3(来栖の無双)
❖同刻/当主の間/マリア❖
来栖が、咆哮した。
獣のような雄叫び。
とたん、極大の突風が発生し、当主の間の壁という壁、屋根という屋根を吹き飛ばした。
父と阿栖魔大明神も吹き飛ばされた。
マリアは無事だった。
来栖が怒り狂いながらも、マリアだけは結界で守ってくれたからだ。
そしてコクリとルーシャは耐えた。
「きゃははっ。今度こそぶっ殺す!」
ルーシャが巨人のように隆起しながら、来栖につかみかかった。
対する来栖も、雄叫びとともに全身をふくらませる。
胸筋が盛り上がり、腕や脚の筋肉が倍加していく。
着ていた服が光の粒子となって消え、代わりに真っ黒な毛皮となって来栖の体を彩った。
角と翼と尻尾が生えた来栖は、まさしくデビルだった。
グリモワールや数多の西洋絵画、そしてダンテの『神曲』の挿絵に表されているような、悪魔の姿そのものだ。
ともに身の丈二メートル以上の巨人となった来栖とルーシャが、壮絶な殴り合いを始める。
――ガゴッ
――ゴチャッ
――パァンッ
互いに殴り合うたびに、相手の体の一部が弾け飛ぶ。
弾け飛んだそばから、魔力でその部位を修復する。
魔術によらない、純粋な魔力の削り合い。
最も野蛮で最も効率的な、魔力体の滅ぼし方だ。
だが、来栖のほうが一枚上手のようだった。
「【ケルベロス】!」
来栖が地獄級の無属性個体確殺魔術を使った。
ルーシャの腹から三つの犬の頭が飛び出し、ルーシャの腹を貪り喰いはじめる。
「ぎゃあああああっ!」
ルーシャが叫ぶ。
魔力体とて、【痛覚遮断】の魔術を使っていなければ痛みを感じるのだ。
そしてルーシャは、内臓に対しては【痛覚遮断】を使っていなかった。
ルーシャが痛みを遮断させて立て直したときにはもう、来栖が次の仕込みを終えていた。
「【十二の悪の爪】!」
放たれた地獄級の斬撃魔術が、ルーシャの体を十三等分にした。
来栖はルーシャの肉塊をさらに粉微塵にし、
「ゴアァアアアァアアアアアアッ!」
咆哮とともに口から放った熱光線で、ルーシャの体を消し炭にした。
その背後から、コクリが来栖に斬りかかった。
キセルを延伸した超高濃度の魔力刀によって。
(来栖くん!)
マリアは目を見開いた。
コクリの刀の斬れ味を知っているからだ。
あれはA級デビルのドラゴンやフェンリルといった魔獣を、バターのようにやすやすと斬り裂いてしまうのだ。
だが、来栖はかすり傷一つ負わなかった。
「何なんだ、その力は!?」
コクリが焦っている。
あの、プライドの権化のような男が、感情をあらわにしているのだ。
「ゴアァアアアアアッ!」
来栖が再び、ブレスを吹いた。
だが、コクリが魔力刀でブレスを弾き飛ばす。
来栖の両手の爪が、長く鋭く尖った。
来栖が十本の刃でコクリに滅茶苦茶に斬りかかるが、コクリはそれをすべていなした。
(斬り合いではコクリが有利……? でも)
来栖も重々承知のようだった。
全力で斬りかかり、コクリの体勢をわずかに崩したその瞬間、
「【ミーノース】!」
圧縮した突風の魔術で、コクリを空の彼方へと吹き飛ばした。
「…………」
あとにはマリアと、禍々しい怪物の姿となった来栖だけが残される。
「来栖くん? 来栖くんだよね?」
怪物が振り向いた。
二人、目が合う。
「マ……リ……ア……?」
とたん、来栖の瞳に理性が宿った。
「マリア!」
来栖が身にまとっていた禍々しい毛皮や筋肉が、光の粒子となって消えた。
身長一七五センチほどの、カーディガンにチノパン姿の、いつもの来栖が現れる。
頭に着けているのは、マリアが贈った物を再現したのだろういばら柄のカチューシャだ。
マリアをベッドに縛り付けている縄を、来栖が引きちぎった。
優しく抱き起こしてくれる。来栖の手の平の感触が、泣き出したくなるほど心地よい。
「助けにきたよ、マリア!」
来栖が微笑んでくれた。
マリアは心から安心した。
だが同時に、心のどこかで物足りなさも感じていた。
その気持ちが伝わってしまったのか、来栖が首を傾げた。
「いや、違う。こっちだな」
彼の口調が、物腰がカチリと切り替わった。
「もう大丈夫だ、マリア。俺がお前を守ってやる」
ニヤリ、と来栖が微笑む。
実に主体性に富んだ、かつての彼らしい笑顔だ。
(来栖くん、『俺』って!)
マリアは歓喜した。
(強い来栖くんが戻ってきてくれたんだ! 懐かしい……駄目だ、泣きそう)
「マリア、服は出せそうか?」
コクリから距離が離れたためか、マリアは魔力操作の力を取り戻していた。
だが、上着を少し修復したところでガス欠に陥ってしまった。
脱走できないように、最低限の魔力しか与えられていなかったのだ。
「魔力を譲渡する。いいか?」
マリアの顎に指を添えながら、来栖が聞いてきた。
あんなことがあった直後だから、気を使ってくれているのだろう。
(来栖くんっ、格好いいうえに紳士的だなんて!)
マリアはもう、来栖に夢中だ。
心臓がバクバク言って、返事もままならない。
「もうすぐ敵が来る。キスするぞ」
マリアは真っ赤になりながら、無我夢中でうなずいた。
口付け、された。
強引なキスだ。
舌先で口を無理やり開かれる。
と同時に、大量の魔力が怒涛の勢いで流し込まれてきた。
(来栖くんっ、来栖くんっ、来栖くん来栖くん来栖くん来栖くん!)
一万単位渡された。
十万単位渡された。
百万単位渡された。
まだまだ渡される。
「ぷはぁっ」
実に一千万単位渡されたところで、来栖がようやく唇を離した。
「く、来栖くんっ、魔力は大丈夫なの!?」
「全然大丈夫。実は俺、魔力核を手に入れて。おまけに魔力体にもなって。体の調子が抜群にいいんだ」
「魔力体に!?」
「マリアとおそろだな」
イタズラっ子のような笑みがまたカッコ可愛くて、マリアはたまらない。
(来栖くん、本当に強くなって戻ってきてくれたんだ! ヤバい、泣く。でも、来栖くんに情けない顔を見せるわけには――)
マリアは喜びと動揺で内心ぐちゃぐちゃになりながらも、必死に衣服の修復に努める。
マリアが衣服を修繕し終えたタイミングで、来栖がぎゅっと抱きしめてくれた。
「一緒に逃げよう、マリア。阿ノ玖多羅家の力の及ばない、どこか遠い国まで! 百年戦争なんてどうでもいい。『ジ・アース』なんかなくたって、このとおり俺にはお前を守るための力がある! ごめんな、マリア。三年前のあの冬に、これを言うべきだったんだ」
欲しかった言葉の全部盛り。
限界だった。
マリアは泣いた。
幼い子供のように泣いた。
張り詰めて張り詰めて、八歳のころからずっと張り詰め続けてきたマリアは、今ようやく、安心を手に入れることができたのだ。
来栖が翼を羽ばたかせた。
マリアは来栖に抱きしめられたまま、ふわりと空に舞い上がる。
「ちょっと揺れるぞ」
耳元で、ひどく頼りになる声で囁かれた。
マリアは譲渡された魔力を使い、神級神術の【全知】を使った。
【文殊慧眼】の完全上位互換の術式が、阿栖魔大明神に洗脳された阿ノ玖多羅家系列の術師たちがここに殺到しつつあるのを伝えてくる。
だが、それよりもよほど重要な情報があった。
「来栖くん、管狐たちが!」
そう、コクリに服従する管狐たちが、『当主の間』跡の畳から何百、何千、何万と湧き出てきたのだ。
(『当主の間』の霊脈に召喚術式を直結させていた!?)
「【プレゲトン】」
ささやき声のような、実にさりげない来栖の省略詠唱。
たったそれだけのことで、『無数』という言葉すら生ぬるいほどの管狐の群れが、燃え上がり、消失した。
マリアは絶句する。
あの管狐は、一体一体がすべて、ドラゴンやケルベロス、フェンリルと言ったA級デビルをすら凌駕するS級の脅威。
それを来栖は、数万単位で瞬殺してみせたのだ。
「あ、あはは……あはっ、あははっ。最高だ、最高だよ、来栖くん!」
来栖に抱きしめられながら、マリアはクルクルと大空へ舞い上がる。
燃え上がる管狐たちの断末魔すら、今では自分と来栖を祝福する歌声に聴こえる。
「来栖くんさえいれば、ボクは無敵だ! ボクたちは最強だ!」
これほどの強者。
圧倒的強者が、ただ自分一人、この阿ノ玖多羅マリアのためだけに戦ってくれている。
人類最強が、自分だけを守ってくれている。
その事実に、マリアは震える。
脳がしびれる。
胸の奥がぎゅっとなって、たまらない。
歓喜だ。
全身が、喜びに震えているのだ。
自分はもう、大丈夫だ。
来栖が守ってくれる限り、自分は一生安泰だ。
そしてこの先、来栖が自分を裏切ることはない。
見限ることはないという確信・万能感が自分にはある。
マリアの感動が最高潮に達した。
あらゆる不安や苦悩から解放され、決定的に心が緩んだその瞬間、
「あはァッ」
マリアの背後から、妖艶な笑い声がした。
マリアが振り向いた瞬間、金髪和装の美女魔王――阿栖魔大明神がマリアの頭をつかんだ。
「【無制限の愛】!」




