6.再会
ミシェルがジャックと結婚して、十年の月日が流れた。崖崩れの事故から始まった二人の関係は、店主と従業員となり、そして夫婦へと形を変えた。この十年で経営する店舗は増え、二人の間には九歳になる息子がいた。
その日、ジャックは息子を連れて王都へ出かけていた。王都で開催されていた商品展示会に足を運び、流行りの品を仕入れるのが目的だった。ジャックたちの王都での滞在予定は一週間だった。
夫と息子の見送りを終えたミシェルは、いつも通り店舗の見回りへと出かけた。長年の習慣で、朝の冷たい空気を吸いながら歩いていくと、頭の中が妻から経営者へと切り替わった。
通りの角を曲がったところで、ミシェルは足を止めた。車輪の壊れた馬車が、道の端に停まっていた。昨日降った雨のせいで、地面はぬかるんでいた。車輪が泥にはまり、それを無理に引き揚げようとして、外輪を破損させたのだろう。
「大丈夫ですか?」
ミシェルが声をかけると、馬車の傍らに立っていた身なりの良い男が振り返った。
「お気遣いありがとうございます」
そう答えた男の顔を見た瞬間、ミシェルは息をするのを忘れた。十年前に別れた、ピエールだった。
「ミシェルなのか……?」
ピエールの目には、こぼれ落ちそうなほど涙が溜まっていた。突然再会したミシェルを、ピエールはぼやけた視界で見つめていた。
ミシェルは何も言えず立ち尽くした。目の前のピエールは、十年の歳月を経ても、あの日のままだった。
ピエールは、ミシェルが王都を去った後、必死に行方を探したそうだ。ミシェルの実家を訪ね、両親から目的地を聞き出し、その地方都市へと向かった。しかし、そこにミシェルの姿はなかった。
「君が平民だということは、とっくに知っていたよ」
ピエールは、あの頃と変わらない笑みを浮かべた。
「父が調べる前から、僕は気づいていた。それでも、関係ないと思っていた。身分がどうであれ、僕は君を愛していたから」
ミシェルは小さくため息をついた。ピエールがそこまで想っていたことを、当時のミシェルは知らなかった。何も告げずに、逃げるように王都を去った過去の自分が、恥ずかしかった。
声を弾ませて話すピエールに、ミシェルは申し訳ないと思いながら、店舗の開店準備があることを伝えた。どうしても、時間を割けなかった。
でも、せっかく再会できたピエールと、もう少し話していたかった。だから、ミシェルは思い切って提案した。
「今夜、お食事でもいかがですか?」
ピエールとレストランで会えば、町中の噂になるだろう。幸い、夫と息子は王都に出かけて留守だった。ミシェルはピエールに自宅の場所を伝えた。
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その日の夜、食事の支度をしていると、扉を叩く音がした。ピエールだ。
貴族の男がそのままの格好で平民の家を訪ねれば、人目を引く。ピエールは馬車を使わず、粗末な服に着替え、徒歩でやってきた。ピエールの変装は、十年前よりもずっと様になっていた。
「平民にしか見えないわね」
ミシェルが声を弾ませると、ピエールは頬を緩めた。
「散々、君に練習させられたからね」
ミシェルが目を細めると、ピエールは頭をかいた。その仕草に、ミシェルは思わず吹き出した。テーブルを囲んで、夕食が始まった。
十年振りだったけれど、お互いに緊張することなく、昔話に花が咲いた。
ピエールは、王都を去ったミシェルを二年間探し続けた。しかし、見つけることはできなかった。落胆するピエールは、父の強い勧めで、スミス子爵家へ婿入りした。今では妻と二人の息子とともに、穏やかな日々を送っているそうだ。
「幸せですか?」
ミシェルが尋ねると、ピエールはテーブルの一点を見つめた。
「今の暮らしに、不満はないよ」
ピエールは十年を吐き出すように、小さくため息をついた。
続いて、ミシェルも自分の十年を語った。王都を発って目的地に向かう道中、崖崩れに巻き込まれたこと。瀕死のところをジャックに救われ、意識を失っている間、彼が献身的に看病してくれたこと。お礼のために店を手伝ったこと。そして、結婚に至ったこと。今は九歳になる息子がいること。
「夫と息子は、王都の展示会に出かけていて、留守なの」
ピエールは笑みを浮かべて、ミシェルの話を聞いていた。
「馬車の修理に一週間かかる。それまで、この町に留まる予定なんだ。特にすることもないのだけれど……君の夫と息子が戻るまでの間、僕と夕食を一緒にしてくれないか?」
ピエールはまっすぐにミシェルを見つめた。
ミシェルは何と返すか言葉に詰まった。二人は恋人ではない。それぞれに家庭があり、配偶者と子供がいる。あの頃のように、燃え上がる恋に落ちることはない。ただ、久しぶりに再会した旧友と、積もる話をするだけだ。
「いいわよ」
ミシェルが照れたように頷くと、ピエールが笑みをこぼした。
燭台の火が部屋を橙色に染めていた。




