2(マリア登場)
❖数十分後/ポートアイランド/来栖❖
夕焼けに照らされた商店街を、来栖はとぼとぼと歩く。
道中、自販機を見かけては、釣り銭が残っていないか確かめた。
(最近、急に外国人が増えたよなぁ。しかも、【文殊慧眼】――やっぱり、あの人もか)
術師ばかりが、急に神戸に集まりはじめたのだ。
確かにここは貿易の要衝であり、つまりは海外産怪異からの防疫の要衝であり、職を求めてやって来る術師は多い。
世界は、怪異の実在を秘匿している。
日本では『霊害庁』と呼ばれる極秘機関と、実働部隊である陸軍・第ゼロ師団・第七旅団所属のエクソシストたち、そしてエクソシスト養成機関であるメギドヶ丘学園の生徒たちくらいしか、怪異の実在を知らない。
怪異の存在を大々的に発表し、人類が団結して怪異に立ち向かったほうが犠牲者を減らせるのではないか――そのように考える人も多い。
だが、世界は依然として、怪異の実在を隠す方向で一致している。
それは、魔力の仕組みに起因している。
人は誰しも魔力を持って生まれる。
そしてその魔力は、その人が興味を示す方向へ向けられる。
古今東西、神・宗教の有力者・歴代の支配者や英雄は、そうやって自身に力を集めてきたのだ。
人々が無意識に垂れ流している魔力の指向性というのは、実際にハロウィンが近づくと西欧文化圏の怪異が力をつけているとおり、けっして馬鹿にはできない。
もし世界が、
『怪異は実在している』
『神は、仏は、妖怪は、悪魔は実在している』
と公表してしまったら、とんでもない量の魔力が怪異たちに集まってしまうだろう。
日本は、百鬼夜行の平安時代に逆戻り。
様々な妖怪や魔物が街を跋扈して人々を喰らいはじめることになる。
それは、世界も同様だ。
日本は『六甲山条約』によって日本産怪異と折り合いをつけている。
一部の山奥を妖怪の里として開放してやったり、定期的に死刑囚の死体を提供することで人食いの欲を満たしてやるなど、便宜を図っている。
また、人に害を成さないと認定された妖怪には戸籍を与え、姿を隠して人間社会内で暮らす許可も与えている。
だが、そういう『折り合い』は、阿ノ玖多羅家を始めとした退魔師側のほうが強いという現状あってこそのもの。
怪異のほうが強くなってしまったら、彼らは抑圧された現状を嫌って大暴れしはじめるだろう。
これが、世界と日本の現状だ。
だからこそ、神戸港――特にポートアイランドは、日本の対怪異防疫機構としてたくさんの術師たちであふれかえっているのだ。
(とはいえ、限度があるよな)
来栖は首を傾げる。
右を見ても左を見ても術師だらけ。
十一月に入ってから、野良の魔術師が急激に増えた。
(まるで、術師のイベントでも予定されているみたいな? いや、まさかね)
来栖は無詠唱の【文殊慧眼】を瞳にまとわせながら、周囲を観察する。
来栖は、魔力を扱うことができない。
『天才』『秀才』『神童』と呼ばれ、ちやほやされていい気になっていた来栖は、三年前のある日突然、魔力を操作する力を失ってしまったのだ。
正確には、両目を満たす程度のごくごく少量の魔力――十三ミリリットル程度の量であれば、操作することができる。
だが、その程度の魔力ではマッチの火程度にもならないし、ましてや退魔拳銃や『エンジェルバレット』に魔力を込めて撃つようなことなどできるはずもない。
無理をすれば、来栖は穴という穴から血を吹き出して気を失ってしまう。
三年前――中一の冬からから、ずっとそうなのだ。
そこから血のにじむような努力を三年間続けて、ようやく手に入れたのが十三ミリリットルなのである。
来栖は【文殊慧眼】が得意だ。
【火球】のような放出系術式と違い、【文殊慧眼】は十三ミリリットル程度の魔力を眼球に集めるだけで事足りるからである。
(術師たちのイベント。もしこの考えが正解だったとしたら、どんなイベントなんだろう? 技を競い合ったりとか? まさか、殺し合いなんてしないだろうな?)
来栖は意図して思索にふける。
違うことを考えていないと、暗澹たる思いに心が塗りつぶされそうになるからだ。
(マリア……)
だが、無駄な努力だった。
来栖の頭はすぐに、マリアのことでいっぱいになった。
(結婚……マリアが結婚……それも、四十歳の男と)
来栖は、現実を受け入れることができない。
(きっと、無理やり結婚させられようとしているんだ。僕が助けないと)
だが、どうやって?
マリアは世界一の退魔家である本家『阿ノ玖多羅』家の長女だ。
そして、直系の中では最強と言われるほど優秀な術師だ。
十三ミリリットルの魔力しか扱えない来栖ではとても婿になどなれないし、そもそも分家『阿ノ【九】多羅』家出身の来栖からすれば雲の上の存在だ。
その四十の男性というのも、魔力総量・魔力操作量に秀でた術師だからこそ、マリアの婿に選ばれることができたのだろう。
(聞いたことがある。マリアの親戚に、阿ノ玖多羅家きっての天才術師がいるって。たぶん、その人だ。名前は確か……そう、阿ノ玖多羅コクリ)
『強いは正義』を地で行く退魔師世界において、『マリアの婚約者の座を決闘で奪い取る』というアイデアはアリ寄りのアリだ。
だが、十三ミリリットルの魔力では、その天才術師に勝てる見込みなど万に一つもない。
(だったら、マリアと駆け落ちする……?)
『駆け落ち』。
最愛の幼馴染の望まぬ結婚という一大事を目の前にして、駆け落ちという言葉が現実味を帯びてきた。
だが、
(駄目だ。僕はマリアに嫌われているから。三年前のあの日、マリアを見捨てて逃げ出してしまったから……でも、それでも、諦めきれない)
ずっと大好きだった幼馴染。
六歳の頃に出逢って以来、一日だって彼女のことを考えない日はなかった。
ずっとずっと好きだった。
今も好きだ。
そんなマリアを顔も知らないおっさんに奪われしまったら、来栖は恐らく正気ではいられない。
(マリア……マリア、マリアっ!)
足はいつしか速歩きになり、全力疾走になっていた。
❖ ❖ ❖
ポートアイランドの南端に、その学園はある。
『メギドヶ丘学園』中等部および高等部。
ここはいわゆる『視える』子供たちや、代々術師をやっている家の子女が集められている特殊な学園だ。
来栖は下校する学生たちから奇異の目で見られながら、背中を丸めて校舎に入る。
彼はある意味有名人で、教師陣に彼のことを知らない者はいなかったから、呼び止められるようなこともなかった。
「久しぶりさねェ! 丸三年ぶりかい?」
その幼女酒乱養護教諭は、今日も今日とて保健室の業務用アルコールでちびちびやっていた。
「……アイラム先生。ご無沙汰してます」
保健室に入るやいなや、ムワッとした酒の臭いに襲われて、来栖はクラクラした。
「牙王から聞いたよ。死にかけてたそうじゃァないか」
身長一二〇センチ。
長い白髪と西洋顔。白衣を着た体をフラフラ揺らしながら、人を食ったような笑顔を浮かべている。
この、年齢不詳で、メギドヶ丘最古参の養護教諭は、『アイラム先生』と呼ばれている。
「ぷっ。お前さん、なんて顔してンだい」
「……どんな顔ですか?」
「鏡で見てみな」
言われて来栖は、洗面台の鏡で自分の顔を見た。
こうして鏡を見るなんて、いつぶりだろうか。
いや、分かっている。三年ぶりだ。
伏せがちな目、その目をさらに隠している長い前髪。
かつてはマリアに『守ってあげたくなる、中性的なイケメン』と言われた顔。
三年前までは大好きだった顔だが、今となっては女々しくて情けない顔にしか見えない。
「……嫌な顔です」
「じゃなくて、傷だらけだって言ってンのさ。ったく、どういう毎日を過ごしていたら、そンな傷だらけになれるンだい」
来栖はお金を貯めるために、文字どおり死にもの狂いで闇除霊バイトに勤しんできた。
今日のような修羅場をくぐったのも一度や二度ではない。
「こっちを向きな、馬鹿弟子や」
「……まだ、僕のことを弟子って呼んでくれるんですか」
「いいから、ほら」
アイラムが業務用アルコールを口に含み、ぷーっと来栖の顔に吹きかけた。
「うわっ、きたなっ!? っていうかくっさ!?」
「ほら、見てみな」
鏡を見てみると、いったいぜんたいどういう理屈か、顔の傷が綺麗さっぱり治っていた。
跡になっていた古傷すらも、だ。
それどころか、
「か、体の怪我も治ってる!? ……師匠、これ、顔に吹きかける意味なかったんじゃ?」
「ふふん。イケメンになったじゃないか」
「も~~~~」
来栖は文句を言いながら、顔を洗う。
昔の気安い感じに戻れたような気がして、うれしい。
――キーンコーンカーンコーン
十七時五十分の予鈴が鳴った。
いよいよ、『夜間学校組』が登校してくる。
夜間学校組は、より実践的な授業を受けるエリートだ。
怪異は夜のほうが活発になる。
夜間学校組は本物の怪異を相手に、日夜戦闘訓練に励んでいるのだ。
「マリアには会っていかないのかい?」
保健室を出ようとした来栖は、アイラムに呼び止められた。
来栖は、怖い。
マリアに会うつもりでここまで来たのだが、いざそのときになると、逃げ出したくなるほど怖くなった。
「会っておやりよ。あんなに仲が良かったじゃないか。これで最後になるかもしれないんだよ?」
来栖は踵を返した。
マリアに会うのは、怖い。
今さらどんな顔をして会えばいいのか分からない。
だが、ここで会わなければならない。
四十の相手にマリアを奪われるわけにはいかないのだ。
「いいね、その顔だ。ようやく男の子らしくなったじゃないか」
師匠が業務用アルコールをラッパ飲みした、そのとき。
「ヤハウェよ! 千年に一人の美少女、マリアちゃんだよ~っ」
窓の外から、懐かしい声がした。
脳が痺れるほど可愛い声。
震えがくるほど懐かしい声。
麻薬みたいに魅力的な声。
三年ぶりに聴いた、最高の幼馴染の声。
(マリアの声だ!)
正門前のほうを見てみれば、マリアがちょうど同級生たちに挨拶しているところだった。
(可愛い……可愛い!)
来栖はカミナリに撃たれたみたいになって、動けない。
大好きだった少女。
幼いころから一緒に育ってきた幼馴染。
来栖にとってマリアは世界のすべてで、彼女以上の異性なんていないと思っていた。
今でもそうだ。
(マリアだ。夢にまで見た、マリアがいる!)
阿ノ玖多羅真里亜、十八歳。
来栖の二つ年上の、幼馴染。
阿ノ玖多羅家当主の父と、イギリス人の母のハーフ。
月光を浴びた長い銀髪も、
くっきりとした二重まぶたも、
その中でキラキラ輝く碧眼も、
左目の下に二つある泣きぼくろも、
奇跡みたいに整った鼻筋と唇も、
何もかもが最高に可愛い。
『可愛い』という言葉はマリアのために生み出されたのだ、と来栖は信じている。
トレンチスカートから伸びる脚は、折れそうなほど細い。
軍服っぽさがあるメギドヶ丘学園のブレザーに包まれているバストは、三年前に見たときよりずいぶんと大きくなっているように見える。
制服の肩には十二本の金糸があしらわれており、彼女が学生の身にして前人未到の位階十二位に到達していることを示している。
第七旅団に入れば、即少佐だ。
マリアが歩けば、誰も彼もが彼女を目で追う。
マリアが話しかければ、誰も彼もが彼女に夢中になる。
『千年に一人の美少女』と言いきってしまえる自己肯定感の高さは伊達ではない。
それだけの魅力が、マリアにはあるのだ。
数年前、街を歩いていたマリアの写真がSNSにさらされ、『千年に一人の美少女』と話題になったことがある。
マリアが表世界の住人なら、彼女はそのときアイドルにでもなっていたのかもしれない。
だがあいにく、マリアは裏世界の住人――阿ノ玖多羅家の次期当主だった。
マリアの存在は、阿ノ玖多羅家の情報統制によって隠された。
結果として、彼女はメギドヶ丘学園のアイドルという比較的小さなポストに収まっている。
「マリア!」
気がつけば、来栖は窓から外に飛び出していた。
マリアに駆け寄る。
マリアが来栖に気づいた。
彼女の表情が凍りつく。
「マリア、その、久しぶり」
「……来栖くん。ボク、これから授業なんだけど」
露骨に顔をしかめたマリアが、来栖の横を通り過ぎようとする。
「マリア!」
来栖はとっさに、マリアの左手を取った。
六歳のころ、彼女に手を引かれていたときと同じように。
彼女はもう、来栖が贈った指輪をしていない。
代わりに絆創膏をしていた。
「放してっ」
マリアが手を振り払った。
誰がどう見ても分かる、拒絶の仕草だった。
それでも、来栖は食い下がった。
これが最後かもしれないからだ。
「マリア、大事な話があるんだ」
マリアが一歩、二歩と下がる。
「なになに、また告白?」
「あれって、例の『堕ちた神童』じゃない?」
「やば、ストーカーかよ」
ただでさえ目立つマリアの周りに、人が集まりはじめる。
その空気に耐えかねたのか、マリアがぽつりとつぶやいた。
「放課後、校舎裏で」
マリアは去っていった。




