第五話「未完成の鐘」
ゴォォン……
その音は、もはや“聞こえている”ものではなかった。
青年の視界そのものが、振動している。
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床のひびの奥。
そこに見える“鐘”。
それは金属でも構造物でもない。
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ただ、形になりかけている「概念」だった。
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触れれば完成する。
触れなければ、存在しないまま揺れ続ける。
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白い影の声が低くなる。
「それは修正の前段階だ」
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青年は手を止めない。
「修正って、結局なんだ」
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影は答える。
「世界を一つにすることだ」
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ゴォォン……
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音が鳴る。
それに合わせて、“未完成の鐘”が少しだけ形を持つ。
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駅のホームが遠のく。
人の声が消える。
世界の密度が薄くなる。
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そこにはもう「日常」がない。
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代わりにあるのは、
無数の“なりかけた現実”。
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青年は息を吐く。
「一つにするって……他を消すってことだろ」
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影は否定しない。
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むしろ、それが当然であるかのように静かだ。
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「揺らぎは、世界を壊す」
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ゴォォン……
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音が一段深くなる。
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未完成の鐘が、さらに輪郭を持つ。
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それは見たことのある形だった。
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山の神社の鐘。
駅で鳴るはずだった鐘。
誰かの死を告げる鐘。
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すべてが重なっている。
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青年は気づく。
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これは“ひとつの鐘”ではない。
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すべての可能性の集合体だ。
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影が言う。
「それを完成させれば、世界は安定する」
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青年は問い返す。
「完成したらどうなる」
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影は少しだけ間を置く。
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「揺れなくなる」
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ゴォォン……
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その言葉が、異様に重く響く。
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揺れなくなる。
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それは救いのようで、終わりのようでもある。
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青年はゆっくりと手を伸ばす。
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その瞬間、鐘の奥から“声”がした。
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『やめろ』
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青年の動きが止まる。
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声は続く。
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『それは終わりじゃない』
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白い影がわずかに揺れる。
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青年は息を呑む。
「今のは……誰だ」
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答えはない。
だが鐘の奥で、何かが確かに“抵抗している”。
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ゴォォン……
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音が乱れる。
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未完成の鐘が、一瞬だけ崩れる。
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そこに見えたのは――
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神社でも駅でもない。
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まだ“何にもなっていない世界”。
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青年は理解する。
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完成させるということは、
その世界を“消す”ことだ。
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影が静かに言う。
「選べ」
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青年は手を止めたまま、鐘を見る。
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揺れている。
まだ、どちらにもなれる。
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ゴォォン……
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その音は、問いそのものだった。
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— 第6話へ続く —




