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第36話 遠征、三週間


「女ばかり、もう十一人消えてる」


冒険者ギルド王都本部の、二階の会議室。

ギルド長のハンナ・クロイツが、机の上の依頼書を指で叩いた。

赤い縁取りの羊皮紙。指名依頼の印。


「辺境のネーベルフルト。霧の多い町だ。この二か月で、若い女が十一人、夜のうちに森へ消えた」


会議室の長い卓の周りに、人が並んでいた。

ギルド長の隣に、ロッサ。大剣を椅子の背に立てかけて、腕を組んでいる。

その向かいに、蒼薔薇騎士団の副長クラウディア。王都大神殿のセラフィナ。王立魔導院のリゼット。

それから、卓の端に、七都商盟のマルグリット。

そして、その全員に囲まれるように、アルトが座っていた。


(……なんで、俺がここに)


「消えた女たちは、皆、同じことを言い残している」


ハンナは、依頼書の下に添えられた報告書をめくった。


「『森で、素敵な殿方に呼ばれた』と」


会議室が、静かになった。


「殿方」


クラウディアが、眉をひそめた。


「森の中に、男が」


「いるわけがない。ネーベルフルトの男は、全員町の中で、家に閉じこもってる。数えたら、一人も欠けていない」


ハンナは、報告書を卓の上に置いた。


「つまり、男じゃない何かが、女を呼んでいる」


「魔物、ですね」


リゼットが、記録板に書き留めた。


「人を誘う類の。魅了の性質を持つものと推定します」


「推定でいい。とにかく、討伐が要る」


ハンナは、ロッサを顎で示した。


「指名は、ロッサだ。王都で一番強い。ただ、相手が魅了を使うなら、腕っぷしだけじゃ足りないかもしれない」


「それで、合同派遣を」


クラウディアが、引き取った。


「騎士団から、私が。軍務院の承認は、すでに得ています」


「神殿からは、私が参ります」


セラフィナが、静かに言った。


「人を誘う魔物なら、浄化の祈りが要るかと。神官長様のお許しも、いただきました」


「魔導院からは、私が」


リゼットが、記録板を閉じた。


「現地の調査と、魔物の性質の分析を担当します」


ハンナは、卓の周りを見回した。

ロッサ。クラウディア。セラフィナ。リゼット。


「……四人か。悪くない」


それから、卓の真ん中に座っているアルトを見た。


「で、問題は、そっちだ」


全員の視線が、アルトに集まった。


「遠征は、三週間を見込んでいる」


ハンナは、指を三本立てた。


「ネーベルフルトまで、馬車で四日。現地の調査に一週間。討伐に、うまくいって数日。帰りに四日。余裕を見て、三週間」


「三週間」


アルトは、繰り返した。


「その間、神官と、副長と、研究員が、王都を離れる」


ハンナは、リゼットを見た。

リゼットが、記録板を開いた。


「【ステータス貸与】は、最後の供給から七日間は満額で維持されます。七日を過ぎると、半減。十四日を過ぎると、さらに半減」


彼女は、淡々と続けた。


「三週間、供給がなければ、三人の受領値は、四分の一まで落ちます。……魅了の魔物を相手に、それは」


「致命的です」


クラウディアが、言った。

会議室が、静まり返った。

アルトは、自分を囲む視線を、一つずつ見返した。

ハンナ。ロッサ。クラウディア。セラフィナ。リゼット。マルグリット。

全員が、同じ結論に辿り着いていた。


「……つまり」


アルトは、ゆっくりと言った。


「私も、同行する、と」


「そういうことだ」


ハンナが、頷いた。


「駄目です」


フェンネル家の居間で、母のマルタが言った。

声が、震えていた。


「辺境の、魔物の出る森に、アルトを?三週間も?」


「母上」


「駄目です。絶対に、駄目」


母は、アルトの手を両手で握りしめた。


「この子は、男の子なのよ。外出には付き添いが要るの。辺境の森に、付き添いもなしに、三週間なんて」


「付き添いの件でしたら」


居間の入口から、声がした。

神殿の法務官だった。

天賦の儀の日、婚姻法を説明して、審議会の正式名を二度噛んだ人。今日は、分厚い書類の束を抱えていた。


「男性保護法第十二条。外出時の付き添いは、家族、もしくは家族が認めた者、もしくは」


法務官は、書類をめくった。


「当該男性と、公的に登録された協力関係にある者が、これを務めることができる」


「……協力関係」


「契約者の皆さまは、全員、審議会に契約報告が出ています。公的に登録された協力関係です」


法務官は、書類を母の前に差し出した。


「ですので、遠征中の付き添いは、契約者の皆さまが務めることで、法の要件を満たします」


母は、書類を見下ろした。


一頁目。二頁目。三頁目。


条文が、びっしりと並んでいた。

母は、四頁目で、書類を置いた。


「……法律が、そう言うなら」


声が、小さかった。

それから、アルトの手をもう一度握った。


「無事に、帰ってくるのよ」


「はい、母上」


母の後ろで、父のハインツが、黙って懐から小瓶を出していた。


出発は、四日後と決まった。

その四日間で、準備が進んだ。

騎士団から、馬車と馬と、野営の道具。神殿から、浄化の聖具と、治癒の薬草。魔導院から、計測器の携帯版と、それから第七号。

七都商盟が、補給の手配をした。


「第七号は、遠征中も週に一度、補給の馬車を出します」


マルグリットが、日程表を広げて説明した。


「製造は魔導院、流通は当盟。王都からネーベルフルトまで、当盟の支店が街道沿いに三つあります。そこを中継して、四日で届けます」


「……先日の契約が、さっそく」


リゼットが、記録板から顔を上げた。


「ええ。製造と流通の、初めての実地です」


マルグリットは、微笑んだ。

それから、少しだけ表情を曇らせた。


「私は、王都に残ります」


「残る」


アルトが、聞き返した。


「補給線を回す者が要りますので。それに、港湾都市の保険の立ち上げが、ちょうど始まったところです。期限もあります」


ベルナデットとの約束だった。この夏が終わるまでに、成果を見せること。


「ですので、遠征の三週間、私には供給がありません」


マルグリットは、日程表の端に、小さな数字を書いた。


「七日目まで、満額。十四日目まで、半分。二十一日目で、四分の一」


彼女は、その数字を見下ろした。


「……技能の貸与が、四分の一」


ペンの先が、紙の上で止まっていた。


「三週目には、手形の書式を考えるのに、今の四倍の時間がかかる計算です」


「それは」


「契約上の、損失です」


マルグリットは、きっぱりと言った。

それから、帳簿を閉じた。


「戻られたら、改めて、協議させていただきます。……それから、五枠目の件も」


「五枠目」


「壁を越えて、枠が五つになりました。四つは埋まっています。残りの一つについて、当盟から、ご提案したいことがありますので」


マルグリットは、穏やかに微笑んだ。

商談用の、隙のない微笑みだった。


(……五枠目も、取る気だ、この人)


出発の前夜。

フェンネル家の居間に、四人が集まっていた。

セラフィナ。クラウディア。リゼット。ロッサ。

居間の机の上に、一枚の羊皮紙が広げてあった。

リゼットが作った、遠征中の日程表だった。

横に日付。縦に、朝、昼、夜。二十一日分の升目が、細い線で引いてある。


「遠征中の、供給の日程です」


リゼットが、記録板を見ながら説明した。


「三人の受領値を満額で維持するには、それぞれ七日に一度の供給が必要です。野営の都合を考慮して、日程を組みました」


升目の中に、名前が書き込まれていた。

一日目、夜、空欄。二日目、夜、空欄。三日目、夜、「リース」。


「……三日目が、私なのですね」


セラフィナが、静かに言った。


「出発前日に、王都で供給を済ませる方が多いので、遠征中の最初の供給は、最も早く減衰が始まる方からとしました」


「最も早く」


「リース神官の前回の供給は、四日前です」


セラフィナの鎖が、しゃら、と鳴った。


「……四日前の、ことまで」


「記録しておりますので」


(なんか、ぴりっとした)


「五日目、夜、ヴァイス」


クラウディアが、升目を指でなぞった。


「七日目、夜、ハーシェル」


「はい」


「……ご自分の分も、ちゃんと入れているのですね」


「当然です。私の受領値も、調査の精度に関わりますので」


リゼットは、眼鏡を押し上げた。


「それから、天幕の割り振りです」


リゼットが、日程表の下に、もう一つの表を描いた。


「野営では、天幕を三つ使います。騎士団の大天幕を一つ。小天幕を二つ」


「小天幕の一つは、フェンネル殿の専用に」


クラウディアが、言った。


「護衛の観点から、天幕の入口は、私の大天幕から見える位置に」


「浄化の結界も、張らせていただきます」


セラフィナが、言った。


「森の近くでは、魔物が寄ってくるかもしれませんので。フェンネル様の天幕の周りに、毎晩」


「計測器を、天幕の中に設置したいのですが」


リゼットが、言った。


「夜間の心拍の推移を、記録したく」


「それは、必要なのでしょうか」


セラフィナが、柔らかく聞いた。


「調査の一環です」


「夜間の心拍が、魔物の調査に、どう関わるのでしょう」


「……魅了の魔物が近づいた場合、対象の心拍に変化が出る可能性が」


「その場合は、私の結界が反応いたしますので」


「結界の反応と、心拍の記録は、別のデータです」


「護衛の観点から申し上げれば」


クラウディアが、割って入った。


「天幕の中に計測器があると、夜間の見回りの際、紐に足を取られる危険が」


「紐は、壁際に這わせます」


「それでも」


三人の声が、居間の中でぶつかり始めた。

日程表と、天幕の表の上で、指がいくつも行き来した。

アルトは、居間の隅の椅子に座っていた。

三人が、アルトの天幕の位置と、アルトの夜間の心拍と、アルトへの供給の順番について、議論していた。

誰も、アルトの方を見ていなかった。


(……俺、物資扱い?)


(遠征に持っていく、物資)


(第七号と、聖具と、計測器と、俺)



その間、ロッサは何も言わなかった。

居間の窓際の床に、あぐらをかいて座っていた。

大剣を膝の上に置いて、その刃を布で拭いていた。ゆっくりと、何度も。

三人の議論を、聞いているのか聞いていないのか分からない顔で。

ときどき、ちらりとアルトを見た。

金茶色の目が、にやにやと笑っていた。

アルトは、その目から視線を外した。

ロッサは、また大剣を拭き始めた。

日程表の升目には、三人の名前だけが書いてあった。

ロッサの名前は、どこにもなかった。


翌朝。

フェンネル家の玄関の前に、騎士団の馬車が停まっていた。

二頭立ての、幌のついた大きな馬車。荷台には、野営の道具と、聖具と、計測器と、第七号の木箱が積まれている。

その横に、騎馬が二頭。クラウディアと、もう一人の若い騎士が手綱を握っていた。

セラフィナとリゼットは、馬車の中にいた。

家族が、玄関の前に並んでいた。

母は、ハンカチを握りしめていた。エルゼは、アルトの襟を三回直した。ヘルガは、揚げ菓子の袋を押しつけてきた。父は、黙って肩に手を置いた。


「いってまいります」


アルトは、家族に一礼した。

それから、馬車の方へ歩き出した。

その時だった。

背後から、足音がした。

いや、足音はしなかった。

気配だけがした。

振り返る前に、体が浮いた。

視界が、ぐるりと回った。

気がつくと、アルトは誰かの肩の上に、荷物のように担がれていた。

日焼けした肌。赤い短髪。土と、焚き火と、汗の匂い。

ロッサだった。


「遅い」


ロッサは、アルトを肩に担いだまま、馬車の方へ歩き出した。


「担いでく」


母が、悲鳴を上げた。

エルゼが、口を開けて固まった。

ヘルガが、揚げ菓子を落とした。

父は、黙って懐から小瓶を出した。


(担がれてる)


(出発の朝に)


(家族の目の前で)


アルトは、ロッサの肩の上で、穏やかな顔をしていた。


「……いってまいります」



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