↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/50

第37話 担がれる男


街道は、まっすぐ北へ伸びていた。

王都を出て二日目。両側には、刈り取りの近い麦畑が、どこまでも続いていた。晩夏の陽射しが、金色の穂を照らしている。

その街道を、一行が進んでいた。

先頭に、騎馬のクラウディア。その後ろに、幌馬車。御者台に、騎士団の若い騎士。幌の中に、セラフィナとリゼット。

それから、馬車の横を、一人の女が歩いていた。

赤毛の短髪。日焼けした肌。背中に、身の丈ほどの大剣。

そして、その肩の上に、男が一人、荷物のように担がれていた。


(……二日目も、これか)


アルトは、ロッサの右肩の上で、逆さまに流れていく麦畑を見ていた。


最初は、ちゃんと歩いていた。

王都を出て、最初の半日は。

馬車に乗っていればいい、とクラウディアは言った。けれど、馬車の荷台は、野営の道具と聖具と計測器と第七号の木箱で、ほとんど埋まっていた。幌の中には、セラフィナとリゼットが向かい合って座っていて、その間に男が一人挟まる隙間は、物理的には、あった。

物理的には。


「……歩きます」


アルトは、そう言った。

幌の中の空気が、二日前の居間の空気と、同じ匂いがしたからだった。

それで、半日歩いた。

半日で、足が上がらなくなった。

騎士団の訓練で、走り込みは三周を超えていた。ただ、それは訓練場の平らな砂の上の話だった。街道の固い石畳と、轍の凹凸と、晩夏の陽射しの中を、休みなく半日歩き続けるのとは、話が違った。

それに、体の中身の六割は、五人に貸し出していた。

壁を越えて、貸せる量が増えた。その分、手元に残る量は、減った。


「……少し、休憩を」


アルトが言いかけたとき、横を歩いていたロッサが、ひょいと腰を屈めた。

次の瞬間、アルトはまた、肩の上にいた。


「遅い」


ロッサは、それだけ言って歩き続けた。

アルトの体重など、大剣と変わらないとでも言うように。


以来、二日間。

アルトは、ほとんどの時間を、ロッサの肩の上で過ごしていた。

最初は、恥ずかしかった。

すれ違う農夫や行商人が、目を丸くしていた。街道沿いの村の子どもたちが、指をさして笑っていた。

男が、女の肩に担がれている。

それ自体は、この世界では珍しい光景ではなかった。男は弱い。女は強い。疲れた男を女が担いで運ぶのは、むしろ当たり前の、守られる男の姿だった。

ただ、担がれている男の顔が、問題だった。


(……っ)


ロッサの肩は、硬かった。

鍛え抜いた筋肉の上に、薄い革の上衣が一枚だけ。その下から、体温が直接伝わってきた。

熱かった。

晩夏の陽射しの中を、男一人を担いで歩き続けている体の熱。

汗の匂いがした。

それから、土と、焚き火の燃えさしと、獣脂の匂い。冒険者の匂いだった。何日も野営をして、森を歩いて、魔物を狩ってきた人の。

その奥に、日焼けした肌と、乾いた草の匂い。


(……全部、同じだ)


(表も、奥も)


セラフィナは、乳香の奥に陽だまりのミルクがあった。クラウディアは、革と鉄の奥に花があった。リゼットは、紙とインクの奥に日向の猫があった。マルグリットは、香水の奥に焼き菓子があった。

ロッサだけが、表と奥が、ほとんど同じ匂いだった。

土と、草と、汗と、陽。


(裏表、ないんだな、この人)



ロッサは、歩きながらよく笑った。

何がおかしいのか分からないことでも、腹の底から、豪快に。

笑うたびに、その振動が、肩越しにアルトの体に響いた。

背中から、胸へ。胸から、腹の底へ。


(……っ、っ)


「なあ」


ロッサが、歩きながら言った。


「お前、軽いな」


「……恐縮です」


「もっと食えよ。その方が揺れなくて担ぐ方が楽になる」


「担がない、という選択肢は」


「ない」


ロッサは、また笑った。

振動が、腹の底に響いた。


(担がれてるとき、実は、一番……)


(いや、何を考えてるんだ)


(考えてない、考えてない)


アルトは、逆さまの麦畑を見つめて、素数を数え始めた。


二日目の夕方、一行は街道沿いの開けた草地に、野営を張った。

三日目の夜、四日目の夜も、同じように。

野営の手順は、二日目にはもう、自然に決まっていた。

クラウディアが、警戒の指揮を執った。

草地の四隅に見張りの位置を定め、若い騎士と交代で番をする段取りを組む。焚き火の位置。馬の繋ぎ場。天幕の向き。

全部、一分の迷いもなく、てきぱきと。

リゼットが、地図を広げた。

焚き火の明かりの下で、今日進んだ距離を書き込む。街道沿いの村で聞いた話を、記録板に書き留める。ネーベルフルトの霧の季節。森の名前。失踪した女たちの、年齢と、職業と、消えた夜の月の形。

セラフィナが、簡易の祭壇を作った。

平らな石を三つ積んで、その上に小さな聖具を置く。祈りを捧げて、野営地の周りに、淡い金色の結界を張る。

毎晩、アルトの天幕の周りだけ、結界が二重になっていた。

誰も、役割を決めていなかった。

三人が、自然に、それぞれの持ち場に散っていた。

アルトは、焚き火の前に座って、それを見ていた。


(……チームだ)


救護室で、二人は目を合わせなかった。小鑑定室で、三人は牽制し合っていた。

それが、野営地では、言葉もなく動いていた。

それぞれが、自分にできることを、黙ってやっていた。

ロッサだけが、何もしていなかった。

焚き火の前に、あぐらをかいて座っていた。

骨付き肉を、炙っていた。


三日目の夜。

夕食が終わって、焚き火の周りに全員が座っていた。

クラウディア。セラフィナ。リゼット。ロッサ。それから、アルト。

若い騎士は、草地の端で見張りに立っていた。

焚き火が、ぱちぱちと爆ぜていた。

その夜は、セラフィナの番だった。

日程表の、三日目の夜。「リース」。

セラフィナは、焚き火の向こうで、膝の上で縛られた手を組んでいた。五本の鎖が、炎を受けて、金色に光っていた。

ときどき、アルトの方を見た。

目が合うと、少しだけ頬を染めて、視線を落とした。

クラウディアは、直立に近い姿勢で座っていた。焚き火の向こうの闇に、警戒の目を向けている。

リゼットは、記録板に何かを書いていた。今日の進行距離の、最後の書き込み。

静かな夜だった。

虫の声。焚き火の音。遠くで、馬が鼻を鳴らす音。

ロッサが、骨付き肉の最後の一口を齧った。

骨を、焚き火の中に放り込んだ。

指についた脂を、ぺろりと舐めた。

それから、アルトの方を見た。


「なあ」


金茶色の目が、焚き火の炎を映していた。

にやにやと、笑っていた。


「お前、本当はヤりたいんだろ」


焚き火が、ぱちんと大きく爆ぜた。

セラフィナの鎖が、鳴らなかった。

クラウディアの視線が、闇から、焚き火の前に戻った。

リゼットのペンが、記録板の上で止まった。

三人が、一斉に、ロッサを見た。

それから、三人が、一斉に、アルトを見た。


(……っ)


ロッサは、気にした様子もなかった。

あぐらをかいたまま、膝に肘をついて、アルトを見ていた。


「ギルドで初めて会ったときから、ずっとそう思ってた。顔に書いてあるって言ったろ」


「……ロッサ殿」


「で、この三日、担いで歩いてて、確信した」


ロッサは、自分の肩を、ぽんと叩いた。


「お前、担がれてるとき、ずっと心臓がうるさかった。あたしの肩に、どくどく響いてた」


(バレてた)


(肩越しに、心拍、バレてた)


「笑うと、もっとうるさくなった」


(そこまで)


「あたしが汗かくと、また、うるさくなった」


(そこまで、バレてた)


アルトは、焚き火の前で、背筋を伸ばしていた。

穏やかな顔をしていた。


(否定しないと)


(ここで否定しないと、全部、終わる)


(でも、この人の前で、否定しても)


(2……3……5……)


(この三日、担がれてる間ずっと数えてたから、もう、素数が残ってない)


(7……11……むり、むり)


「……ロッサ殿の、肩の上は、揺れますので」


アルトの声は、穏やかだった。


「心拍が、上がるのは、当然かと」


ロッサは、しばらくアルトを見ていた。

それから、にかっと笑った。


「そうか」


「ええ」


「そういうことに、しといてやるよ」



焚き火の周りが、静かになった。

誰も、何も言わなかった。

ただ、三人の視線が、焚き火を挟んで、交差していた。

セラフィナが、クラウディアを見た。クラウディアが、リゼットを見た。リゼットが、セラフィナを見た。

三人とも、同じことを考えている顔をしていた。

どうする。

三人とも、アルトのことは知っていた。

セラフィナは、儀式の日から。クラウディアは、花の香油の夕暮れから。リゼットは、心拍計の山脈から。

けれど、三人とも、それを口に出したことはなかった。

アルトの建前を、三人は、それぞれのやり方で、守ってきた。

ロッサは、それを、焚き火の前で、何の前置きもなく、言ってのけた。


「……ロッサ殿」


クラウディアが、低い声で言った。


「軽々しく、そのようなことを」


「軽くないぞ。本気で言ってる」


「なおさら、です」


「なんでだ?」


ロッサは、首を傾げた。

本気で、分からないという顔だった。


「本当のことだろ。お前らだって、知ってるだろ」


三人が、黙った。

否定は、しなかった。

ロッサは、焚き火の向こうの三人を、順番に見た。

神官。副長。研究員。

それから、もう一度、アルトを見た。

金茶色の目が、さっきまでとは少しだけ違う光を帯びていた。


「なあ」


ロッサは、言った。


「あたし、契約の枠、空いてるって聞いたんだけど」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。