2.舞踏会
ピエールが差し出した手を、ミシェルはそっと取った。指先が触れると、ピエールの熱がじんわりと伝わった。心臓の鼓動が速くなった。
ピエールにエスコートされて、ミシェルは会場の中央へと進んだ。会場には何組かの男女が踊っていた。招待されていないミシェルがその中に加わることになった。緊張で逃げ出したいけれど、後には引けない。
二人は向かい合って立った。ヴァイオリンの高音が響き渡ると、ピエールは腕をミシェルの腰に回した。触れられた場所から、ピエールの熱を感じた。ミシェルは微笑んで、指先でピエールの胸元をなぞった。緊張を悟られないための、精一杯の演出だった。
序盤は、ゆったりとしたテンポで曲が流れていた。ピエールのリードは滑らかで、ミシェルは身を委ねるだけで、自然と身体が動いた。教会で習ったステップを間違えることもなかった。上流階級の舞踏会で堂々と踊れたことに、ミシェル自身が一番驚いていた。
「上手ですね」
ピエールが耳元で囁いた。ミシェルは耳が熱くなるのを感じながら、小さく首を振った。
「あなたのリードが良いからです」
「いいえ、あなたのステップが完璧だからですよ」
短い会話の間にも、二人の距離は少しずつ縮まっていった。
やがて曲のテンポが上がった。ヴァイオリンの高音が速くなり、チェロの低音のリズムも力強さを帯びた。ミシェルはダンスに集中するあまり、周囲の音が遠のいていくのを感じた。来場者の話し声が消え、楽器の音色もぼやけていった。まるでフロアにピエールと二人きりでいるかのような、不思議な感覚だった。
ピエールのリードが上手いのか、それとも二人の相性が良いのか。ミシェルには判別がつかなかった。ただ、ピエールの足運びも、視線も、呼吸のタイミングも、ぴたりとミシェルと重なるのがわかった。ピエールが半歩踏み出せば、ミシェルも自然と半歩下がった。ピエールが視線を上げれば、ミシェルも同じ高さで見つめ返した。
ピエールのエスコートに合わせて、ミシェルは大きくターンした。裾がくるりと波打ち、ドレスの青い布地が舞った。二人の距離は大きく離れ、また縮まった。ピエールの手がミシェルの腰に戻った。
周囲の招待客は踊るのを止め、会場の中心の二人に視線を向けていた。若い令嬢は扇で口元を覆って囁いていた。初老の紳士は感心したように頷いていた。
ミシェルとピエールは、周囲の視線には気づかなかった。二人の意識は、互いの動き、視線、呼吸だけにあった。
曲が終盤に差し掛かった。ヴァイオリンの音色が駆け上がり、ミシェルはピエールに導かれるまま、最後のターンをした。ドレスの裾が大きく広がり、会場に花が舞うようだった。
曲が終わった。
ミシェルとピエールは、会場の中央でぴたりと静止した。ミシェルの額には汗が光り、乱れた呼吸で胸が上下していた。ピエールに笑顔が自然にこぼれた。二人が礼をすると、会場は拍手に包まれた。その音を聞いて、ミシェルは大勢に見られていたことに気づいた。耳が赤くなった。
「そろそろ行かないと」
ミシェルは苦笑いした。招待客ではないミシェルが、これ以上ここにいてはいけない。姉を探しているという嘘は、すぐにピエールに見破られるだろう。それに、ピエールと一緒にいたら、ミシェルが平民であることを、うっかり口にしてしまいそうだった。
「次はいつ会えるかな?」
ピエールは名残惜しそうだった。その顔を見て、胸がぎゅっと締め付けられた。許されるなら、ミシェルも会いたかった。ダンスの余韻がまだ消えていない。もう一度、あの曲に二人だけで浸りたかった。
このまま立ち去ると、二度とピエールに会うことはない。ぼんやりと会場を見た。
「来週のお祭りに、行きませんか」
ミシェルの口から自然に言葉が出た。来週開催される下町の祭。貴族が訪れる場所でないことは分かっていたが、他にいい案が浮かばなかった。
「ええ、ぜひ」
ピエールは頬をゆるめた。ミシェルはピエールと約束を交わすと、会場を後にした。
歩き出したミシェルは会場を振り返らなかった。煌びやかなシャンデリアの光、楽団の音色。もう二度と立ち入ることはない。夜風が髪を揺らした。
ミシェルは夜道を軽い足取りで歩いた。胸の高鳴りは収まらなかった。来週の祭りが待ち遠しかった。




