3.平民の祭
翌週、ミシェルは待ち合わせ場所の広場へと向かった。下町で祭が開かれる日だった。通りには同じ形、同じ色の提灯が吊るされ、屋台の準備をする人の声で賑わっていた。
貴族の男女が平民の祭りに紛れ込めば、目立ってしまう。ミシェルはピエールに、平民に変装して来てほしいと頼んでいた。
広場に着くと、ピエールが噴水の前に立っていた。ピエールは目立っていた。とても目立っていた。
たしかに、変装しようと努力した跡は見て取れた。しかし、着用していたのは厚手のツイードのジャケットに、光沢のある革のブーツ、狩猟用の帽子だった。それは平民の服装ではなく、貴族が郊外へ狩りに出かける格好だった。
貴族が祭会場に狩りをしに来たのか? そういう光景だった。
「……あの、その服装は?」
ミシェルは咳払いをしながら、なんとか笑いを堪えた。
「変ですか? 目立たないように変装できたと思ったのだけど」
ピエールは不安げに自分の服装を触った。困った仕草が、おかしくて、愛おしかった。
「近くに洋品店があるから、まずは着替えましょう」
ミシェルはピエールの腕を引いて、広場の脇にある洋品店へ向かった。店主に事情を話し、ありふれた木綿のシャツと、古着のズボンを見繕ってもらった。着替えを終えたピエールは、鏡の前で苦笑いしていた。
「なんだか、自分でないような気がします」
「よく似合っていますよ」
ミシェルが微笑むと、ピエールは頭をかいた。
祭の会場は人で溢れていた。屋台から漂う香ばしい匂い、子供の笑い声、楽器の音。下町全体が盛り上がっていた。
ピエールは屋台で売られていた料理に興味津々だった。串に刺さった肉、油で揚げた菓子、赤い飴に包まれた果物。どれもが、貴族の食卓には並ばない、庶民に親しまれてきた料理だった。
「これは、何と言う料理ですか?」
ピエールは串焼きの肉を指差しながら尋ねた。
「名前はありません。ただの串肉です」
ミシェルは屋台の主人から串肉を二本受け取った。串肉を手にしたピエールは、その場で動かなかった。きっと、食べ方を知らないのだろう。
「こうやって、端から食べるんですよ」
ミシェルが手本を見せると、ピエールは見よう見まねで串を口に運んだ。
「美味しい! こんな食べ物があるなんて、知らなかった」
「良かったわ」
「ミシェルは詳しいのですね」
ピエールは串肉を頬張りながら、声を弾ませた。
詳しいのは当然だ。ミシェルは下町で生まれ育った雑貨屋の娘なのだから。
それからも、ミシェルはピエールといろんな場所に出かけた。市場での買い物、川沿いの散歩道、夕暮れ時の橋の上。どこへ行っても、ミシェルが案内する景色に、ピエールは目を輝かせた。ミシェルにとっての日常は、ピエールにとっては、新しく魅力的な世界だった。
「ミシェルと一緒だと、世界がこんなに広く見えるのですね」
ある日、川沿いを歩きながら、ピエールがぽつりと呟いた。
その言葉を聞いて、嬉しかった。けれど、苦しかった。
ミシェルは自身を貴族令嬢だと偽ったことが後ろめたかった。その後ろめたさは日に日に大きくなっていた。
ピエールと何度も会った。平民のミシェルはピエールの婚約者にも恋人にもなれない。そろそろ、本当のことを打明けないといけなかった。
雑貨屋の娘だと打ち明ければ、ピエールはどう思うだろうか?
騙されたと憤るだろうか? それとも、失望して離れていくだろうか?
考えただけで、呼吸が苦しくなった。真実を告げれば、ピエールとの幸福な時間は永遠に終わる。
――このままでいいのだろうか?
ピエールと会った夜、ミシェルはいつも自分に問いかけた。
答えは、いつも同じだった。良いはずがない。
ミシェルはピエールを愛していた。けれど、貴族であるピエールと、平民であるミシェルは、決して結ばれることはない。いつか終わりが来るのなら、傷が浅いうちに身を引くべきだ。
でも、ピエールに会うと、その決意はあっけなく崩れた。ピエールと離れたくない気持ちが、理性を上回った。
離れなければいけない。でも、離れられなかった。




