1(来栖登場)
❖翌二十五日・夕方/神戸港・ポートアイランドの商店街/阿ノ九多羅来栖❖
今が、今年一番の稼ぎ時だ。
この時期は、海外由来の怪異が増える。
ハロウィン、クリスマス、バレンタインと大型のイベントが続き、海外の怪異や宗教に対する人々の関心が高まるからである。
人々の関心が高まれば、人々の体から無意識に垂れ流されている魔力が指向性を帯び、海外由来の悪魔悪霊に魔力が集まっていく。
結果、悪魔悪霊が力を力をつける。
国内最大の輸入量を誇るここ神戸港では、その傾向は顕著だ。
だから、今が最大の稼ぎ時。
だから来栖は、今日も働く。
金が必要なのだ。
霊視・索敵の術式【文殊慧眼】を使って、商店街を歩く人々を視る。
すると一人二人、悪霊に取り憑かれている人を見かける。
来栖はそういう人たちに除霊話を持ちかけるのだ。
声をかけられたほうはたいがい、ひどい悪夢や金縛り、原因不明の肩こりなどに悩まされているから、来栖の提案に飛びついてくれる場合が多い。
それっぽい聖句を唱えてやり、低級霊をパパッと祓って、除霊代一万円なり。
(そのはずだったのに……!)
商店街の路地裏、ポルターガイスト現象が吹き荒れるただ中で、来栖は前髪をかき上げて両目に魔力をまとわせた。
(【オン・アハラシャノウ――文殊慧眼】)
脳内高速詠唱。
(A級――いや、S級デーモンが三体!)
「よくもアタイの可愛い子供たちを祓ってくれたねぇ!」
異形――マレブランケが路地裏に顕現する。
角、翼、尻尾、三叉の槍。
絵画の中から飛び出してきたかのような、ステレオタイプの悪魔像だ。
さらに、マレブランケを取り巻くように二匹の半透明のミニブランケが現れる。
(違う、うち一体は受肉している! 低級霊ではなく上級霊だ!)
「ヒィ~~~~ッ!」
デビルに取り憑かれていた男性が、裏路地から逃げ出す。
「あ、お客さん! お代を――ぎゃっ」
マレブランケに腹を蹴りつけられ、来栖はふっ飛ばされる。
(簡単な除霊のはずが、どうしてこんなことに!?)
――キシシシィィイッ!
起き上がろうとする来栖に向かって、ミニブランケたちが突進してきた。
が、来栖に触れることなく、すり抜けてしまった。
ミニブランケたちが未受肉だからだ。
霊体だから、殴ったり切りつけたりといった物理的な手段で人間を傷つけることができないのだ。
だが、取り憑くことで人間を弱らせて衰弱死に追い込んだり、精神を狂わせて自殺に追い込むことはできる。
ミニブランケたちが邪悪に微笑んで、来栖の頭目がけて飛んできた。
来栖の脳に取り憑き、来栖の精神を崩壊させようと考えたのだ。
だが、
――ギャギャギャッ!?
来栖の頭部に触れたとたん、ミニブランケたちが勢いよく弾かれた。
来栖の頭部に触れた彼らの手の平が、ひどい火傷のように焼けただれている。
(いくら中退の落第生だからって、これでも元・メギドヶ丘学園中等部の学生なんだよ)
来栖は今、魔力の膜で自身を包みこんでいる。
この程度の薄っぺらな防壁では、炎や雷撃といった敵の攻撃魔術を防ぐことはできない。
だが、低級霊の侵入を阻止するくらいはできる。
(これで、ミニブランケへの対処は済んだ。だけど問題は――)
来栖は懐から十字架を取り出した。先端がナイフのように鋭くなっている。
お手製の武器なのだ。
「死ねぇえエエエエエエエエエッ!」
マレブランケが、槍を鋭く突き出してきた。
来栖は半身になって、これを避ける。
こんなもので刺されたが最後、人間はいとも簡単に死んでしまう。
受肉した上級霊の中でも、こいつは最低ランクのCクラスデビル。
だが、Cクラス相手でも対応を一つ誤れば簡単に死んでしまうのが、対デビル戦の恐ろしさである。
(こんなところで死ぬわけにはいかない。もう一度、マリアに逢うんだ!)
来栖は敵の槍をつかみ、敵の逆関節方向へ全体重をかけて槍を捻り上げた。
昔学んだ、合気道の応用だ。
受肉したデビルは確かに脅威だが、受肉しているからこそ、こういう技が効くようになる。
果たしてマレブランケが、槍を奪われまいと浮足立った。
来栖はすかさず、足払いを仕掛ける。
たまらず、マレブランケが仰向けにひっくり返った。
来栖の時間が引き伸ばされる。
全意識を魔力に集中させた彼は、全身を薄っすらと覆うために使っていた魔力を素早くかき集め、十字架の先端に集中させる。
「【AMEN】!」
退魔の詠唱とともに、光り輝く十字架の先端をマレブランケの顔面に突き刺す!
未受肉の低級霊が相手なら、これで祓うことができるはずだった。
事実、彼は今まで何百体も、この方法で祓ってきたのだ。
だが――。
ニタリ、とマレブランケが嗤った。
デビルは十字架の先端を噛んで、来栖の攻撃を押し留めていた。
「ぐえっ」
腹部を蹴り上げられ、来栖はまたもふっ飛ばされた。
よろよろと立ち上がろうとする来栖の首を、マレブランケが締め上げてきた。
「がっ……あぁ……っ」
来栖は空気を求めて足掻く。
だが、マレブランケの力はあまりにも強く、逃げられない。
(こんなところで……マリア)
来栖の意識が途切れそうになった、そのとき。
「【AMEN】!」
第三者の声とともに、光の槍がマレブランケの腕を引きちぎった。
主を失った腕が力を失い、来栖は呼吸を取り戻した。
来栖が激しく呼吸する中、紫色のストールを身に着けた少年少女たちが路地裏に入ってくる。
彼らが手にしているのは、退魔拳銃だ。
「【AMEN】!」
「【AMEN】!」
彼らが引き金を引くたびに、装填されている対デビル特攻実包『エンジェルバレット』が光の槍となって低級霊たちを祓っていく。
そして、
「や、やめろぉぉおおっ! 助けてくれ!」
腕を引きちぎられたマレブランケが、命乞いをしていた。
「悪いね、お客さん」
ひときわ大柄な少年が、拳銃をマレブランケの額に押しつけた。
「ウチ、そういうのやってねぇンだわ」
脳内詠唱で放たれたエンジェルバレットが、マレブランケの頭部を吹き飛ばした。
絶命したマレブランケの受肉体が、光り輝く魔力の粒子となって宙に溶けていく。
「よぉ来栖、三年振りだな」
大柄な少年――来栖の元親友・大神牙王がニヤリと笑った。
「お前、なンか雰囲気変わったな。弱っちくなった」
「お前は変わらないな」
牙王に引き起こしてもらいながら、来栖は苦笑した。
「昔も今も、変わらずでかい」
でかい。
牙王は身長二メートルにも届こうかという大男だ。
彼と同じ十六歳の来栖は一七五センチで、これでも高いほうに分類されるはずなのだが、牙王と並ぶとまるで大人と子供、いや、黒服と宇宙人だ。
その名のとおり、大柄なオオカミを思わせる牙王は、いかつい体格と、もふもふな黒髪と、打って変わって優しげな目元を持つ。
そんな牙王の耳が、ぴくりと動いた。
「来栖? 来栖って言った?」
牙王に引き連れられた少年少女たちが、ヒソヒソ話をしている。
「まさか、阿ノ九多羅来栖? あの、『稀代の落ちこぼれ』の?」
「例の『堕ちた神童』か」
「中学時代なイキってたくせに、だっさ」
少年少女たちの陰口に、来栖は言い返すでもなく、前髪を直した。
戦闘中にかき上げていた前髪を、目元を隠す形に戻したのだ。
「あーい、作戦どおりキビキビ動けー」
牙王が指揮する。
「お前らは、逃げた被害者を追いかけて記憶処理を。お前はそっちの奥を聖別して、異界濃度を下げろ。ほら、行った行った」
指示を受けた少年少女たちが、慌てて動き出す。
「ズタボロじゃねぇか。三年前のお前なら、こんな雑魚、瞬殺だったのに……あ、わりぃ」
牙王が、来栖を慰めようとしてくれたらしい。
だが、この男はいつだって、言葉選びが絶望的に下手なのだ。
「ははは……このとおり、今の僕は『堕ちた神童』だから」
「言わせておけよ、あンなの。気にすンな」
「牙王だって、『弱々しくなった』って言ったじゃないか」
「だからそれは、背筋伸ばせって言いたかったンだよ。昔のお前は下なんか向いてなかったぜ」
牙王が来栖の背中をバシンと叩く。
「それより俺ァお前に言いてェことがあるぜ。てめェ、仮にも『阿ノ玖多羅』に名を連ねる人間が、無免許霊媒師なんてやってンじゃねェよ」
「人助けだよ。現に、第七旅団は学生まで駆り出す始末じゃないか」
「無免許は取り締まらなきゃならねェンだよ。分かれよ、ったく、今日のところは見逃してやっから、足洗え」
「分かったよ」
と答えながらも、来栖は言うことを聞くつもりなどなかった。
お金が必要なのだ。
「はぁ~っ。これ、やるよ。内緒だかンな」
牙王が防護結界用の十字架をくれた。
そのへんのアクセサリー店で買ったお手製ナイフの十字架とは違い、こっちの十字架はメギドヶ丘学園で支給されている正規のマジックアイテムだ。
来栖の内心は、すっかり見抜かれてしまっているらしい。
「こンな危ない橋まで渡って。何のために金集めてるンだ?」
「それは……秘密だよ。っていうか、そんなこと言うならお金くれよ。牙王って確か、どっかの王子様なんだろ?」
「王子じゃなくて王だ。けど、ウチは万年火の車でよォ」
「ふぅん?」
牙王の言うことはよく分からなかったが、日本で唯一の退魔学校である『メギドヶ丘学園』には世界中から有能な人材や金持ちの子女が集まる。
皇族の傍系から、インドの王族まで。
牙王がどこぞの王だか王子でも、不思議はない。
「痛っ」
歩きだそうとして、来栖は顔をしかめた。
デビルにやられた体が痛むのだ。
「久しぶりにアイラム師匠のところに顔出せよ。師匠ならすぐに治してくれるさ。ついでにマリアの顔でも見るといい」
(マリア……)
来栖はスマホで貯金残高を確認する。
(今はまだ、合わせる顔がない)
「あ、そうだ。聞いたか?」
牙王が衝撃的な言葉を口にした。
「マリアのやつ、結婚するらしいぜ。相手はなんと、四十のジジイだ」
来栖は目の前が真っ暗になった。




