4(来栖 VS コクリ・ルーシャ・マリア)
❖同刻/阿ノ玖多羅邸/来栖❖
「【アンリミテッド・チャーム】!」
金髪和装の、とてつもない力を秘めたバケモノがマリアの背後に潜んでいた。
(いつの間に!?)
敵――背格好と魔力総量を見るに、阿ノ玖多羅サトリが召喚した魔王アスモデウス――が、マリアの頭をつかみ、超極大の洗脳魔術を使った。
とたん、マリアの瞳と輪っかの色が真っ赤に染まった。
阿栖魔大明神の瞳と同じ、燃え上がるような赤色に。
マリアが来栖を押しのけ、自ら上空へと羽ばたいた。
その先にいるのは、いつの間にか戻ってきていたコクリだった。
マリアが、コクリに寄り添うように空を舞う。
何日かけても成立しなかったマリアへの洗脳魔術が、今、この瞬間、ついに完成してしまったのだ。
「悪いが、揺さぶらせてもらった」
コクリが泰然と微笑む。
「大事なのは緩急だ。正の感情と負の感情。それらを交互に持ってくることで――ジェットコースターのように揺さぶりをかけ続けることで、精神を疲弊させるのだ。そうした揺さぶりの果て、心が決定的に弛緩した瞬間にこそ、洗脳は脳の最も深いところに刺さる」
マリアが阿ノ玖多羅邸から一度は脱出できたこと。
来栖がマリアの奪還に成功したこと。
すべては、コクリの手の平の上だったのだ!
「【光あれ】!」
来栖が渡した一千万単位もの魔力を惜しみなく使って、マリアが攻撃してきた。
(どうする!?)
来栖は【ディースの城壁】で弾き返しつつ、必死に考える。
正面からはマリア。
背後からは無数の管狐たち。
さらには、洗脳された阿ノ玖多羅家の術師たちが全周囲から迫りつつある。
敷地の結界は未だ健在。
つまり、頼みの第七旅団たちは未突入。
来栖は、結界内のありとあらゆる敵性戦力のすべてを相手取らなければならない状況なのだ。
(時間を稼ぐか!?)
千晶が結界の破壊に成功するまで。
(稼げるのか、この状況で!?)
管狐たちが四方八方から噛みついてきた。
管狐の上からさらに管狐が襲いかかってきて、来栖をかじり尽くし、魔力を吸い取り尽くそうとしてくる。
数千匹もの管狐たちに絡みつかれ、来栖は空に漂う団子となった。
「【プレゲトン】ッ!」
凶悪な霊体肉団子を、来栖は得意の火炎魔術で焼き滅ぼした。
その身は傷一つついていない。
「【光あれ】!」
すかさずマリアが熱光線を放ってきた。
背後からはコクリが斬りかかってくる。
来栖はその両方を、防護結界で弾き返した。
「きゃははっ」
いつの間にか、ルーシャが完全復活していた。
(すり潰しても、数分で復活するのか!)
あれも魔力体であり、しかも魔力体としての経験はマリアや来栖などより圧倒的に長い熟練者なのだ。
当然のことかもしれない。
「【プレゲトン】!」
本家本元、地獄の大魔王と悪魔の長の複合体による究極の火炎が、来栖を地面へと叩きつけた。
「ぐぅっ!」
来栖は【ディースの城壁】の十枚重ねがけで、これを防いだ。
と同時に、【文殊慧眼】で周囲三六〇度へ知覚を飛ばし、操られている術師たちをも結界魔術で守った。
術師たちが爆風で吹き飛ばされていくが、
(熱は防いでやったんだ。落下の衝撃くらいは自分でなんとかしろ。それにしても)
問題は、ルーシャとコクリだ。
(あいつら、平然と味方を巻き込みやがる!)
いや、奴らに『味方』という考えはないのかもしれない。
(俺に対する『人間の盾』くらいの感覚か? クソ野郎がっ。こうなったら)
来栖は大空へと飛び上がった。
すかさず、マリアとルーシャが追ってくる。
さらには、地面から無数に湧き出し続ける管狐たちも。
(時間稼ぎだ! 千晶さんが結界を崩すまで、逃げ続けてやる!)
地上では、阿栖魔大明神に操られている術師たちが邪魔だ。
だが、結界の頂点ギリギリの上空なら、術師たちはいない。
【浮遊】や【飛翔】の術式を使える者もいるにはいるが、来栖やマリア、ルーシャほど器用かつ高速に飛び回れる者はいない。
コクリもまた、同様のようだった。
ちょっとした【飛翔】はできるようだが、来栖たちの高速機動戦闘にはついて来れない様子だ。
当然だろう。
来栖は今や、時速二百キロを超えている。
まだまだ加速する。
三百キロ。
四百キロ。
五百キロ。
ついには、マリアとルーシャすら振り切った。
二人はときどき遠方から魔術を撃ってくるが、追いすがって直接攻撃してくることはなくなった。
そうやって、実に十数分ほども、来栖は逃げ続けた。
(まだか……まだかよ、千晶さん!?)
「ちっ、時間がない」
焼け野原の中央で、コクリがつぶやいた。
轟音の中、【文殊慧眼】で満たしていた来栖の知覚は、その声を明瞭に拾い上げた。
「こんなところで奥の手を使いたくはなかったのだがな」
コクリが、静かに詠唱する。
「【阿耨多羅三藐三菩提――涅槃寂静】」
世界最強退魔師の、奥の手。
阿ノ玖多羅の王の命に従い、『当主の間』の霊脈が開く。
膨大な量の魔力が、コクリの体内に注ぎ込まれていく。
彼を崇拝し愛してやまない管狐たちが自ら命を捧げ、光の粒子になってコクリへと集まっていく。
コクリの背に、光り輝く九本の尾が現れた。
昨晩も見た、九尾狐の尾だ。
だが昨晩とは異なり、今回の鬼は質感がある。
受肉しているのだ。
(あいつ、九尾狐を召喚するだけじゃなく、受肉させたうえに体内に降ろしやがった! なんてセンスだ。けどっ)
これは子供向けのアニメではない。
敵の変身シーンをわざわざ待ってやる義理などないのだ。
(【三つの暴力・ハーピーに啄ばまれし葉冠】――)
来栖は脳内で高速詠唱。
さらには、
「【プレゲトン】!」
結びの句を口頭で詠唱し、最大火力の地獄の炎をコクリに叩きつけた。
渾身の一撃だった。
コクリを焼き滅ぼすだけの自身が、来栖にはあった。
なのに。
「【九尾狐の鬼火】」
コクリの炎によって、あっさりと打ち消されてしまった。
いや、打ち消されるどころの話ではない。
狐狗狸の炎が来栖の炎を丸呑みにし、さらには狐狗狸の全身を覆い尽くしてしまったのだ。
「――ッ! ――ッ!」
来栖は苦しみもだえる。
来栖はまだ、魔力体の痛覚を遮断するすべを使えない。
悲鳴を上げながらも魔力体をしゅうふくさせ、着地した。
動きを読まれていたのか、コクリが目の前に立ち、大上段で構えていた。
煙管の先に高濃度魔力をまとわせた魔力刀で、来栖に斬りつけてくる。
つい先ほど、背後から斬りかかられても傷一つ付かなかったナマクラだ。
来栖は左腕を振り上げて、これを弾き返そうとした。
「……は?」
来栖は呆けてしまった。
コクリの刀に、腕を斬り飛ばされてしまったからだ。
(なんでだ!?)
来栖はバックステップで距離を取ろうとする。
が、コクリが猛然と踏み込んできた。
続いて右腕を斬り飛ばされた。
まるでバターか豆腐でも斬るみたいに、あっさりと。
(なんだよそれ!? こいつ、ここに来て、こんな大技隠し持ってたのかよ!?)
コクリの太刀筋が見えない。
脳と眼球に【文殊慧眼】をまとわせているはずなのに――ほとんど未来予知の域にまで達しているはずの動体視力を持っているのに、コクリの刀を捉えることができない。
急に、来栖の視界が空を向いた。
首を切断されたのだ。
さらには、視界が不自然に広がった。
顔を真っ二つにされたのだ。
来栖の片目は、自分の体がサイコロステーキのようにバラバラになっているのを見た。
サイコロステーキも、それを見せつけられている瞳も何もかも、コクリの鬼火で焼き尽くされた。
❖ ❖ ❖
❖?秒後/阿ノ玖多羅邸/来栖❖
「一年に一度しか使えない技だ」
再生しつつあった来栖の頭部を、コクリが蹴り飛ばした。
「戦争のこんな序盤で、使うつもりなどなかったのだがな!」
空高く蹴り上げられた来栖の首の、その先が再生していく。
数秒のうちに全身が復活した。
来栖は両足で着地し、視線を巡らせる。
(コクリはどこだ!?)
「ここだよ」
背後から、声。
と同時、来栖は再びサイコロステーキになってしまった。
お手本のような着地狩りだ。
斬り刻まれては、燃やされる。
斬り刻まれては、燃やされる。
斬り刻まれては、燃やされる。
敵は、コクリただ一人。
ルーシャとマリア、それに阿ノ玖多羅家の術師たちは傍観している。
だというのに、来栖は圧倒され、何もできず、ただただ殺され続けている。
修復不可能なほどにまで細切れにされて、【九尾狐の鬼火】で焼き尽くされる。
最凶のコンボだ。
来栖は魔力体なので、細切れにされようが灰にされようが、時間さえあれば復活できる。
ルーシャと同じだ。
だが、復活のたびに相当量の魔力を消費する。
具体的には、約十万単位。
何回も殺された。
何十回も殺された。
何百回も殺された。
潤沢にあったはずの魔力も、今や削りに削られて残量が危うくなりつつある。
次に復活できたタイミングで、来栖はついに引きこもった。
自身を再生させつつ【ディースの城壁】を何百層にも重ねがけして、安全な二畳ばかりの空間で、膝を抱えてしまったのだ。
(死にたくない死にたくない死にたくない……これ以上死にたくない! 次に外に出たら、今度こそ殺し尽くされる! 魔力が尽きて復活できなくなる!)
魔力体は、魔力が続く限り不老不死だ。
アイラム師匠などがよい例だ。
だが、魔力が尽きたとき、魔力体は滅びる。
本当に死んでしまうのだ。
勝ち筋が見えず、そもそもこれ以上斬り刻まれて燃やされる痛みを感じるのが嫌で嫌で仕方がなくて、来栖は立ち上がれない。
一歩も進めない。
いくら再生できるとはいえ、痛いものは痛いのだ。
(どうしよう……どうすれば)
来栖が進退きわまった、そのとき。




