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第8話 男友達は、ドン引きする


「アルト殿。大丈夫か」


ヴァルデック伯爵家の庭に面した客間で、ユリウスが真剣な顔で言った。


「無理をしていないか」


「眠れているかい」


フェリクスが、茶碗を差し出しながら続けた。


「食事は、ちゃんと」


トビアスが、膝を抱えたまま聞いた。

三人が三人とも、アルトの顔を覗き込んでいた。

天賦の儀から、ちょうど一か月が経っていた。ユリウスが「男だけで話したい」と言って、三人を屋敷に招いたのだった。

男だけの茶会は、この国では珍しい。男はたいてい家の中にいて、外に出るには付き添いがいる。それぞれの姉や母が、別室で待っている。


「眠れていますし、食べています」


アルトは穏やかに答えた。


「ご心配なく」


「そうか……」


ユリウスは、深く息をついた。

一か月前より、明らかに痩せていた。金の巻き毛は艶を失い、頬骨が浮いている。


「ユリウス殿こそ」

「ああ」


ユリウスは力なく笑った。


「申込みが、毎日届く。母上が一通ずつ読み上げてくださるのだが、読み上げが終わる前に次が届く」


「それは」


「先週は、屋敷の門の前で申込みの使者同士が喧嘩を始めた。私の縁談で、だ。窓から見ていて、胃が痛くなった」


彼は胃のあたりを押さえた。


「下限が七名。一人目すら、まだ決まらない。決まったら決まったで、それが七回……」

「七回」


フェリクスが、気の毒そうに繰り返した。


(七回で、この痩せ方)


アルトは茶を飲みながら、少しだけ申し訳ない気持ちになった。


フェリクスの近況は、正反対だった。


「婚約が決まったんだ」


彼はいつもの眠そうな目を、少しだけ細めた。


「子爵家の三女で、アンネという人。園芸が好きでね。初めて会ったとき、庭の薔薇の話を一刻もしてくれた」


「おめでとう」


「ありがとう。……優しい人なんだ。僕が少し怯えていたら、手を伸ばすのをやめて、一歩下がってくれた」


フェリクスは、照れたように茶碗を見つめた。


「この人となら、大丈夫だと思った」


ユリウスが、羨ましそうに目を細めた。トビアスは、膝を抱える腕に力を込めた。


「僕は……」


トビアスが、消え入りそうな声で言った。


「まだ、一通も」


「一通も」


「【帳簿整理】ですから。下から二番目」


膝に顔を埋める。


「母上が、こっちから申込みを出そうかって言い出して……男の方から申込むなんて、前代未聞だって、親戚中に止められて……」


「それは」


アルトは言葉を探した。


「……きっと、トビアス殿に合う方が、どこかに」


「どこかって、どこですか……」


トビアスは膝の間から、恨めしそうな目でこちらを見た。


話題は、自然とアルトのことに戻ってきた。


「それで、アルト殿」


ユリウスが、声を落とした。


「神殿に、通っていると聞いた」


「定期鑑定です。スキルの安定を確かめる」


「週に三回も、と聞いたが」


「……少し、不安定でして」


三人が、顔を見合わせた。


「その、担当の神官だが」


ユリウスが、言いにくそうに切り出した。


「鎖の、神官なのだろう」


「ええ」


「怖くは、ないのか」


フェリクスとトビアスも、身を乗り出していた。


「僕は儀式の日、鎖の神官の前で膝が震えて止まらなかった」


フェリクスが言った。


「縛られていると分かっていても、あの鎖の音が、こう」


彼は自分の腕をさすった。


「じゃらじゃらと鳴るたびに、いつ外れるかと思って」


「僕もです」


トビアスが頷いた。


「鎖が胸の前で交差していて、ああ、あれが外れたら、と思ったら、もう」


(胸の前で、交差)


「目も開けられなかった」


ユリウスが言った。


「アルト殿は、あれと二人きりで、週に三回も。……本当に、怖くないのか」


三人の目が、アルトに集まっていた。

心配と、尊敬と、少しの畏怖。

アルトは茶碗を置いた。

穏やかな顔を作った。いつもの答えを用意した。

用意したはずだった。


「いや」


口が、先に動いた。


「あの鎖、むしろ」


客間の空気が、止まった。

ユリウスの手から、茶碗の受け皿が滑った。フェリクスの眠そうな目が、初めて完全に開いた。トビアスが、膝を抱えたまま後ろへずり下がった。


「……むしろ?」


ユリウスが、かすれた声で聞いた。


「むしろ、何だ」


アルトは、自分が何を言いかけたのかに気づいた。


(むしろ、いい)


(むしろ、最高)


(むしろ、毎回ありがとうございます)


どれを続けても、終わりだった。


「……冗談です」


アルトは、穏やかに微笑んだ。


「場を和ませようと思いまして」


三人は、しばらく黙っていた。

それから、ユリウスがゆっくりと受け皿を拾い上げた。


「……そうか」


「冗談か」


フェリクスが、まだ少し青い顔で頷いた。


「アルト殿でも、冗談を言うんだね」


「言うんですね……」


トビアスは、ずり下がった位置から戻ってこなかった。


(あぶねえ)


(今日一番あぶねえ)


その日の夕方。

神殿の小鑑定室に、灯りがともっていた。

月曜の定期鑑定は、近頃は夕方の最後の枠になっていた。付き添いのヘルガは、客間で揚げ菓子を食べながら待っている。

鑑定は、すぐに終わった。

水晶板の表示を、セラフィナが記録簿に書き写す。一画も、ずらさずに。

そうして記録簿を閉じると、彼女は立ち上がった。

壁際の棚に、小さな木箱が置いてあった。彼女は縛られた手でその蓋を開けた。

中に、銀の鎖が何本も、きれいに巻かれて収まっていた。


「神官長様が、新しく支給してくださいました」


セラフィナは、箱の中を見つめたまま言った。


「信仰が深まった神官には、鎖も多く要るだろう、と」


(神官長様)


(解釈が、毎回、斜め上)


セラフィナが、振り返った。

燭台の灯りが、彼女の金色の髪を柔らかく照らしていた。頬が、ほんのりと赤かった。

彼女は木箱を胸に抱えて、少しだけ首を傾げた。


「……今日は」


声が、小さかった。


「何本に、いたしましょうか」


アルトは、その場に立ったまま動けなかった。

木箱の中の鎖。彼女の腕に巻かれた三本の鎖。その鎖が通っている場所。

それを、選べと。


(——ありがとうございます)


(ありがとうございます。ありがとうございます)

(この世界に生まれて、本当に、ありがとうございます)


「……セラフィナ殿に、お任せします」


アルトの声は、落ち着いていた。

セラフィナは、こくりと頷いた。

木箱から、一本。少し迷って、もう一本。

それから、燭台の灯りを、そっと吹き消した。

________________________________________

夜更け。

セラフィナは、眠れずにいた。

隣で、彼が眠っている。

疲れ切った寝顔だった。この一か月で、彼はずいぶん痩せた。階段では相変わらず息を切らすし、ときどき鑑定の途中で欠伸をかみ殺している。

それでも、目を覚ませば、彼はこちらを見る。

床ではなく、自分を。

窓から、月の光が差し込んでいた。

机の上の水晶板が、その光を受けて、淡く表示を浮かべていた。


【ステータス貸与】Lv6

契約1/3


一枠目。

彼の最初の一人。

セラフィナは、その数字を長いこと見つめていた。

枠は、三つある。いつか、残りの二つも埋まるのだろう。彼のスキルは、国が動くほどのものだと記録係は言っていた。この先、もっとたくさんの人が彼を求めてくる。

それは、分かっていた。

分かっていて、それでも今夜は、この数字を見ていたかった。

一枠目。

誰が来ても、それだけは変わらない。

彼女は月明かりの中で、そっと彼の寝顔を見た。それから、自分の手首を見た。

鎖の痕が、うっすらと赤く残っていた。

彼女はその痕を、反対の手の指先で、大切そうになぞった。



翌朝。

フェンネル家の玄関に、使いの者が次々と現れた。

一人目は、蒼薔薇騎士団の紋章をつけた女騎士だった。


「蒼薔薇騎士団より、フェンネル殿へ。合同訓練へのご招待にございます」


二人目は、白衣の上に外套を羽織った若い女だった。


「王立魔導院より。稀少技能保有者の健康診断のご案内です」


三人目は、仕立てのいい服を着た商人風の女。


「七都商盟より。新商品試用会への、特別なご招待を」


四人目は、日焼けした腕に傷のある女。


「冒険者ギルド王都本部より。ギルド見学のお誘いだ。……です」


そして、五人目。

蒼い封蝋の書状を携えた、王宮の侍女だった。


「アズール王家より。小庭園での茶会へのご招待を、謹んでお届けいたします」


玄関に、五通の書状が並んだ。

母のマルタが、それを一通ずつ手に取って、青ざめていった。父のハインツは、黙って懐から小瓶を出した。

アルトは、五通の書状を見下ろしていた。

騎士団。魔導院。商盟。ギルド。王家。


(……全部、来た)


どの書状にも、丁寧な文面で、もっともらしい名目が書いてあった。

訓練。診断。試用。見学。茶会。

そして、どの書状の行間にも、同じ問いが透けて見えた。

この男は、本当に女を怖がらないのか。



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