2(来栖の魔力総量)
「百万、だよね」
マリアが誇らしげに言った。
テンプル騎士団のエース・オブ・エースの、さらに十倍。
それが、阿ノ九多羅来栖という人間の魔力総量なのだ。
かつては『百年の一人の逸材』とすら言われた彼の、類まれなる才能。
ならば来栖が世界最強なのかと言われると、それは違う。
三年前のあの日から、来栖が十三ミリリットル分以上の魔力を一度には扱えなくなってしまったからだ。
来栖は魔力操作の天才で、たったの十三ミリリットルの中に実に数百単位もの魔力を圧縮することができる。
だから、来栖はたった十三ミリリットルの魔力でも数百メートルからの落下から生還することができるのだ。
「んはぁ、だいぶ回復してきた」
マリアが来栖の魔力をゴクゴクと飲み干す。
「もうちょっともらえる?」
今度は、問答無用でキスされた。
しかもディープなやつを、だ。
来栖の体内霊脈は、三年前に決定的に壊れてしまっている。
だから彼は、十三ミリリットルという極小の魔力しか体内霊脈間を流すことができないのだ。
無理に大量の魔力を使おうとすると、先ほど【第七地獄火炎】を撃ったときのように、全身に激痛が流れ、吐血した挙げ句、死に至る恐れすらある。
だというのに、来栖は今、実に数万単位もの魔力をマリアに吸い上げられている。
(どういう理屈だろう? これも、マリアの魔術の一つなんだろうか。何にせよ、マリアの助けになれてよかった)
「ぷはぁっ。満足満足」
「そ、それはよかったけど……これ、本当に口移しじゃなきゃ駄目だったの?」
「ウ・ソ♡」
「はぁぁあああっ!?」
「本当は、手をつないだり、私が来栖くんの丹田に触れるだけでも魔力を委譲してもらうことが可能だよ。でも、口移しが最も高効率なのは本当だよ」
イタズラ好きな子猫のような、マリアの笑顔。
猫口(ω)っぽく笑う、実にあざとい笑顔だ。
いつものマリアだ。自信満々で、来栖を手玉に取ってくる最強の幼馴染。
「~~~~っ!」
来栖は感極まる。
「マリア」
「うん」
「マリア」
「うんうん」
マリアが抱きしめてくれた。
来栖は恐る恐る、マリアを抱きしめ返す。
来栖はもう、マリアに夢中だ。
「マリア!」
「ここにいるよ。来栖くんの腕の中に」
「マリアがいる。マリアが生きてくれてる!」
「心配かけちゃったね」
「でも、なんで?」
そう、『なぜ』だ。
今の来栖には、大きな大きな『なぜ』が二つある。
そのうちの一つを、口にした。
「マリアはさっき、あの大蛇に食われて、し、し、し……死んだんじゃ?」
「そのことなんだけどね」
そのとき、来栖のスマホが振動した。
「出なよ」
「いや、今はそれどころじゃないでしょ」
「いや、たぶん、ボクが復活したことに関係があるからさ」
「どういうこと?」
来栖はスマホを取り出した。
一通のメールが届いている。
タイトルは、
「『七大魔王百年戦争へようこそ』?」
「あー……やっぱりそうなんだ」
わけ知り顔のマリアと、さらに混乱する来栖。
「どういうこと?」
「どうもボクは、百年戦争の召喚魔王になってしまったみたいなんだ。儀式にいわばタダ乗りする形で、こうして魔力体を得ることができたんだよ」
「そもそも、『百年戦争』って何なのさ」
すると、空から声が降ってきた。
「それはアタシが説明してやろう」
アイラムだ。
幼女シスター姿のアイラムが降ってきたのだ。
「師匠、ご無事だったんですか!? 学校の人たちは!?」
「最初に確認するのが他人のこととは、来栖らしいさねぇ。安心おし。重軽傷者多数、おまけに魔力の吸われすぎで衰弱死寸前の子も多かったが、みな一命はとりとめた。優秀な教師陣が奮闘したお陰さね。第七旅団へ通報したから、もう大丈夫だよ」
「よかった……。そういえば、師匠の体、なんかぶわーって広がってましたけど」
「あぁ、アタシが魔力体ってのは内緒にしてたンだったね」
「魔力体。やっぱり師匠は魔力体だったんですね。でもメギドヶ丘で習った内容によると、確か魔力体って、イエス・キリストとか、即身成仏に成功した大僧正とか、そういうチート級の人物しか到達しえないはずでは? 」
「ま、このアタシだからねェ。これでもアタシゃ、昔は神様だったのさ」
「はぁ? 今は飲んだくれの保険室の先生ですけど」
「ま、アタシのことは今はいいのさ。今は、マリアのことだ。お前さんたちも知ってのとおり、今のマリアは魔力体だ」
「そうだよ、マリアのことだった。マリアはイエス・キリスト級の人物だったってこと? まぁ、マリアならありえそうな話だけど」
「いやいや」とマリア。「いくらボクでも、イエス・キリスト級の奇跡は使えないよ」
「なら、どうして?」
アイラムがスマホを取り出し、眺めながら言った。
「七大魔王百年戦争の運営であるアタシにもよく分からないンだが、マリアは今、八柱目の魔王ということになっているさね」
アイラムがマリアの顔をのぞき込む。
「なぁ、マリア、愛弟子や。お前さん、何をしたんだい?」
「ごめん、師匠」
マリアが目をそらす。
「それだけは……」
「ま、話す気になったらすぐに言うんだよ」
「……うん」
「それで、師匠」と来栖。「その、『七大魔王百年戦争』って何なのさ。師匠はそれの運営? っていうのをやってるの?」
「今回に限って言えば、『八大魔王』、もしくは『七大魔王と一柱の天使』による百年戦争ってことになるが」
アイラムがスマホを掲げてみせる。
そこに映し出されているのは、世界地図だ。
「その名のとおり、百年に一度、世界のどこかで執り行われる殺し合いのことさね。
第九地獄コキュートスのサタン、
ロシアのルシファー、
イギリスのリヴァイアサン、
エルサレムのベルフェゴール、
アメリカのマモン、
フランスのベルゼブブ、
そして、ここ、神戸の阿栖魔大明神ことアスモデウス。
百年毎に、そのいずれかで行われる。魔王を召喚するのは人間の魔術師であり、生きている人間は地獄へは行けないから、実質は六ヶ所なンだけどね。サタンとルシファーは表裏一体の存在だから、サタンが主催する場合は舞台がロシアになる。
今月で、前回の戦争開始からちょうど百年。七大魔王のうち、好戦的なサタンやルシファー、リヴァイアサン、ベルゼブブのいずれかが主催すると目されていた百年戦争だったが、意外にも、戦争を主催したのは最も非好戦的で人間にも優しく、神戸の主神も勤めているアスモデウスだった」
阿栖魔大明神のことは、来栖も知っている。
というか、メギドヶ丘学園出身者なら誰もが知っている。
今から百年以上前、『明治時代』と呼ばれる古い古い時代の神戸に顕現した大魔王であり、現地のエクソシストと恋に堕ち、以来、神戸を守護してくれている不思議な魔王だ。
「殺し合いって……何のために戦うの?」
「この星の支配権を得るために、さ」
「星の、支配権?」
「グランドシジル『ジ・アース』。『霊脈』は分かるね、来栖?」
「はい、師匠」
『霊脈』とは、魔力の源泉のことだ。
世界中の聖地や霊山など、人々の関心が集まりやすいところに形成される。
「特に、土地に刻み込まれた巨大な霊脈のことを『地脈』という。そして、この星――地球には、最大最強の地脈が存在する」
「というと?」
「地球そのもの、さね」
「……え」
「『ジ・アース』とは、この地球に内在する超・超・超巨大な魔力にアクセス可能な地脈のことなのさ。それほどの魔力を手に入れることができれば、億万長者になることなンて朝飯前。どころか、世界征服も、不老長寿も、死者蘇生すら思いのままだ」
「なんてこと」
「百年戦争の勝者には、向こう百年、『ジ・アース』を自由にする権利が与えられる。そりゃぁ、参加者たちは血みどろの殺し合いをしてでも奪い合うだろうさ」
「それで、僕らはその戦争に巻き込まれた、と?」
「巻き込まれたというか、もはや立派な当事者さね。なにせ、優勝候補だった『テンプル騎士団』ヴェヌスとルシファーの最強コンビを倒しちまったンだから」
『倒した』、と師匠は言った。
だが、実際には『殺した』のだ。
来栖は吐き気を催したが、必死に飲み込んだ。
実際に手を下したマリアに、無用なストレスを感じさせるわけにはいかない。
それにそもそも、あれはどう考えても正当防衛だった。
「そして」
スマホをいじるアイラム。
「どういう理屈かは分からないが、今のマリアは七大魔王の八柱目として登録されている。背負う大罪は――『原罪』」
思うところがあるのか、目を伏せるマリア。
「積もる話もあるだろう。アタシは運営の仕事で忙しいから、しばらく二人きりにさせてやるよ」
そう言って、アイラムがスタスタと公園を出ていく。
『止まれ』の標識を手刀で叩き切ったアイラムは、標識にまたがって、魔女のように空へ舞い上がっていった。
「…………」
「…………」
あとには、師匠を呆然と見送る来栖と、居心地悪そうなマリアが残された。
(マリアの原罪……って何なんだろう)
来栖は気になるが、マリアがあからさまに『聞かないで』オーラを出している。
だから来栖は、話題をそらすことにした。
「【光あれ】って術式、一発一発が地獄級魔術と同レベルの威力だったけど、あんなにバカスカ撃って、体は大丈夫なの?」
「ボクが使ってるのは来栖くんの魔力だよ」
ほっとした様子のマリアが、ニッコリと微笑んでくれた。
「今のボクって、魔力総量がゼロなんだよ。召喚師からの魔力供給がないと、召喚魔王は魔力体を維持できず消えてしまうの」
「ええっ、そうなの!?」
来栖は急に不安になる。
「大丈夫」
マリアが抱きしめてくれた。
来栖は安心する。
いつだってそうだ。
六歳のころからそうだった。
マリアが『大丈夫』『任せて』と言って抱きしめてくれると、来栖は心から安心できるのだ。
マリアは来栖の二歳年上で、両親が不在がちな来栖にとっては姉や母にも等しい存在だった。
「ボクの召喚師は――ボクの生命線は、来栖くんだからね。魔力総量百万単位の、現代に舞い降りた『神の子』。【光あれ】は一発あたり数千から一万単位の魔力を消費するんだけど、来栖くんが隣にいれば、ボクはあれを毎日百発は撃てるってことになる。あと、【ΙΧΘΥΣ】を使うって手もある」
あの、透明の魚がたくさん出現した魔術のことだろう。
「あれを使えば、敵の魔術を魔力に還元して、吸収できるから」
「何それ最強じゃん。でもマリア、消費するのは僕の魔力だとしても、一万単位もの魔力をいっぺんに体内に流したりしたら、魔術回路に負荷がかかるんじゃないの? マリアの瞬間魔力操作量って、確か四千台だったよね?」
「魔力体ってすごいよ。今のボクなら、数万、いや十万単位以上の魔力でも扱える気がする。臨死体験は最高の霊力増強修行方法、ってよく聞くしね」
「いや臨死どころか本死してるんだけど。あんまり使いすぎて、消滅したりしないでよ?」
「大丈夫。魔力がすっからかんになっても、来栖くんがすぐに熱いのを注ぎ込んでくれるし」
「い、言い方!」
マリアが本調子に戻ってくれたので、来栖はいよいよ本題に入ることにした。
そう、『なぜ』の二つ目についてである。
「でも、なんで?」
「なんでって、何が?」
「僕、マリアに嫌われてたんだと思ってた。実際、マリアは僕のことを徹底的に避けてたじゃないか。なのにキミはあのとき、僕を命懸けて助けてくれて。それに、その指輪」
マリアが、左手の薬指にはめられたシルバーを愛おしそうになでる。
「本物の指輪は、さっき失くしちゃったけどね」
今、マリアがはめているのは、彼女が魔力で再現したものなのだ。
相次ぐ大爆発で、メギドヶ丘学園はボロボロだ。
あの指輪も、きっと爆発に巻き込まれて失われてしまったのだろう。
「また贈るよ。……い、嫌じゃなければ」
「嫌なわけ、ないっ。ずっと好きだった。来栖くんのこと、ずっとずっと好きだったの。だけどお父さんが、『魔術が使えないような無能とは別れろ』って。ボクが指輪を外さないでいると、何度も折檻を……」
「そんな」
「それでも、好きだった。だから、隠して指輪を付け続けた。でも、ボクは阿ノ玖多羅家の跡取りだから。ボクが結婚して子供を産まないと、阿ノ玖多羅グループが混乱しちゃうから……」
マリアが震えている。
来栖は必死に、マリアを抱きしめる。
「だから、来栖くんのことを忘れようとした。来栖くんのことを徹底的に避けて。なのに、指輪は捨てられなかった。あはは、矛盾しまくりだよね」
マリアの震えが止まった。
来栖が包容を解くと、マリアは一転して晴れやかな笑顔を浮かべていた。
あらゆるストレスから開放されたかのような、スッキリとした笑顔だ。
「でも、もう大丈夫! ボクはもう、一度死んだ。阿ノ玖多羅家との縁は切れた。自由だ。ボクはボクとキミの気が済むまで――たぶん、来栖くんがおじさんになって、お爺さんになって、死ぬまで一緒にいる。そして、魔力切れでボクも一緒に死ぬんだ。一緒に生きて、一緒に死のう。一生一緒だよ」
それは、もはや麻薬だった。
ずっとずっと大好きだった幼馴染の言葉が、可愛らしくて愛おしくてたまらない声が、その一言一句が来栖の脳内に染み渡っていく。
「それでね、来栖くん。ボクはキミに罪滅ぼしがしたいんだ。だからボクは、今日から来栖くんの下僕になります! 奴隷でもいいよ! 何なら性的なことを命令してくれても! あ、さっそくしよっか!?」
「どうどうどう、ステイステイ」
脱ぎだすマリアの服を着せてやりながら、来栖は内心、頭を抱える。
(こんなにぶっ飛んだ子だったっけ?)
思い返せば、来栖を思うがまま操縦しようとするマリアの色仕掛けと言ったらすさまじく、来栖は中一になってもなおマリアと一緒に風呂に入っていたし、それを疑問とも思っていなかった。
今からすると、明らかに異常だ。
あれもすべて、マリアによる洗脳の結果だったのだろう。
(あーうん、前からこんなんだったや)
「この戦争、勝とう! 勝って、『ジ・アース』の力でボクを黄泉帰らせてよ、来栖くん。そうして、結婚しよう」
「結婚!」
来栖は喜びに震えた。
「僕、マリアと結婚したい!」
「うん。幸せな家庭を築こう!」
「そうだね!」
こうして来栖は、戦争参加の確たる動機を手に入れた。




