お見合いの席
ヨーゼフ様とのお茶の前に、もう一つ大事な席を済ませておく必要があった。イルゼヴィーネ様とヴェルナー様の顔合わせだ。
場所はマリーカ様のお屋敷の小さなサロンをお借りした。人目につかず堅苦しくもない。ヴェルナー様には、マリーカ様の叔母君を通して「お相手のご令嬢が、直接お会いになりたいそうです」とお伝えしてある。
今回は、前世の婚活パーティーを真似て、お二人に自己紹介カードを書いてもらった。名前や趣味のほかに、好きなことを書く欄がある。話の糸口になるだけの、ただの紙切れだ。
当日、先に着いていたイルゼヴィーネ様は、銀の髪をいつも通り高く結い上げ、青い薔薇の髪飾りを光らせて扇を握りしめていた。
「本日は初対面ですので、どうぞお手柔らかに」
少しだけ悪戯っぽく言ってみる。これくらいの軽口が許される間柄になった、と思いたい。
「威圧なんてしていないわ」
「ええ、半分は冗談です」
「半分は本気ということね」
じろりと睨まれて、慌てて頭を下げた。ただ、扇を握る指の関節が白い。力が入りすぎている。
――あ、この人、緊張してる。
氷の薔薇と呼ばれる公爵令嬢でも、初対面の相手を前にすれば緊張するのだ。そう思うと少し親近感が湧いた。
マリーカ様がお茶を運んできて、「それでは私は庭におりますね」と気を利かせて席を外してくれた。
約束の時刻ちょうどに扉が開いた。
ヴェルナー様は静かに入ってきて、深く頭を下げた。所作に無駄がなく、手袋を外す指先だけが、ほんの少しぎこちない。
「ヴェルナーと申します。本日はお招きいただき、恐縮です」
「イルゼヴィーネ・フォン・アーデルシュタインよ。……ずいぶん平然としているのね」
「顔に出にくい質でして」
ヴェルナー様は真顔のまま続けた。
「内心は、これでも落ち着きません」
イルゼヴィーネ様の口元が、ほんの一瞬だけ緩んだ。すぐに扇で隠されたけれど、私は見逃さなかった。
――お、いい滑り出し。
席につくと、私は焼き菓子を勧めた。
「マリーカ様のお屋敷の菓子は、王都でも評判だそうです。まずは一息つきましょう」
イルゼヴィーネ様が一口かじって、わずかに目を見開く。ヴェルナー様は、それを静かに眺めていた。
場が和んだところで、私は二枚のカードをそれぞれの前に滑らせた。
「お互いの自己紹介カードです。気になった欄について、順番に一つずつ質問してみてください。答えたくなければ『パス』で構いません」
「書かされた時も思ったけれど、本当に妙な紙ね。報告書の親戚?」
「……遠い親戚、くらいでしょうか」
発想の出どころが同じ前世なので、あながち嘘でもない。
イルゼヴィーネ様は呆れた顔をしながらも、ヴェルナー様のカードにきちんと目を通している。
「では私から」
ぱちりと扇が閉じられた。
「趣味の欄。古い地図の写し、とあるわ。地味ね。何が面白いの」
遠慮のない切り込みだった。マリーカ様が同席していたら、きっと青ざめて固まっていただろう。席を外してもらっておいてよかったと、本気で思う。
「古い地図は、今の地図が教えてくれないことを教えてくれます」
ヴェルナー様は少しも怯まなかった。
「国境が動く前の、人の行き来や揉め事の跡です。誰が何を欲しがって、何を諦めたのか。紙の上に、案外残っています」
「……揉め事の跡」
「はい」
イルゼヴィーネ様は何か言いかけて口を閉じた。地味、と言い捨てた顔が、少しだけ真剣になっている。
「では、私の番ですね」
ヴェルナー様がカードに目を落とした。
「『好きなこと』の欄が、空いていますね。何がお好きなのかと、気になりました」
イルゼヴィーネ様が固まった。
「……そんなこと、聞かれたことがないわ」
扇が膝の上で小さく鳴る。幼い頃から稽古漬けだったという話を思い出した。何を好むかなど、誰も尋ねなかったのだろう。
長い沈黙の後、答えが落ちた。
「……剣術よ。文句があるなら聞くわ」
「ございません」
ヴェルナー様は即答した。
「立ち姿を拝見して、剣を握る方だろうと思っておりました。お強いのでしょう」
イルゼヴィーネ様が、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「べ、別にお世辞を言われても、嬉しくなんてないわよ」
――出た。前世の漫画で百回は見た、テンプレのツンデレ。
ごちそうさまです、と心の中で手を合わせながら、私は表情だけは必死で真面目に保った。
一問ずつ、という約束は、いつの間にか溶けていた。カードは話の糸口という役目を、とっくに果たしている。剣の話から王宮の庭の話、古地図で見る国境の話へ。ヴェルナー様は自分のことをあまり語らないのに聞き上手で、彼女の話を決して否定しなかった。否定されないというだけで、肩から少しずつ力が抜けていくのが分かる。
お茶が冷める頃、イルゼヴィーネ様が扇を傾けた。
「古い地図に揉め事の跡が読めるなら、うちの家の揉め事も読めるのかしら」
試すような声だった。公爵家の後継ぎ問題は、社交界ではとうに知られている。
「拝見しないことには。ただ」
ヴェルナー様は少し間を置いた。
「分家の方々が新しい後ろ盾を探しておいでなのは、存じております」
空気が凍った。
イルゼヴィーネ様の目がすっと細くなる。私も息を止めた。その話は、つい先日私が初めて聞いたばかりで、他の誰にも話していないはずだ。
「……誰から聞いたの」
「風の噂で」
――風の噂、便利すぎない?
胸の中で全力でツッコむ。ただ、ヴェルナー様は続けてゆっくりと言った。
「王宮は噂が集まる場所ですので。不安にさせたのなら、お詫びします。聞いた話を悪用するつもりはありません」
そこで一度言葉を切る。
「お力になれることがあれば、いつでもお申し付けください」
イルゼヴィーネ様は黙ってその顔を見つめていた。
「……耳が早いのね。覚えておくわ」
警戒が解けたわけではない。けれど、拒絶の声ではなかった。
――あれ、敵ではない、くらいには思っていいのかな。
私は小さく息を吐いて、二人に向き直った。
「では今日はここまでにしましょう。お二人とも、もう少しお話ししてみたいと思われましたか?」
「……悪くは、なかったわ」
イルゼヴィーネ様が、そっぽを向いたまま答える。
「私は、ぜひ」
ヴェルナー様は迷わず言った。
お二人の意思が揃ったところで、私は続けた。
「それでしたら、仮交際という形はいかがでしょう」
「仮交際?」
「一度のお見合いで決めずに、数回お会いして、お互いに確かめ合う期間です。どちらも途中で断る権利があります」
「お試し、ということ? 失礼じゃない」
「イルゼヴィーネ様だけの条件ではありません。ヴェルナー様にも、選ぶ権利があります」
「光栄な、お試しです」
ヴェルナー様が静かに頷いた。
「それと、仮交際の間は、他の方とも並行してお会いいただいて構いません。比較検討したうえで、ご自身で選んでいただくための期間ですので」
「並行して? 何人もと同時に? はしたないわ」
「ヴェルナー様の側も、同じ条件です。お互い様、ということです」
「……そう言われると、他の候補を連れてくるのが癪ね」
ぽつりと漏れた本音に、サロンの空気がふわりと緩んだ。
ヴェルナー様を見送った後、イルゼヴィーネ様は扇で口元を隠したまま、ぼそりと言った。
「名簿を渡された時は、父に押しつけられた気がしていたの」
「はい」
「でも今日は、自分で確かめて、自分で決めていい席だったわ。紙で相手を知って、会って確かめて、お互いに返事をする。……悪くない仕組みね」
その声は、思いのほか素直だった。
「ありがとうございます」
「別に、気に入ったわけじゃないわよ」
――はい、気に入ってますね。
ただ、胸が高鳴っている顔とは少し違う。話の合う相手を見つけて、ほっとした顔だ。
笑いをこらえるのに必死な私に、イルゼヴィーネ様がぼそりと付け加えた。
「それで、あの文官との次は、いつなの」
「……ご予定を伺って、調整いたします」
「別に、聞いただけよ」
私は黙って、手帳の空欄に、次の日取りの候補を書き込んだ。




