5.事故とジャック
地方都市を目指して王都を離れたミシェルは、馬車に揺られていた。実家の雑貨屋を手伝ってきた経験から、どんな商品が売れ筋になるのか、どう陳列すれば客の目を引くのかを、ミシェルは知っていた。手切れ金の半分を元手に、新しい土地で雑貨店を開く。それが、ミシェルの計画だった。
馬車に乗って三日が経った頃、険しい山道へと差し掛かった。切り立った崖が続き、馬車は狭い道を進んだ。ミシェルは膝の上に置いた鞄を握りしめながら、崖下を見ないようにしていた。
そのとき、地鳴りのような轟音が響いた。
「崖崩れだ!」
御者の叫び声が聞こえると同時に、馬車が大きく揺れた。窓の外から、土砂と岩の塊が滝のように流れてくるのが見えた。
ミシェルは馬車ごと崖下へと突き落とされた。そこから先の記憶はない。
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「ここは?」
目を覚ますと、ミシェルは知らない部屋の寝台の上にいた。木の梁が剥き出しの天井、窓から差し込む光。ここがどこなのか、わからなかった。
寝台の横にはミシェルの鞄が置かれていた。室内を見回すと、壁際に男が座っていた。年の頃は三十前後だろう。ミシェルが立ち上がろうとすると、男は目を見開いて立ち上がった。
「良かった! 本当に……良かった!」
男は目に涙を浮かべて、何度も呟いた。
「あの……ここは?」
かすれた声しか出なかった。男は慌てて水を汲んできて、ミシェルに手渡した。ミシェルが喉を潤すと、男は事情を説明した。
男の名はジャック・エルベール。この町で雑貨店を経営しているそうだ。
あの日、ジャックが隣町へ商品の仕入れに向かう途中、崖崩れに巻き込まれた馬車を発見した。ジャックは崖を下り、潰れた残骸から生存者を探した。生きていたのはミシェル一人だけだった。
ジャックはミシェルを背負い、自宅まで運んだ。医者を呼び、できる限りの手当てを施した。ミシェルの意識は二週間、戻らなかったそうだ。
「もう、目を覚まさないんじゃないかと……」
ジャックはまた目元を拭った。見ず知らずの自分のために、ジャックはこれほどまでに親身になってくれた。ミシェルは目の縁がじんわりと赤くなった。
ミシェルはお礼を伝え、鞄から金貨を差し出そうとした。命を救ってもらった恩は、金で返せるものではない。そうだとしても、他にジャックに恩を返す術を知らなかった。
「お金は要りませんよ。困っている人を助けるのに、見返りは必要ありませんから」
ジャックは首を横に振った。ジャックの経営する店舗は繁盛しており、生活には困っていなかった。それでも、ミシェルは何か別の形で恩を返したかった。
「お金が不要でしたら、お店を手伝わせてくれませんか? 実家の雑貨店を手伝っていたので、商品の目利きはできます」
ジャックは口をぽかんと開けたが、やがて「それで気が済むなら」と頭をかいた。
***
ジャックの店は、主に生活用品を扱う雑貨店だった。石鹸、蝋燭、鍋や布地など、生活に欠かせない商品が並んでいた。ミシェルが王都の実家で扱っていたような、流行の商品や、富裕層向けの嗜好品は取り扱っていなかった。
それは、他の店も同じだった。この町には、王都の最新の商品を扱う店が一つもなかった。
「この町では買えない、王都でしか手に入らないような商品を扱ってみませんか?」
どんな商品が、どんな客層に、どれくらい売れるのか。ミシェルは実家での経験をもとに説明した。最初は半信半疑だったジャックも、詳細を聞くうちに、目を輝かせた。
「面白いね。やってみよう!」
ジャックの決断は早かった。
ミシェルはすぐに王都の卸業者への手紙を書き、商品の仕入れを手配した。届いた品々を店先に並べ替えた。ミシェルは、商品の配置の方法、価格の見せ方、販売時の宣伝文句を店舗の従業員に伝えた。
ミシェルの読みは見事に的中した。
「王都でしか買えない品が、手に入るらしい」という噂は、瞬く間に周辺の町や村へ広まった。近隣住民は、こぞってジャックの店を訪れるようになった。開店前から行列ができる日もあり、店の売上は三倍に増えた。
「こんなに賑わうなんて、思ってもみなかったよ」
閉店後、ジャックは帳簿をつけながら、ミシェルに苦笑いした。
「知らない女に騙されたと思いましたか?」
ミシェルが目を細めると、「どうかな?」とジャックは頭をかいた。
ジャックに恩返しできたという実感に、ミシェルは頬をゆるませた。
王都での日々、ピエールとの思い出は、忘れていない。それでも、新しい場所で自分の居場所を見つけられた。
店先に並んだ商品を整えながら、ミシェルは窓の外を見た。茜色の光が、通りを柔らかく照らしていた。




