掴めない文官
マリーカ様から、連絡があったのは、それから、さらに数日後のことだった。
「叔母から、返事が参りました。件の文官様――ヴェルナー様とおっしゃるのですが、執務の合間を縫って、少しだけお時間をいただけるとのことです」
待ちわびていた知らせだった。私は、すぐに、都合をつける旨の返事をしたためた。
当日、王宮の門をくぐるのは、生まれて初めてのことだった。高い石壁、整然と並ぶ衛兵、磨き抜かれた廊下。一歩進むごとに、場違いなところに来てしまったのではないか、という緊張が、じわじわと込み上げてくる。
すれ違う文官たちの視線が、一瞬、こちらに向く。見慣れない顔だと、値踏みされているのかもしれない。
――深呼吸、深呼吸。
内心で、何度も自分に言い聞かせながら、案内された、こぢんまりとした応接室に通された。公爵家や侯爵家の邸宅とは、また違う、格式張った静けさが漂っている。壁にかけられた絵画一枚、調度品の一つひとつにも、気の抜けない重厚さがあった。
しばらく待っていると、扉が静かに開いた。
現れたのは、中肉中背の、これといって特徴のない男性だった。地味な色合いの装いに、控えめな物腰。カール様のような華やかさも、ヴァレンフォール卿のような快活さもない。強いて言うなら、"目立たないこと"自体が、印象になっているような人物だった。
「お待たせいたしました。ヴェルナーと申します」
「エミーリア・クラインリヒトと申します。お忙しい中、お時間をいただき、ありがとうございます」
席に着き、しばらく、他愛のない世間話が続いた。王宮での暮らしのこと、最近の陽気のこと。当たり障りのない、穏やかなやり取りだ。
「王宮では、どのようなお仕事を?」
「文書の整理や、記録の管理を、主に。おかげさまで、少しずつ、重要な書類も、任せていただけるようになりました」
控えめな口調だった。それでいて、"重要な書類"という一言には、密かな手応えが滲んでいる気がした。
ある程度、場が和んだところで、私は、本題を切り出した。
「実は、とある方から、縁談に関するご相談を、内々にお預かりしておりまして。ヴェルナー様のことも、お噂に伺っております」
ヴェルナー様は、少し考えるような間を置いてから、静かに尋ね返してきた。
「……もしや、公爵家の件でしょうか」
「よく、お分かりになりましたね」
内心、少し驚きながら答える。
「風の噂で、少々。そういったお話が、社交界で動いていることは、耳にしておりました。まさか、自分のところにまで、話が回ってくるとは、思いませんでしたが」
淡々とした口調だった。驚きというより、どこか、戸惑いに近い響きがある。
「差し支えなければ、伺ってもよろしいでしょうか。ヴェルナー様ご自身は、この縁談について、どのようにお考えでしょうか」
ヴェルナー様は、しばらく、沈黙した。長すぎる間に、私は、少し身構える。
「正直に申し上げますと……自分のような立場の者に、公爵家からのお話をいただけるとは、思ってもいませんでした。身に余る話だと申しますか……荷が重いのではないか、という思いも」
「それは、辞退なさる、ということでしょうか」
「いいえ」
迷いのない、即答だった。先ほどまでの、歯切れの悪さとは、まるで違う。
「荷が重いとは申しましたが、こうしたご縁を、自分から手放すのは、賢明ではないかと」
やけに、現実的な返しだった。先ほどの、控えめな物腰からは、少し意外な、はっきりとした物言いだった。
「記録の管理というお仕事、具体的には、どういったことを?」
重ねて尋ねると、ヴェルナー様は、一瞬、澱みなく答えかけて――すぐに、言葉を選び直すように、間を置いた。
「……各所からの報告を取りまとめ、然るべき場所へ、整理して届ける、といった具合です」
言葉自体は、曖昧なままだった。それでも、その一瞬の、言い淀んだ間だけは、妙に引っかかった。
公爵家の件を、言い当てた鋭さ。即答した時の、迷いのなさ。そして、仕事の話になった途端の、この慎重さ。
一つ一つは、些細なことだ。それでも、重なると、妙な違和感として、残った。
(この人、本当に、ただの地味な文官、なのかな)
それとも、自分の思い過ごしだろうか。カール様の時のような、分かりやすい違和感とも、また違う。もっと、掴みどころのない、曖昧な引っかかりだった。
「今日は、貴重なお時間を、ありがとうございました」
「いえ……こちらこそ、わざわざ、このような者のために」
最後まで、どこか、自分を卑下するような口調だった。それでいて、立ち上がり、深々と頭を下げる所作だけは、やけに板についていた。まるで、立場のある方々への挨拶を、日常的にこなしている人のような。
王宮を後にしながら、私は、懐から名簿を取り出した。ヴェルナー様の名の横に、今日聞いたことを、丁寧に書き記していく。
「辞退はしない(迷いなし)。公爵家の件を、すぐに言い当てた。仕事の話になると、言葉を選ぶ。所作は、やけに堂に入っている。何かを隠しているような、違和感」
これは、これまでの誰とも違う、新しい種類の謎になりそうだった。
馬車に揺られながら、私は、窓の外を流れる、見慣れた街並みを眺めた。王宮の中にいた時間が、まるで、別世界の出来事だったかのように、遠く感じられる。
辞退はしないという、はっきりとした意思。それでいて、自分を語る時だけは、徹底して控えめに留める、その匙加減。まるで、どこまで見せて、どこから先は隠すか、あらかじめ、線引きを決めているかのようだった。
イルゼヴィーネ様に、どう報告すべきか。まだ、結論は出せそうになかった。




