どの段階でも、どちらからもお断りする権利があります」
カール様は、説明書の端から端まで目を通した。読む速度が一定で、目が止まる場所がない。
「承知しました。お声がかかるのを、お待ちしております」
ここで、探りを入れておきたいことがあった。
「カール様ご自身は、イルゼヴィーネ様に、どのようなことを望まれますか? 例えば、お人柄の、どんなところが」
「そうですね」
カール様は少しだけ考える素振りを見せた。
「ご実家が盤石でいらっしゃること、でしょうか。家同士のご縁ですから、まずはそこかと」
貴族同士の縁談なら、家柄や条件で決めるのは普通のことだ。間違ってはいない。
「ところで、他の候補の方々は、どのような方々なのでしょう」
今度はカール様のほうから尋ねてきた。
来た。前世の相談所で、何度も聞いた質問だ。
「他の会員様……いえ、他の候補の方々の情報は、お伝えできません」
守秘義務は、前世でも鉄則だった。
「それは失礼しました。当然のことです」
カール様はすぐに引いた。ただ、頷くまでの一拍が、ほんの少しだけ短かった気がする。
「では、イルゼヴィーネ嬢のご実家は、いかがでしょう。分家の方々との件は、どこまで進んでいるのでしょうか」
分家の揉め事は、社交界なら誰でも知っている噂だ。けれど「どこまで進んでいるか」を知っているのは、当事者だけ。そこを聞くのは、世間話の範囲を超えている。
「私は仲人の立場ですので、お家のご事情についてはお答えできません」
きっぱり断ると、カール様は「そうでしょうとも」とあっさり返して、カップを持ち上げた。
それから、変わらぬ微笑みで言う。
「では、ご実家の事情につきましては、こちらで調べさせていただきます」
――調べる? どうやって。
聞き返す代わりに、今日の本題を切り出した。
「そういえば、前回伺った美容術師組合のお話。出資者を募っている、という」
カップを置く手が、止まることはなかった。
「ああ、ありましたね。あれ以来、特に耳にしておりません」
いつもの一拍。いつもの角度の頷き。あの日、一瞬だけ固まった微笑みが、今日は一ミリも動かない。
――あれ。前より、隙がなくなってる?
十日。返事を待たされた日数が、頭をよぎる。……いや、考えすぎか。
会話は、そこで穏やかに終わった。最後まで、礼は崩れなかった。
馬車に乗ってから、手帳を開く。今日の会話を、思い出せる順に書き出していく。
カール様が聞いたこと。他の候補は誰か。ご実家の状況はどうか。分家との件はどこまで進んでいるか。
そこで、ペンが止まった。
――全部、「状況」の質問だ。
イルゼヴィーネ様ご本人のことは、一つも聞かれなかった。どんな方なのか。何がお好きなのか。
文官のヴェルナー様は、先日の顔合わせで、イルゼヴィーネ様が誰からも聞かれたことのなかった「好きなこと」を、真っ先に尋ねてくれた。あの時、氷の薔薇の肩から力が抜けるのを、私は見た。
貴族の縁談としては、カール様のほうが「正しい」のかもしれない。以前の私なら、条件が完璧なら良いご縁だと思ったかもしれない。でも今は、そう思えない。イルゼヴィーネ様が欲しいのは、きっとこういう相手ではない。
ただ、まだ決めつけない。私の聞き方が、不躾だった可能性もある。
手帳に、一行足した。
『カール様:候補として進める意向あり。質問は全て「状況」について。ご本人への質問、ゼロ』
少し考えて、二行書き足す。
『候補入りを知った経路:「出入りの商人」(本人談)。屋敷の中に、漏らした人がいる?』
『組合の話:前回は微笑みが固まった。今回は、まったく動かず』
最後に、もう一行。
『次回:こちらから聞いてみる。「お好きなことは?」』




