第11話 写楽ホームズについての考察
写楽先輩がワトソンさんを連れて外へと飛び出して数秒後、まるで嵐が去ったかのように事務所の中が静かになる。
ウチは写楽先輩が戻ってこないことを確認しつつ、鬼が居ない間にとレイトン所長へと近づいた。
「所長、所長」
「うん? なんだい阿笠くん?」
「写楽先輩って、昔は刑事だったんですか?」
そう尋ねた瞬間、レイトン所長の瞳が分かりやすく泳いだ。
「え、えぇ~? どうだったかなぁ~? ちょっと僕は覚えてないなぁ~」
「いやもう霧生警視とのやりとりで先輩が元刑事であることは大体察しましたから、隠さなくても大丈夫です」
「んん~、でもなぁ~? 一応僕、口止めされているし」
僕の口からは何も言えないよぉ~、と困ったような笑みを浮かべるレイトン所長。
もうこの時点で先輩が元刑事であると半分言っているようなモノだが、ウチは気にすることなく話しを進めた。
「なんで先輩、刑事を辞めちゃったんですか? やっぱり能力不足だったんですか?」
「能力不足、か……」
「??? 霧生警視?」
我関せずとばかりにソファーでコーヒーを楽しんでいた霧生警視の動きがピタリと止まる。
かと思えば、ゆっくりとコーヒーを机の上に置き、ウチを真っ直ぐ射抜いてくる。
うっ!? 顔の整ったイケメンに真っ直ぐ見つめられると緊張する……。
先輩の間抜けヅラに長年付き合ってきたからか余計にそう感じて仕方がない。
何とも居心地の悪い気分を味わっていると、霧生警視が静かに言葉を紡ぎ始めた。
「阿笠刑事、君の目にはあの男……ホームズはどのように映っている?」
「えっ? それはえ~と……」
「当ててやろう。いい加減でテキトーで自己中心的な、おおよそ人の心を持っているとは思えない。刑事の腕前だって怪しい、後輩に金の無心をしてくるようなだらしのない救いがたい男――こんな所だろう」
「さ、流石にソレは言い過ぎではないですか霧生警視? せ、先輩だってちゃんと良い所が――」
とそこまで口を開きかけて、唇が止まる。
そんなウチを見て、霧生警視が『恥じることはない』とばかりに小さく口角を引き上げた。
「否定する材料が見つからなかったか」
「うぅ……はい」
「フォロー出来ないのも無理はない。なんせ今言ったことは紛れもない真実だ」
「ですよね?」
「ただ1つだけ訂正しておこう」
「訂正、ですか?」
一体なにを訂正するつもりだろうか?
ウチが聞いた限りでは、霧生警視の言葉は完璧に先輩を言い表していたと思うのだが。
と内心小首を傾げるウチに、警視は続ける。
「ヤツの刑事の腕前に関してだけは、ハッキリ訂正しておこう。アイツは、写楽ホームズという男は、お世辞抜きでこの国で一番腕の立つ刑事だ」
「霧生警視、流石にソレはちょっと――」
冗談にしても質が悪過ぎますよ? と笑い飛ばそうとしたウチの言葉を遮るように、レイトン所長が慌てた様子で口を挟んできた。
「ちょっ、駄目だってば霧生くん!? それ以上はマズイよ!? 写楽くんに怒られるよ!?」
「所長? なにをそんなに慌てているんですか?」
その話しはマズイって!? と霧生警視を止めに入る所長。
そんな所長を「自分はアイツに口止めされていませんから」と軽やかに躱しつつ、霧生警視は所長を見つめる。
「彼女も刑事になったんです。知る権利はあると思います」
「でもまだ1日目だし、まだ早すぎるよぉ!?」
「彼女が刑事として働く以上、遅かれ速かれ気づくことです」
「それでももうちょっと時期を見た方がいいと思うけどなぁ~」
霧生警視と所長の言い争いを横目に、ウチは少しだけ驚いてしまう。
あの所長大好きフリスキーな霧生警視が珍しく食い下がっている。
一体なにがあの信者の心を突き動かしているのか、何故か無性に気になった。
「あのぅ、霧生警視? 所長? 一体なんの話をしているんですか? ウチにも分かるように教えてくれると嬉しいんですけど……」
「ホームズの刑事としての能力についてだ」
レイトン所長は「僕は知らないからねぇ~?」とこの話しには自分は無関係だと言わんばかりに所長席の椅子に座り目を瞑った。
そんな所長の態度に、もしかしたら自分は今、とんでもない秘密の縁に手をかけているのかもしれないと思い、ちょっと怖くなる。
やはり引いておくべきだろうか?
いや、ここまで来たら進むしかない。現に霧生警視はもう話す気満々だ。
えぇい、乙女は度胸っ!
「先輩の刑事としての能力……ですか?」
「あぁ。阿笠刑事は冗談だと思うだろうが、今も昔もヤツの刑事としての腕前はその辺の刑事じゃ歯が立たん。ハッキリ言えば頭1つ……いや3つ分ほど抜きんで出ている」
「えっ? えぇ~っ……? あの写楽先輩が、ですか?」
「そうだ。あのテキトーな自己中心的な男が、だ」
霧生警視が真顔でそんな戯言を口にするので、思わず「プッ!?」と吹き出してしまう。
あの張り込み中に居眠りしたり、スリの犯人を取り逃がすような間抜けな先輩が? 超優秀な刑事?
ありえない、実にありえない。
どれくらいありえないかと言えば、ヘソからタピオカミルクティーが出てくるくらいありえない。
「どうした阿笠刑事? 何を笑っている?」
「いや、その……ブフッ!? き、霧生警視も冗談を言うんだなと思いまして……ブホッ!? し、しかも真顔、で……ブヒッ!?」
「すっごい笑いを堪えているね、阿笠くん? いやまぁ気持ちは分かるよぉ? 普段の彼を見ていたらそんな気配微塵も感じないもんねぇ~?」
レイトン所長が呑気にそんな事を口走る。
その姿にウチは違和感を覚えた。
いつものレイトン所長なら大爆笑している所なのだが、レイトン所長は微塵も笑うどころか苦笑を浮かべている始末である。
この笑みをウチは知っている。
これは事実を口にしているのに依頼人に信じて貰えなかったときの顔だ。
……えっ、事実?
ということは、
「じょ、冗談じゃないんですか?」
「当然だ。ヤツは今でもこの国一番の刑事だ。……今は探偵だが」
そう言って霧生警視は言葉を重ねた。
「7年前の【新統一教会】が起こしたテロ事件を覚えているか?」
「は、はい。それはもちろんです……」
その名前を聞いた瞬間、ギチリッ!? とクリスティーナの薄い胸が軋んだ。
忘れるワケがない、なんせそのテロは自分の人生を大きく変えた日だったのだから。
クリスティーナは憎悪で歪みそうになる表情を必死に統率しながら、澄ました顔と声を心掛けつつ口を走らせる。
「まだ自分は子供でしたが、よく覚えています。人間至上主義の宗教【新統一教会】の教祖の命令により、地下鉄に大量の毒ガスが撒かれ、多くの多種族が亡くなったあの悲惨な事件ですよね?」
「そうだ。人間至上主義と嘯いておきながらその実、多くの人間を毒ガスで殺した大義名分も何もない犯罪組織【新統一教会】だが……その主犯である教祖を捕まえたのは誰だと思う?」
「……まさかっ!?」
霧生警視の口ぶりに、思わずウチの頭の中にあの冴えない間抜けな探偵野郎の姿が浮かび上がる。
そんなウチの姿を見て、霧生警視は『正解だ』とばかりにニヤリと笑った。
「そうだ。教祖を捕まえ、隠れ潜む教団員を捕まえ【新統一教会】を壊滅にまで追い込んだのは写楽ホームズだ」
「せ、先輩が教会を潰したんですか……っ!?」
信じられなかった。
あのお気楽マイペースなのほほんとした先輩が?【新統一教会】を潰した?
本当に?
「嘘だと思うかもしれないが、本当のことだ」
霧生警視が自分の思考を先回りしてそう応える。
そんな警視に同調するようにレイトン所長が目を細めながらブルリッ!? と身体を震わせた。
「懐かしいねぇ~? 今思えばアレが警察庁公安部【若人特別捜査室】の最後の事件だったよねぇ~」
「はい、あの時のアイツは長い刑事人生の中で一番殺気立っていましたね」
「おっかなかったよねぇ~、あの時の写楽くん」
昔を懐かしむように遠い目をしながら、レイトン所長が刑事だった頃の先輩を思い出していく。
レイトン所長までもが先輩が教会を潰したことを否定しない……つまり、マジなのだ。
ウチの因縁の相手は7年前、先輩の手によって壊滅させられていたのだ。
な、なんで先輩はその事を話してくれなかったのだろうか?
7年前のあの事件でウチがどんな目にあったが、どうして刑事を志そうとしたのか、先輩は全て知ってたハズなのに!?
ウチの心の中で何とも言えない怒りの焔が立ちのぼる。
それと同時に所長の口から飛び出た聞き慣れない言葉に、何故か妙に心が引かれた。
「警察庁公安部【若人特別捜査室】……? えっ? 先輩は捜査一課だったんじゃ……?」
「5年間だけな。その前は10年間オレと共に【若人特別捜査室】の一員として働いていたんだ」
「10年間って……えっ? 写楽先輩、今何歳でしたっけ?」
「オレと同い年だから27だな」
「27歳ということは……えっ!? せ、先輩、何歳から刑事をやっているんですか!?」
「10歳からだな」
シレッととんでもない爆弾を放り込んでくる霧生警視。
えっ、10歳!? 10歳っ!?
「あ、ありえませんよ!? だって警察官になるのは18歳以上じゃなければならないって法律で――ッ!?」
「決まっているが、当時はそうじゃなかったんだ。ですよね、先生?」
「うん。当時は警察の絶対数があまりにも少なかったからね。人手不足解消のために優秀な子供たちをスカウトして刑事にしまくっていたワケさ。その窓口が【若人特別捜査室】ってワケだね」
まぁ諸事情でもう潰れたけど、と補足説明を入れてくるレイトン所長。
そんな部署があったことに驚きを隠せないでいるウチの心とは裏腹に、頭の中では妙にカチカチとパズルのピースが埋まるように点と点が繋がっていくのが分かった。
先輩が妙に死体や現場慣れしていたのには、そういう理由があったワケか……。
いやまぁ何かある人だろうなとは思ってはいたが、まさかそんな凄い人だったとは……。
でもおかげでさらに謎が深まった。
「写楽先輩がすごい刑事だっていうのは分かりました。……信じられませんけど」
「まぁ今の姿だけを見ていたら、到底信じられない話しだよねぇ~」
「だが事実だ」
「あっ、いえ! 別に霧生警視が嘘をついているとか疑っているワケではありません。ただ、だとしたらちょっと疑問が残ると言いますか……」
「疑問?」
「なんだい阿笠くん? その疑問って?」
レイトン所長と霧生警視が不可解そうな瞳を向けてくる。
先輩が優秀な刑事なのは分かった。
正直、その片鱗は何度も見てきたので疑ってはいない。
ただ、それだけ優秀な刑事だったのなら――
「どうして先輩は刑事を辞めたんですか?」
「それは――」
「霧生くん」
口を開こうとした霧生警視の言葉を遮るようにレイトン所長が首を横に振る。
途端に霧生警視は『待て!』を命令された警察犬のように口を真一文字に結んでしまった。
「阿笠くん、ソレは写楽くんに直接聞いてごらん?」
「先輩に直接聞いてもはぐらかされるだけですよ」
「かもしれないけど、こればっかりは僕たちの口からは言えないよ」
朗らかな笑みを浮かべながらもハッキリと拒絶の意思を示すレイトン所長。
もうかれこれ所長とは2年近い付き合いになるので、こうなった所長はテコでも自分の意思を曲げないことをウチは知っている。
つまり先輩が刑事を辞めた理由を知りたければ自分で調べろ、と所長は言っているのだ。
「分かりました、あとは自分で調べますよ」
「うん、それがいいよ。それじゃ僕はさっき写楽くんが言っていた件が本当なのかどうか裏取りしてくるよ。それによってはワトソンの今後について大きく考えなきゃいけないことが出てくるしね」
「あっ、そうでした! 結局ワトソンさんはどうなるんですか?」
「とりあえず兄との約束通り2週間はコッチで預かるよ。それ以降は……まぁ写楽くんの活躍次第かなぁ」
「先輩次第、ですか……?」
うん、と所長はコクリと頷きながら窓の外へと視線を向けた。
そこにはどこまでも真っ暗な空が続いていて、とても朝とは呼べないような世界が広がっていた。




