得意と好き
イルゼヴィーネ様とヴェルナー様への日程の連絡を終え、数日が過ぎた。今日は、約束していたヨーゼフ様とのお茶の日だ。
指定されたのは、王都でも評判の茶房だった。個室ではなく、通りに面した窓際の席らしい。
店に入った途端、視線が刺さった。奥のテーブルの令嬢たちが、扇の陰でひそひそ話している。
――え、なんで見られてるの。
少し考えて、すぐに分かった。待ち合わせの相手が、あのヨーゼフ様だからだ。ご令嬢方がきゃあきゃあ騒ぐという噂は、本当らしい。
約束の時刻には間に合ったのに、ヨーゼフ様はすでに席についていた。私に気づくと立ち上がり、椅子を引いてくれる。流れるような動きだった。
「お越しくださって嬉しいです。エミーリア様は、甘すぎない焼き菓子がお好きでしたね。合茶で、そればかり召し上がっていましたから」
「……よく見ていらっしゃいますね」
「見るのが仕事のようなものでして」
注文はすでに済んでいて、出てきたのは本当に素朴な焼き菓子だった。
――仕事ができる。
前世で言えば、一流の営業さんの接待だ。こちらは何も言っていないのに、一番欲しいものが先に出てくる。気分が良くなるのが、ちょっと怖い。
とはいえ、今日は私も遊びに来たのではない。手帳を取り出して、ペンを構えた。
「ヨーゼフ様、さっそくですが。合茶の感想を、ぜひお聞かせください。良かった点と、改善してほしい点を」
ヨーゼフ様は目をぱちくりさせた。それから声を立てて笑った。
「お茶に誘って、聞き取り調査をされたのは初めてです」
「誘われたのは私ですが、ヒアリングは私の仕事です」
「ひあ……?」
「聞き取りです」
笑いながらも、ヨーゼフ様の答えは的確だった。自己紹介の時間が短くて、お名前と顔が結びつく前に二人組になってしまったこと。令嬢のほうが、自分から殿方に話しかけてよいのか迷っていたこと。殿方の側は逆で、次は自分たちが幹事をやってみたいと、エーリヒ様が言い出していること。
「殿方が、幹事を?」
「ええ。エミーリア様の采配を見て、悔しくなったそうです。次はもっと上手くやれる、と」
――参加者が、運営側に回りたくなる。
それは、場が成功した証拠だ。私は夢中でペンを走らせた。
「ありがとうございます。すごく参考になります。……あ」
ふと、ペンが止まった。ここまで聞いておいて、肝心の人を聞いていない。
「ヨーゼフ様ご自身は、どうでしたか? 楽しめましたか?」
「ええ、とても。人と話すのは得意ですから、皆様に楽しんでいただけたなら何よりです」
淀みのない、完璧な答えだった。だから逆に引っかかった。ご自身が楽しめたかを聞いたのに、返ってきたのは「皆様」の話だ。
「ありがとうございます。では、ヨーゼフ様ご自身が、一番楽しかった瞬間は?」
「そうですね……皆様が楽しそうにしているのを眺めている時でしょうか」
また、他の人の話だった。
――この人、ずっと見る側にいるんだ。
イルゼヴィーネ様とヴェルナー様の席で見た、あの空欄を思い出す。得意なことと、好きなことは、案外別物だ。得意は人に求められるけれど、好きは自分で見つけるものだから。
「合茶のお話は、いったん置いておきましょうか。自己紹介カードの『好きなこと』の欄に、日頃のヨーゼフ様なら何と書かれますか?」
ヨーゼフ様の微笑みが、そこで初めて止まった。
カップの縁を指でなぞって、しばらく黙っている。窓の外の馬車の音だけが聞こえた。
「……早朝の市場を、一人で歩くことでしょうか」
声の調子が、少し変わっていた。
「夜明け前は、誰も私の名前を知りません。誰にも話しかけられないし、誰にも笑顔を返さなくていい。……そんな時間が、案外好きなんです」
前世の記憶が、ふっとよみがえる。飲み会で誰よりも場を盛り上げていたのに、帰りにひとりでコンビニに寄って、缶コーヒーを黙って飲んでいた先輩。
「……ずっと、期待される自分でいるのは、大変ですよね」
気づいたら、そう言っていた。
「……はい?」
「いえ、あの。社交界でずっと人に気を配って、いつも笑顔でいらっしゃるんですよね。それは、疲れると思って。お疲れさまです」
ヨーゼフ様は、まじまじと私を見た。それから、片手で口元を覆った。
「調子が狂うな」
ぽつりと漏れたのは、作り物ではない、素の声だった。
――あ、営業スマイル、外れた。
私の前くらいは、頑張らなくていいのに。ずっと気を張っていたら、疲れてしまう。
「申し訳ありません。言い過ぎましたか」
「いいえ。……そんなことを言われたのは、初めてです」
その目がやけに真っ直ぐで、私のほうが視線のやり場に困った。慌てて菓子に手を伸ばす。
「あの、でも、社交界のご令嬢方が騒がれるのは、分かります! 気配りは本当に一流ですし、お顔も整っていらっしゃいますし!」
「それは、ありがとうございます」
いつもの笑顔が戻ってきた。言われ慣れた言葉のはずなのに、さっきより少しだけ、嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。
話がひと段落したところで、ヨーゼフ様が切り出した。
「次の合茶ですが、私にも、手伝わせていただけませんか。参加者としてではなく、殿方側の取りまとめ役として。エミーリア様が女性の皆様を見られるなら、私は男性陣の面倒を見ます」
「いいんですか?!」
思わず身を乗り出した。男性側の窓口は、ずっと欲しかったのだ。
「ええ。見ているだけだった私が、動いてみたくなったんです」
ヨーゼフ様は懐から小さな紙を取り出した。次回の会場の候補と、声をかけられそうな殿方の名前が、きれいな字で並んでいる。
――次の準備まで、もうしてくれてる。
感動しかけて、ふと思い出した。
「あれ、でも、エーリヒ様が幹事をやりたいと言っていたのでは?」
「ええ。ですから、エーリヒには企画係をお願いします。やりたい方に役割を振るのも、取りまとめの仕事ですから」
――有能すぎる。前世の職場に、ひとり欲しかった人材だ。
こちらこそ、喜んで。そう言って握手を交わしたところで、ヨーゼフ様が言った。
「ヴィルにも、声をかけておきましょうか。あいつも合茶の功労者ですから」
「ぜひ。合茶のあと、ヴィルヘルム様にはお茶にも呼んでいただいたんです」
「ほう。どんな様子でしたか」
「ええと、何から話そうかな。まず合茶の話で盛り上がりました。トーマス様とロッテ様が観劇に行かれた話も、楽しそうに聞いてくださって。あ、そうだ」
ヨーゼフ様のお誘いの話もしたのだった。
「ヨーゼフ様からお茶に誘われたと言ったら、急にカップを置く音が大きくなって」
「ほう」
「そのあと、ずっと窓の外を見ていらして。きっとお疲れだったんだと思います」
ヨーゼフ様は、紅茶を吹きかけた。
「……失礼。ええ、きっと、お疲れだったのでしょう」
肩が小さく震えている。何がそんなにおかしいのだろう。
「明日は、ヴィルのお屋敷の薔薇を見にいらっしゃるそうですね。庭師が三日前から、薔薇に話しかけているそうですよ」
「植物に愛情をかける、お優しい庭師さんなんですね」
「ええ。ぜひ、そのまま褒めてあげてください。あの男、そういう言葉に飢えていますから」
飢えている、庭師さんが? 確かに、黙々と働く職人さんは、褒められ慣れていなさそうだ。
「承知しました。明日は薔薇も庭師さんも、全力で褒めてきます」
「……ええ、お願いします」
ヨーゼフ様はまた肩を震わせていた。やっぱり、何がそんなにおかしいのだろう。
茶房を出て、夕暮れの通りを歩く。薔薇の見頃に呼ばれたのなら、手土産は何がいいだろう。薔薇の庭に持っていく菓子って、何が正解なんだろう。
そんなことを真剣に考えながら、私は帰りの馬車に乗り込んだ。




