3(来栖とマリアの駆け落ち)
❖同日二十二半時/神戸三宮・繁華街/来栖❖
もう、家には帰れない。
だから来栖とマリアは、夜の三宮を歩いていた。
家族とは、もう二度と会えないだろう。
そのことに一抹の不安はあった。
だが、マリアと一緒にいられるという喜びのほうが強かった。
なお、今のマリアは翼と天使の輪っかを一時的に消している。
魔力体なので、そういう器用なことができるのだ。
「これからどうしよっか、マリア?」
「敵はまだ、六柱残っている」
マリアが指折り数える。
「サタン、リヴァイアサン、ベルフェゴール、マモン、ベルゼブブ、アスモデウス。長期戦になるよ。だから、今夜はもう寝よう。宿を探さないと」
――ぐぅ~~~~……
と、マリアの腹の虫が盛大に鳴いた。
「ぷっ。魔力体でもお腹は空くんだ? 宿の前に晩ご飯だね」
「笑わないでよ、もうっ。でも、そういうものみたい。生前の感覚に引っ張られてるのかな? お腹は空くし、痛みもある」
「ふぅん。こんな時間じゃ、開いてる店なんて居酒屋かカラオケくらいしか――あっ」
中華料理屋が開いていた。
「いいね。ボク、ラーチャー大好き」
「ラーチャー? 犬?」
「ラーメン・チャーハンセットのことだよ。あと唐揚げも食べたい。……あ、でもどうしよう。お金、ないや」
マリアは財布もスマホも何もかも、あの大蛇に呑み込まれてしまったのだ。
「僕が出すよ。当たり前だろ」
「そんな、悪いよ」
「この日のために」
来栖は三百万円が入ったバックパックを叩いてみせる。
「たくさん貯めてきたんだから」
「ふふっ、そっか。そうだったね。じゃあ、甘えさせてもらおうかな」
「甘える、なんて言わないでよ」
「どういうこと?」
「だって、僕らは夫婦になるんだろ? だったらこんなの、甘えるうちに入らないよ」
「…………」
街明かりの中、マリアが呆然とした様子で来栖の顔を見つめてきた。
「な、何?」
マリアがふにゃっと微笑んだ。
「ふふっ。来栖くんってときどき、急にイケメンなこと言い出すよね」
「えっ、キモかった? わ、忘れて」
「気持ち悪くなんてないよ。すっごく格好いい。包容感があるっていうか、引っ張ってくれるっていうか。昔の来栖くんみたい」
「……黒歴史だよ。忘れて」
「黒歴史なんかじゃないよ。ねぇ、昔の来栖くんみたいに、格好つけたしゃべり方してみせてよ。『俺』って言ってよ」
「言わないっ」
「もうっ。来栖くんは、キミが思っているよりずっと格好いいのに」
店に入る。
来栖はラーメンと半チャーハンを注文した。
一方のマリアは、ラーメン大盛りとチャーハン大盛りと唐揚げ十人前を注文した。
(そうだった! マリアって、超大食いなんだった)
四人席に、収まりきらないほどの皿が並ぶ。
実際、収まっていない。
特に唐揚げの量が尋常ではない。
「置ききれやせんね」と店員。「皿が空きやしたら、順次持ってきやすんで」
「いえ、大丈夫です」
唐揚げを持ったまま戻ろうとする店員を、マリアが止めた。
「すぐにお皿を空けちゃいますので」
「へぇ。二皿分を一皿に寄せるってことですかい? って、えええええっ!?」
店員がおったまげた。
マリアが一個一秒のペースで唐揚げを食べ始めたからだ。
(……知ってた)
来栖は天を仰ぐ。
一秒で一個。
二秒で二個。
十秒で十個。
「店員さん、唐揚げ十人前追加で」
「はぁっ!? 本気ですかい?」
店員が来栖を見てきた。
来栖は苦笑しながらうなずいてみせた。
「大丈夫です。ちゃんと食べますから」
「か、カレシさんがそう言うんなら」
困惑顔で、店員が厨房に戻っていく。
「来栖くん、来栖くん!」
マリアが頬を染めながら、来栖の耳元に唇を寄せてきた。
「あの店員さん、来栖くんのことをカレシさんって!」
興奮するマリアは、見ていてとても微笑ましい。
口をずっともぐもぐさせているのが玉に瑕だったが。
「こらこら。食べるかしゃべるかどちらかにしなさい」
「だって、うれしくって。来栖くんはうれしくないの?」
「うれしいよ、とっても」
「んふふっ。あ、来栖くん、コショウ取って」
「はい」
「ありがと。来栖くんもかける?」
「僕はいいよ。僕が辛いの苦手だって知ってるでしょ?」
「あはは。もう高校生にもなるのに、相変わらずお子様だね」
「言ってろ。ふーっ、ふーっ」
「おまけに猫舌。あっは、まるで赤ちゃんみたい」
「うぐぐ」
「来栖くんって表情がコロコロ変わって可愛い。やっぱり赤ちゃんだ」
「赤ちゃん言うな!」
などとやりあっている間にも、マリアの皿がどんどん空いていく。
マリアはラーメンを、まるでスープか何かのように麺ごとゴクゴクと飲み干し、チャーハンをかき込んでいく。
「ちゃんと噛んで食べないと、お腹壊すよ」
「魔力体だから大丈夫。来栖くんは食べないの?」
「いや、食べてるよ」
「全然お箸が進んでないじゃない」
「言っとくけど、これが人類として普通のペースだからね?」
「人のこと、大食いみたいに言わないでよ」
「え? あ、うん。ごめんね???」
「店員さーん、唐揚げ十人前追加で」
マリアが、実に美味しそうに食べる。
「なんでかな、すごく美味しい。こんなに美味しいの、何年ぶりだろう。いつもは、味、しないから」
「そうなの?」
来栖は首を傾げる。
それから、マリアに負けじとチャーハンをかき込みはじめた。
気がつけば、マリアの唐揚げが空っぽになっていた。
「唐揚げ、何個食べたの?」
「まだ百個くらいだよ」
「ひゃくぅ!?」
「なに驚いてるの。唐揚げは飲み物だよ、来栖くん」
「そうだったっけ? そうだったかも」
来栖は考えるのをやめた。
❖ ❖ ❖
「あのー、失礼ですが保護者の方は?」
すでに三軒目だった。
「あ、えーと。失礼します!」
ホテルの受付の刺すような視線に耐えかねて、来栖はマリアの手を引いて逃げ出した。
「ごめん、マリア。僕、寝る場所の一つも確保できないなんて」
夜の街で、来栖は無力感にさいなまれる。
「そんな、謝るようなことじゃないのに」
「でも……」
マリアに格好いいところを見せたかった手前、来栖は居心地が悪い。
「もう、ネカフェに泊まろっか」
「やだ」
「やだ、ってマリアぁ。子供みたいなこと言わないでよ」
「まだ子供だもん。ギリ子供」
「もん、って。なんで嫌なのさ?」
「だって、来栖くんと別の部屋になっちゃうじゃない」
「え、ホテルでも別の部屋を取るよ」
「えーっ、なんで!? 一緒の部屋で寝ようよ! ボクたち、結婚するんだよ? 夫婦になるんだよ? だったら同じ部屋で寝るほうが自然じゃん」
「それはそうかもしれないけど。そういうのは段階を踏んでからっていうか、いきなり同室で寝るのはいろいろすっ飛ばしすぎっていうか」
「来栖くんが中一のときまで、一緒に寝てたじゃん」
「あれはっ。っていうか、あれこそおかしかったんだって。ううっ、あのころの僕は絶対おかしかった。四六時中マリアと一緒にいたから、マリアに毒されてたんだ」
「すっかり性癖ぶっ壊されちゃって、可哀想に。誰がこんなひどいことをしたんだろうね?」
「……自己紹介かな?」
「普通のホテルは泊まれない。ネカフェやカラオケはボクがやだ。だとしたらもう、選択肢は一つだよね」
「うぅぅ……ホントに? 本当に言ってるの?」
歓楽街としての三宮は、JR三宮駅と阪神三宮駅、そしてJR元町駅の周囲にぎゅっと圧縮された街だ。
商店街から一本道を外れれば、オフィス街やビジネスホテル街が現れる。
さらにもう一本外れれば、急にラブホテルが現れたりするのだ。
「……ごくり」
お城のようなド派手な造形のラブホを見上げ、来栖はつばを飲み込む。
「あはは。リアルで『ごくり』って言ってる人、ボク、初めて見たかも」
「逆に、マリアはなんでそんなにも平然としてるの!?」
「来栖くんは、ボクと一緒にホテルに入るの、嫌?」
「い、嫌じゃないよ! 嫌じゃない、けど」
「ならよかった」
マリアが艷やかに微笑む。
「ほら、行こう」
手をつながれた。
恋人つなぎだ。
ラブホの受付は無人で、来栖たちはすんなりと部屋を確保することができた。
タッチパネルを操作しながら、マリアが楽しそうに笑った。
「なんだか、イケないことシてるみたいだね」
「そ、そう?」
マリアに手を引かれながら、来栖は部屋に入る。
マリアがベッドにダイブした。
膝丈スカートの奥が見えそうになって、来栖は必死に視線をそらす。
「来栖くん、来て」
「う、うん」
ベッドに横たわるマリアを、来栖は直視できない。
まごまごしながらベッドの端に座ると、
「来栖くん!」
マリアが背後から抱きついてきて、頬ずりしてきた。
来栖はあまりの幸福で、頭がクラクラしてくる。
「クンカクンカスーハースーハー」
マリアが来栖のつむじに鼻先を突っ込んできた。
「ちょっ、吸わないでよ!」
「来栖くんもボクのこと、吸っていいよ」
「えっ、じゃあお言葉に甘えて」
来栖は恐る恐る、マリアの輝くような美しい銀髪を一房手に取り、鼻を近づけてみた。
とたん、暴力的なほど芳醇な香りが襲いかかってきて、気を失いかけた。
匂いの中に爆炎と砂埃の臭いが混じっていなければ、本当に卒倒しているところだった。
「髪もいいけど、こっちもいいよ」
マリアが翼を受肉させた。
「うわ、もふもふだ」
「うふふ、来栖くん」
来栖は翼で全身を包みこまれた。
さらに、背後からマリアが抱きしめてくる。
マリアが来栖の肩に顎を乗せてきた。
来栖は多幸感でいっぱいだ。
「ね、キスしよ」
マリアが耳元で囁いた。
「さっきしたじゃないか」
「さっきのはキスじゃなくて魔力譲渡だよ」
「うぅ。……ん」
来栖は目を閉じる。
「ん、じゃなくて」
マリアにチョップされた。
「乙女じゃないんだから、そっちから来なさい」
「なぁっ!?」
無意識にキス待ち顔になっていた来栖は、消えたくなるほど恥ずかしくなった。
「そういうのは、いいから。ほら」
マリアが来栖の正面に回り込んできて、顔を近づけて目を閉じた。
目の前数センチ先に、大好きな幼馴染の可愛らしくも美しい顔がある。
来栖は最高の幼馴染の、艷やかな唇にキスしようとしたが、
「ほら来栖くん、据え膳食わぬはなんとやら、と古事記にも書いておるでな。ほら、ちゅーっ」
「~~~~~~~~っ」
結局は日和って、マリアの唇ではなく彼女の左目の下、キュートな二つの泣きぼくろの間にキスをした。
「……は?」
マリアの目が据わった。
「ヒエッ」
「これは懲罰だよ!」
来栖はマリアに押し倒された。
馬乗りになったマリアに、思いっきりキスされる。
「んぅっ、ぷはぁっ。マリア、息ができないっ」
「来栖くんが悪いんだからねっ」
「マリアっ」
しばし、熱烈なキスを交わした。
「ね、来栖くん、何の味がした? レモン味?」
「……唐揚げにかかってた、ね」
「そのとおりすぎるっ」
マリアがケラケラと、幼い子供みたいに笑った。
それから急に、妖艶な大人の笑みを浮かべる。
「ね、続きも、しよ?」
来栖はいよいよ、頭が沸騰しそうになる。
「つ、続き!? そういうのは、付き合ってからっていうか、それこそ結婚してから――」
「え、ボクらって付き合ってなかったの?」
「フったのはマリアのほうだろ!?」
「知らなーい。あ、そっか。来栖くんは、ボクのカレシじゃなくてご主人様、マスターだっけ。どうぞ、ボクの体をお好きなようにお使いください、マスター」
「や、やめて! ホントにやめて!」
「あはは、ごめんってば。でもさ、冗談抜きで、しようよ。ボクたちこれから、一生一緒なんでしょ? 家族になるんだよ。だったら、しないほうが変だよ。ボクはしたいな。来栖くんは、ボクとしたくないの?」
来栖の視線がさまよう。
魅力的すぎるマリアの顔、胸、乱れたスカートから伸びる足。
「で、でも、心の準備が――んぷっ」
「ぷはぁっ。意地悪なことばかり言うのは、この口?」
マリアが来栖に馬乗りになって、服を脱ぎはじめた。
「待って! 待って待って待って、先にシャワー浴びさせて!」




