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1(大天使マリア降臨)

❖同日二十一半時/メギドヶ丘学園・校庭/来栖(くるす)


「【光あれ】!」


 来栖の耳に、世界で一番大好きな声、マリアの声が届いた。

 次の瞬間、太陽かと見まごうばかりの光の柱が降ってきて、ルシファーの【第七地獄火炎(プレゲトン)】を飲み込み相殺した。


ヤハウェよ(ヤッホー)!」


 天使の翼と輪っかを身にまとったマリアが、空から舞い降りてきた。


「来栖くん、キミだけの守護天使マリアちゃんだよ! 【小麦色の風・清き水を湛えし水筒・その名はラファエル――パーフェクトヒール】!」


 マリアの温かな魔力に包まれたとたん、来栖の全身を蝕んでいた痛みが消えた。

 ただれて溶け落ちていた手指も、

 炭化していた皮膚も、

 失われかけていた視力も、

 何もかもが回復したのだ。

 魔力の過剰使用による内臓の損傷まで、綺麗さっぱり治ってしまった。


 来栖は、何もかもが悪い夢だったのではないか、とさえ思った。

 だが現に、左手の薬指の指輪が失われている。

 天使の地獄級火炎魔術によって溶け落ちてしまったからだ。


 老人が驚愕の表情を浮かべている。

 来栖だって心から驚いている。


(知らない、こんな異常な威力の回復魔術なんて。アイラム師匠ですら――)


「ええいっ。ルシファーよ、もう一発じゃ。時間は儂が稼ぐ!」


 老人が【エクスプロージョン】の詠唱を、天使が【プレゲトン】の詠唱を始める。


 来栖は焦る。

 防御するための十字架は、もうない。

 相殺するために【プレゲトン】を撃とうにも、もう一度成功するビジョンがちっとも浮かばない。


「そんな、どうすれば――」

「ボクに任せて!」


 来栖の絶望を、マリアの頼もしい声が解きほぐしてくれた。


「【イエス・キリスト・神の・子・救い主――ΙΧΘΥΣ(ジーザスフィッシュ)】!」


 マリアの詠唱とともに、何百匹もの透明な魚が周囲に現れた。


「【エクスプロージョン】!」


 と同時、老人の詠唱が完成した。


 大爆発。

 天使の【プレゲトン】にこそ劣るものの、それでも一発で校舎の一角を吹き飛ばすほどの爆炎が発生した。

 だが、炎と爆風は、透明な魚に触れたとたん、真っ白な魔力の粒子に還元された。

 魚が魔力を食べていく。


(すごい……すごいすごいすごい!)


 来栖は興奮する。

 と同時に、泣き出したくなるほどの安心感を覚えていた。

 いつだってそうだった。

 六歳のころから、ずっとそうだった。

 マリアは完全無欠な存在で、来栖が困っていたらすぐに助けてくれた。

 マリアはいつだって最強だった。


 だが、希望はすぐに、絶望によって上書きされる。

 天使が【プレゲトン】の詠唱を完成させたからだ。

 再び、目もくらむような巨大な炎が来栖たちの前に生成される。


(ああ、どうすれば――)


「大丈夫だよ」


 マリアが優しく微笑みかけてくれた。


「【光あれ】!」


 空から堕ちてきた太陽が、天使の地獄級魔術をすっぽり包み込み、相殺してしまった。


「【エクスプロージョン】!」


 その合間を縫って、欧州最強を自称する魔術師が上級火炎魔術を放ってくる。

 だが、上級魔術はマリアに届くことすらなく、小さな魚たちに喰らい尽くされる。


「【エクスプロージョン】! 【エクスプロージョン】! はぁはぁ……【エクスプロージョン】!」


 さらに、天使が【プレゲトン】を撃った。

 だが、


「あははっ。【光あれ】!」


 余裕しゃくしゃくのマリアによって、いともたやすく相殺されてしまった。

 老人はもちろんのこと、天使すらもが唖然としている。

 さらにマリアが、別の魔術を使った。


「【私はよき羊飼い】!」


 とたん、空から無数の羊が降ってきて、老人と天使に向かって突進しはじめた。


「何なのだ、何なのだ貴様は!?」


 老人と天使が羊の波に飲まれ、流されていく。


「は、はは……あはははっ」


 来栖は思わず、笑ってしまう。

 ほんの一分前までは、目を覆いたくなるほど絶望的な状況だったはずだ。

 なのに、命懸けのシリアスさなどどこへやら、これではまるでギャグ漫画の一コマだ。

 それほどまでに、マリアの力は圧倒的だった。


(やっぱりマリアは最強だ! 何がテンプル騎士団だ、何が欧州最強の魔術師だ。あんな爺さん、マリアに比べれば雑魚じゃないか!)


 老人と天使が、校庭の隅にまで追いやられた。

 彼らの背後には校舎も民家もなく、ただ無人の空き地がある。つまり、


「【神は言われた】――」


 周囲の被害を気にすることなく、魔術を撃てるということだ!


「【光あれ・と】!」


 羊の群れが消えた。

 代わりに、空から極大の太陽が降ってきた。

 老人が、必死に何かを詠唱している。

 だが、老人の詠唱も、必死の形相も、隣の天使も何もかもが、極大の熱光線に飲み込まれて消えた。


「【来たり給え・創造主なる聖霊よ――スピリッツシールド】」


 来栖と校舎に襲いかかってきた爆風は、マリアが綺麗サッパリ防いでくれた。





 あとにはただ、元は空き地だったはずの、広大なクレーターだけが残された。





「来栖くん」


 天使の姿をしたマリアが、来栖の前にふわりと舞い降りた。


「マリア……マリアなんだよね?」


 戸惑う来栖の手を、マリアがつかんだ。

 二人の体がふわりと舞い上がる。


「逃げよう、来栖くん。ボクをさらってよ。逃避行、駆け落ちだ!」


 夜空に舞い上がる。

 マリアに手を引かれ、来栖は夜空を飛翔する。

 北のほうを見てみれば、神戸の『百万ドルの夜景』が視界いっぱいに広がっていた。

 最高の幼馴染と見る、最高の夜景。

 来栖は夢心地だ。


 やがて二人は、ひと気のない公園で降りた。


「来栖くん」


 街灯に照らされた薄暗い公園の片隅で、マリアが来栖を抱きついてきた。

 マリアの圧倒的な存在感と包容力に包まれて、来栖は泣き出しそうになるほど安心する。

 マリアは全身で来栖を抱きしめてくる。

 マリアの翼が、来栖の全身を包みこんだ。

 翼の端が、来栖の背中を愛おしそうになでさする。


 やがて満足したのか、マリアが包容を解いた。

 来栖はマリアと、至近距離で見つめ合う形になる。

 気恥ずかしさに耐えられなくなって、来栖は視線をそらした。


「これ……本物?」


 話をそらすつもりで翼に触れた来栖だったが、


「ひゃんっ」


 マリアの予想外のリアクションに、驚いた。


「あっ、ごめん!」


 マリアがもじもじしている。

 その仕草が可愛くて、来栖は頭がどうにかなりそうだ。


(とはいえ、この状況は何? どういうこと?)


 マリアが、巨大な蛇に食い殺された。

 かと思えば、欧州最強を名乗る魔術師と、ルシファーと呼ばれた天使が来栖を殺しに現れた。

 実際に殺されそうになったその寸前で、天使の姿となったマリアが現れたのだ。

 改めて、来栖はマリアの全身をまじまじと眺める。


(可愛い。いや、そうではなく)


 まず、顔かたちは生前(?)のマリアとまったく同じだ。

 着ている服も、蛇に呑み込まれる直前まで着ていた制服のまま。


 だが、おかしい。

 記憶に間違いがなければ、あの蛇の口内には、蛇にはあるまじきことに、無数の『歯』が生えていた。

 マリアは蛇に呑まれたあの瞬間、あの無数の歯に咀嚼されて細切れになったはずなのだ。

 もちろん、服も一緒に。


「この服、どうなってるの?」

「これ? 魔力製だよ」

「魔力製……まさか、キミの体も!?」


 来栖はマリアの頬に触れた。

 マリアが来栖の手に、頬ずりしてきた。

 だが、来栖は幼馴染の可愛らしい仕草に心を躍らせる余裕などなかった。


(魔力体……!)


 魔術の奥義中の奥義、『魔力体』。

 東洋では『即身成仏』とも言われており、またキリスト教圏内では『キリストの復活』のことを指す。

 一度肉体的に死んだ人間が、(アストラル)体に高濃度の魔力をまとって受肉する方法だ。

 魔力体は魔力で自身を形作るため、顔かたちも体格も服装も、自由に変化させることができる。

 そして何と言ってもすごいのが、魔力が尽きない限り滅びないことだ。

 つまり実質、不老不死になれるのだ。


(そういえば、あの爺さん、アイラム師匠のことを魔力体だって)


 あのとき、アイラムは校舎を守るために、自身を薄い膜のようなものに変化させて校舎を覆っていた。

 魔力体とは、無生物にすら変化できるものなのだ。

 伝説上の存在と言われる魔力体だが、目の前のマリアが体得しているのだから、あの御年数千歳とすらウワサされている酒乱幼女保険医が魔力体だとしても何の不思議もない。


(でも、ということは、やっぱりマリアは一度、死んでしまったんだ)


 来栖は、マリアのことが心配になる。

 今、目の前にいるマリアは、いかにも平気そうな顔をしている。

 だが、彼女は死の恐怖を体験した直後なのだ。

 きっと、無理をしているに違いない。


「マリア、大丈夫――」


 そのとき、マリアの体がぐらついた。

 来栖はとっさに、彼女を支える。


「マリア!?」

「あ、あはは……ごめんね、びっくりさせちゃって。ちょっとだけ、魔力切れ」

「どうすれば? 僕にできることなら何でもするよ」

「うれしいこと言ってくれるなぁ。さすがは、ボクが愛する最高の幼馴染」

「愛……!?」

「来栖くんの魔力を分けてもらえる?」

「いいよ、いくらでも。でも、どうやって?」

「口移しで」

「……………………はい?」

「キス、して」


 来栖の脳が、限界を超えた。


 大好きな幼馴染。

 六歳のころからずっとずっと好きで、『キスしたい』『できればその先も』と妄想し続けてきた相手。

 その幼馴染から、キスを望まれたのだ。


 来栖は戸惑いながらも、言われるがままマリアに顔を近づける。

 だが、自分から唇を重ねるのは、あまりにもハードルが高い。

 だって、かれこれ十年、来栖はこの瞬間を待ち望み、乗り越えられずにいたのだ。


「来栖くん」


 もたもたしている来栖を見かねたのか、マリアのほうから唇を重ねてきた。


「――っ!」


 来栖は頭がぼーっとなる。

 夢にまで見た瞬間だった。

 しかも、


「んっ!? んぅ~~~~っ!?」


 舌を入れられた。

 来栖は立っているのもやっとの有り様だ。

 だが、少し冷静にもなれた。

 自身の体内――ヘソの下にある魔力を扱う臓器『丹田』から、大量の魔力が引きずり出されはじめたからだ。


 魔術師は、魔力を持つ。

 魔力とは、ゲームで言うところの『MP』だ。

『宿屋で一晩寝れば全回復する』というのはさすがにゲーム的な過剰表現だが、二、三日安静にしていれば、空っぽになった魔力も全回復する。


 その回復上限値を、『魔力総量』と言う。

 一般人で、一単位。

 霊能力者や霊感の強い人で十単位。

 未受肉の低級悪霊を祓うことのできる、第七旅団の尉官・准士官で数百単位。

 エリートと呼ばれる佐官や将官で数千単位。

 マリアは三年前の時点で実に一万単位あった。


『お主、よい目を持っておるのぅ。そう、儂の魔力総量は、前人未到の十万単位じゃ』


 そして、欧州最強を自認していたあの老人で、十万。

 かく言う来栖の魔力総量は――

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