第四話「漏れた鐘」
ゴォォン……
その音は、これまでと違っていた。
“鳴っている”のではない。
どこかから漏れ出したものが、世界に染み込んでいる。
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青年は駅のホームに立っていた。
さっきまで確かにあった「修正の起点」は、視界のどこにもない。
だが“消えた”という感覚もない。
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代わりに残っているのは、ひとつの違和感。
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世界のどこかに、小さな“穴”が開いたままだ。
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人々は変わらず歩いている。
電車も来る。
アナウンスも正常だ。
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しかし青年だけが知っている。
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今この世界は、完全ではない。
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「漏れてる……」
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声に出すと、駅の空気がわずかに震えた。
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ゴォォン……
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音が近づく。
今度は外ではない。
駅の構造そのものの“内側”から響いている。
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白い影が、いつの間にか隣にいた。
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「起点が揺れた」
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青年は問い返す。
「俺が触ったからか」
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影はすぐに否定しない。
代わりに、ゆっくりとホームの奥を見る。
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そこには“何もない空間”がある。
だが正確には違う。
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観測されていない場所。
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「そこが漏れだ」
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青年は目を細める。
「鐘か?」
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影は答える。
「鐘になる前のものだ」
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ゴォォン……
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音が一段だけ深くなる。
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その瞬間、ホームの一部が“別の景色”に変わる。
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山の神社。
崩れた石段。
割れた社殿。
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そして、鳴る直前の鐘。
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だがそれも一瞬で消える。
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青年は息を呑む。
「今のは……過去か?」
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影は静かに言う。
「違う」
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「修正される前の可能性だ」
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青年の背筋が冷える。
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可能性が、漏れている。
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世界は確定しているはずなのに。
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ゴォォン……
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その音に合わせて、ホームの床に“ひび”が入る。
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しかし物理的なものではない。
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観測のひび。
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影が言う。
「ここを放置すれば、揺れが戻る」
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青年は問いかける。
「戻るって……元にか?」
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影は少しだけ沈黙する。
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「崩壊ではない」
「分岐だ」
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ゴォォン……
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音が強くなる。
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ひびの奥から、無数の“別の世界”が見える。
鐘が鳴り続ける世界
鐘が最初から存在しない世界
鐘を止めたまま崩壊した世界
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それらが同時に揺れている。
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青年は理解する。
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今、自分が立っている世界は――
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無数の結果の上に、かろうじて成立している。
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影が低く言う。
「漏れは、広がる」
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青年は一歩近づく。
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その瞬間、床のひびが反応する。
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ゴォォン……
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音が鳴る。
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そしてひびの奥から、“鐘そのもの”が見えた。
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まだ形になっていない鐘。
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鳴る前の鐘。
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青年は息を呑む。
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「これが……本体か」
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影は答えない。
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ただ静かに言う。
「触れるな」
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しかし青年の手は、すでに伸びていた。
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— 第5話へ続く —




