開幕
『神戸事変』。
のちにそう呼ばれることになる、一連の不可解な出来事がある。
傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・金欲・暴食・色欲――七つの大罪を司る魔王たちによる、この星の王を決める大戦争だ。
七柱のグランドデビルを召喚するのは、数奇な運命に絡め取られた哀れな七人の人間。
一人は、暴れ狂う大海竜――『嫉妬』のリヴァイアサンに愛されしエクソシスト。
陸軍・第零師団・第七旅団少佐の八岐千晶。
❖ ❖ ❖
❖二〇二■年十月二十四日・夜/神戸港・ポートアイランド/八岐千晶❖
気がつけば、眼下に満天の星空があった。
自分は今、夜空を落下中ということだ。つまり、死にかけているということだ。
(つまり、いつもどおりですね!)
二十歳前後の、漆黒のフロックコートを着こなす凛々しい青年――千晶は覚醒した。
(【偉大なる軍神スカンダの剣・ニュートンの林檎――韋駄天の下駄】!)
千晶は脳内詠唱の重力魔術で姿勢を正した。
頭を上、足を下へ。
ぐんぐんと地面が迫ってくるのが、見える。
(【下駄】だけでは勢いを殺しきれない。ならば――【AMEN】!)
二丁拳銃で、千晶は地面に向けて光り輝く弾丸を放つ。
強い反動で、彼の落下速度が弱まっていく。
(【AMEN】! 【AMEN】! 【AMEN】!)
ふわり、と着地した。
数十メートル上空からの落下を見事にいなしたのだ。
――ウゴォォアアアアアアアッ!
先ほど千晶を大空へ放り投げた、身の丈数十メートルのバケモノ・トロールが、巨大な棍棒を振り下ろしてきた。
(【小十字結界】!)
千晶は十字架から生じさせた輝く盾で、トロールの攻撃を跳ね返した。
トロールがよろめく。
その隙を突いて、千晶は海岸沿いを走り出した。
ちょうど空から山高帽――義姉の形見が降ってきたので、起用にも頭でキャッチする。
「大丈夫か、千晶?」
いつの間にか、着物に袴姿の少女が並走していた。
長く美しい白髪と、光り輝く八本の尻尾を持つこの少女は、義姉の忘れ形見・咲だ。
「大丈夫ですが、魔力が空っぽで大ピンチです。一本もらいますよ」
「ひゃんっ!?」
千晶が左手の拳銃を仕舞い、その手で咲の尻を触ると、八本の尻尾のうち一本が消えた。
「馬鹿っ、変態っ、セクハラっ、千晶っ!」
「最後の『千晶』って、それ蔑称なんですか? 傷つくなぁ」
苦笑しながらも、千晶は右手の拳銃の薬室から弾薬を取り出し、左手で握りしめた。
続いて拳銃を仕舞い、右手の二本指を剣のように鋭く伸ばす。
「【御身の手のうちに】」
二本指を額に当て、
「【御国と】」
二本指をへそへ、
「【力と】」
左肩へ、
「【栄えあり】」
右肩へ当てる。
ぼぅ……と、彼の左手が白い光を帯びはじめる。
「【永遠に尽きることなく――斯く在り給う】」
千晶が手を開くと、弾薬がキラキラと光り輝いていた。
伝説の霊獣・ヤマタノオロチをその身に封じる超巨大魔力タンクである咲の、貴重な尻尾一本分の魔力を丸々注ぎ込んだのだ。
Aクラスデビルにすら傷を与えることができる、ちょっと贅沢すぎる一発である。
――ウゴォォアアアアアアアッ!
トロールが追いついてきた。
樹齢ウン百歳の大木か、と思えるほどの超巨大な棍棒を振り下ろしてくる。
あんなものを叩きつけられた日には、たとえ【小十字結界】があっても、千晶は地面の染みだ。
だから千晶は、輝く弾薬を拳銃に装填した。
弾倉を外し、
弾薬を弾倉に装填し、
弾倉を拳銃に装填し、
スライドを引いて弾薬を薬室へ送り込む。
今までに何千回何万回と繰り返したその動作を、一秒で済ませた。
二秒後には地面の染みだというのに、冷や汗一つ浮かべることなく優雅に済ませた。
さて、地面の染みになるまで、残り一秒である。
だから千晶は、トロールに銃口を向けた。
「【AMEN】!」
夜の海岸に、昼が訪れた。
太陽かと見まごうばかりの巨大な光の槍が銃口から放たれ、トロールの胴体に大穴を開け、次いでトロールを粉々にした。
「これほどの大物が連日現れるとは。『百年戦争』開幕の日が近いという司令部の話、本当のようですね」
千晶は銃口に息を吹きかける。
魔力の粒子と硝煙の混合物が、キラキラと舞い上がった。
「『魔王召喚に成功し、他の六柱の魔王を全て倒して勝利しろ。でなくば減給だ』だったか」
セクハラへの報復として千晶の脇腹を小突きつつ、咲が言う。
「蟹工船もはだしで逃げ出すドブラックな職場ですよねぇ、第七旅団って。蟹工船知ってます? え、知らない? じぇ、ジェネレーション……」
いつものように冗談を飛ばしてヘラヘラしていた千晶だが、不意に真剣な表情になった。
「勝てるでしょうか」
「勝てるさ」
咲が目一杯背伸びして、帽子越しに千晶の頭を撫でた。
「第零師団・第七旅団の最精鋭、『十二聖人』きっての武闘派である千晶なら。リヴァイアサンも、きっとお前を選んでくれる。もうすぐ深夜ゼロ時。魔王召喚の準備をしよう」
「うーん、不安だなぁ」
千晶がヘラヘラと笑う。
「こういうときってたいがい、『主人公補正』ってやつがなんとかするんでしょうけど。あいにく僕は、主人公ではありませんから」
「安心しろ」
咲がそっぽを向きながら言った。
「私の中では、お前が主人公だから」
❖ ❖ ❖
いま一人は、ソロモン七十二柱に名を連ねしグランドデビルの末裔。
悪魔の血を惹く人間の、自動人形エンジニア。
湖太郎・エキャンバス・山田。
❖ ❖ ❖
❖同時刻/兵庫県神戸市・神戸北野/湖太郎・エキャンバス・山田❖
神戸北野の閑静な高級住宅街を、いかにも人畜無害そうな小学生男子と、メイド服の少女が歩いている。
そんな二人の行く手を、黒塗りのメルセデスが遮った。
中から飛び出してきたのは、いかにもヤクザといった風貌の男。
男は拳銃を取り出すと、小学生男子に向けて躊躇なく発砲した。
弾は少年に当たらなかった。
メイドが少年をかばったからだ。
メイドが背負ったリュックから、鉄を打つような固い音がした。
「マジか」
ヤクザが目を丸くする。
「そりゃ、いわくつきの坊ちゃんらしいからな」
もう一人のヤクザが、運転席から身を乗り出した。
「とっておきだぜ」
二人目が取り出したのは、拳銃よりも一回り大きな銃器であるサブマシンガン。
ベストセラー製品のUZIである。
それを目の当たりにしたメイドが、スカートを脱いだ。
――パラララララッ!
九ミリパラベラム弾が火を噴いた。
サイレンサーを装着しているため、音は控えめだ。
だが、威力は絶大。
小柄な少年とメイドなど、あっという間に絶命するかに思われた。
だが、そうはならなかった。
メイドがスカートを掲げ、中に仕込んだポリカーボネート製のシールドで全弾を防ぎきったからだ。
「マジかっ」
二人目が目を丸くする。
「そりゃ、いわくつきの坊ちゃんらしいからなぁ!」
一人目が手榴弾を投げた。
そのときすでに、メイドは少年を裏路地に押し込んでいた。
少年が、おびえた様子でメイドに手を引かれる。
路地を抜けた先には、白いスポーツカーのアストンマーティンDB5が止まっていた。
「若様」
運転席に乗っているのもまた、メイド服の少女だ。
「ツヴァイ、飛ばして」
一人目のメイドが、少年をぎゅっと抱きしめながら助手席に座る。
「了解、アインス」
二人目のメイド――ツヴァイがアクセルを踏んだ。
パンッとアフターファイアを焚いて、車が急発進した。
ツヴァイがさらにボタンを押すと、車の排気口からジェットエンジンのような強烈な炎が放出されはじめ、車が殺人的な加速を得た。
車が郊外へ向かって爆走していく。
その後ろを、ヤクザたちの車が追いかける。
一台、二台、三台、四台、五台……追跡車が続々と増えていく。
追跡車たちは、時に先回りをしてツヴァイの車の行く手を遮ろうとする。
が、ツヴァイの車は止まらない。
階段を駆け上がったり、壁を走ったり、段差から家屋の屋根に飛び乗ったかと思えばそのまま空を飛んだりと、荒唐無稽な運転で追跡車たちを翻弄するからだ。
六台、七台、八台、九台、十台……それでもなお、追跡車たちは数に物を言わせて追いすがる。
ついに追跡車たちは、六甲山の麓のとある寂れた屋敷の前でツヴァイたちを追い詰めた。
「観念しな」
ヤクザのリーダーがサブマシンガンを片手に降りてきた。
アインスと呼ばれた一人目のメイドが少年を下ろし、盾を構えながらじりじりと後退する。
リーダーがアインスに銃口を向ける。
十台の車の中から何十人ものヤクザが顔を出し、一斉に銃口をアインスと少年に向けた。
「その坊っちゃんは、今日、ここで死ななきゃならねぇんだ。恨むなら、『サブナッケ』とかいうフランスの実家を恨むんだな」
「観念しろ、だって?」
そのとき、少年が不敵に笑った。
今までアインスに守られるばかりで、不安そうな顔をしていたかに見えていた少年が、小学生らしからぬ冷たい笑みを浮かべている。
「観念するのは、キミたちのほうだよ」
次の瞬間、ヤクザたちの車が爆発炎上した。
ほうほうの体で車から這い出すヤクザたちは、空から降ってきたメイド少女たちの姿に気づいていない。
「お料理の――」
「お掃除の――」
「お勉強の――」
「お片付けの――」
メイドたちが可愛らしい声で告げる。
「「「「お時間です♪」」」」
メイドたちの腕や首が折れ、中から銃口が現れた。
|汝平和を欲さば、戦への備えをせよ《パラベラム》。
放たれた無数の銃弾によって、ヤクザたちは蹂躙された。
❖ ❖ ❖
「まったく。腐っても悪魔の末裔のくせに、魔術師ですらない普通のヤクザを仕向けてくるなんて」
少年――グランドデビルの末裔である湖太郎・エキャンバス・山田が、テキパキとヤクザたちを拷問している。
先ほどまでの無力な子供のような振る舞いはどこへやら、ヤクザたちの指を折り、その悲鳴を聴いても、眉一つ動かさない。
「ほら、さっさと雇い主を吐きなよ。でないと、この先一生、お箸を持てなくなっちゃうよ?」
瑚太郎・エキャンバスの周りでは、運転担当のツヴァイ、お料理担当のドライ、お掃除担当のフィーア……と、何十人もの自動人形たちがヤクザの後片付けをしている。
ここは、神戸北野の郊外にあるエキャンバス邸。
無数の自動人形たちに守られた、難攻不落の大要塞である。
ここを陥落させようと思ったら、欧州最強の秘密結社『テンプル騎士団』の上級魔術師をダース単位で呼んでくるか、日本の対悪魔機関『第七旅団』の精鋭部隊『十二聖人』を全員連れてくるか、さもなくば七台魔王の一柱か二柱でも召喚するしかないだろう。
「キミ、さっき『サブナッケ』って言ったけどさぁ」
サブナッケ家最優秀エンジニアの称号である『エキャンバス』の名を持つ少年が、ヤクザのリーダーの人差し指を折りながら尋ねた。
「僕もサブナッケなの。分かる? エキャンバス――サブナッケ。百年以上前のご先祖様が、一番器用な奴に与えることにした称号なの。迷惑な話だよね。僕はただ、機械いじりが親兄弟よりほんのちょっと得意だっただけなのに、こんな仰々しい名前を与えられちゃってさ。お陰でこのとおり、サブナッケ家を継ぎたくて継ぎたくて仕方がない親兄弟たちから、キミたちみたいな殺し屋を毎日のように送り込まれているのさ。それで」
リーダーの中指を折りながら、湖太郎・エキャンバスが尋ねる。
「キミたちを差し向けたのは、誰? 父さん? 上の兄さん、下の兄さん? それとも叔父さんかな? 妹は……まだ五歳だし、ないと思いたいけど」
結局、すべての指を折られるまで、リーダーは湖太郎・エキャンバスが望む答えを口にできなかった。
雇い主から『魔術師の大家・サブナッケ家からの依頼』としか聞かされていなかったからだ。
「後継者を指名せずにおっ死んでしまうなんて……迷惑な当主サマだよね、本当に」
「若様、もうすぐ例のお時間です」
少年の三歩後ろで侍っていた側付きのアインスが、静かに告げた。
「あぁ、そうだね。魔法陣の準備は整ってる?」
「つつがなく、若様」
「最強魔王のサタンやルシファー、武闘派のリヴァイアサン、魔術に秀でたベルゼブブ、魅了魔術特化だがその威力が他の六大魔王にすら届きうるアスモデウス。この五柱のいずれかを引くことができれば、僕らはまず間違いなく勝てる」
だけど、と湖太郎・エキャンバスは首を振る。
「お金のことにしか興味のないマモンと、怠惰で負けたがりで寝ることにしか興味のないベルフェゴール。この二柱のどちらかを引いてしまった場合、僕らはまず間違いなく負ける。召喚する魔王を選べないってのが、このゲーム――『七大魔王百年戦争』のつらいところだね」
「若様ならば、必ずやサタンかルシファーを手に入れられましょう」
アインスが言う。
彼女は人形らしからぬ、うっとりとした表情を浮かべ、
「そして戦争に勝利し、必ずや若様と私の悲願を達成してくださると、私は信じております」
「こういうとき、主人公補正ってやつが欲しくなるよ。けれど、僕は主人公じゃない。ベルフェゴールだけは引かないように祈らないとね」
瑚太郎・エキャンバスが冷笑する。
「誰に祈ればいいんだろうね? 悪魔には、祈るべき神などいないというのに」
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いま一人は――
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❖同時刻/兵庫県神戸市・三宮の繁華街/ラブ&アース❖
「アヒャッ、アヒャヒャヒャヒャッ! 燃えろ燃えろ、文明は地球の敵だぁ~!」
地球環境のために全人類の撲滅を目指す真の環境保護団体『ラブ&アース』のリーダー・ラブ&アースは、放火活動に勤しんでいた。
ごみごみとした路地裏に灯油を撒いては、火を点ける。
火事に気づいた人々が、騒ぎはじめている。
ラブ&アースはすぐに大通りを渡り、次の路地へ。
作業服姿で台車を押していれば、意外と気づかれないものなのだ。
彼は環境保護団体『ラブ&アース』のリーダーだ。
だが、所属メンバーは常に彼一人だ。
他のメンバーが入っても、すぐに彼が殺してしまうからである。
それゆえに、彼は彼自身のことをラブ&アースと呼んでいる。
彼こそが愛と地球の使者であり、地球の守護者なのだ。
親からもらった名前など、とうに忘れた。
「貴様、どこの魔術教会の手先だ!?」
とあるビジネスホテルを燃やしていると、中からファンタジー世界の『ウィザード』のようなローブを着た西洋人が飛び出してきた。
「このホテルが、我ら『テンプル騎士団』の貸し切りと知っての狼藉――」
ローブ男の言葉は続かなかった。
ラブ&アースが容赦なく灯油をぶっかけ、ライターを投げつけたからだ。
「――ッ! ――――ッ!」
声にならない叫びを上げながら、転げ回るローブ男。
当然だ。声にするための酸素は、燃焼に当てられているのだから。
「コスプレ大会か?」
ラブ&アースは首を傾げる。
「まぁいいか。……ん?」
そうして、気づいた。
炭化したローブ男のそばに、一冊の重厚な本が落ちていることに。
「これ……燃えていない?」
そう。
その本は、焼死体が持っていたにもかかわらず、燃えていなかった。
どころか、焦げ目の一つもついていない。
興味の赴くまま、ラブ&アースは本を取り上げた。
「ゴ・ヱ・ティ・ア?」
パラパラと開いてみる。
「なになに、ソロモン七十二柱のグランドデビルぅ? 序列一位の王バアルの召喚詠唱だって? アヒャヒャッ」
そこに記載されているバアル――またの名を『蠅の王ベルゼブブ』の召喚詠唱を、面白半分に口にする。
「【南の炎ミカィェエエエエエエエエエル・東の風ラァファァィェエエエエエエエエエル・西の水ガゥブリィェエエエエエエエエル・北の大地ウリィェエエエエエエエエエル】」
グリモワール『ゴアティエ』が輝きはじめるが、ラブ&アースは気づかない。
「【四方を聖別し・悪魔の誘惑から・我を守り給え・ソロモンの鍵に列せらる偉大なる序列一位の王・ヒキガエルと猫と王の顔を持つ者・古の大神・大魔王バアルよ・来たり給え】」
ノリノリで詠唱していたラブ&アースだが、さすがに恥ずかしくなった。
「なんちゃって――熱っ」
彼が額に触れると、ミミズばれのような痣が浮かんでいた。
昆虫を思わせる頭部と胴体、足と、逆十字に彩られた一対の翼、『BAEL』の文字。
七大魔王が一柱・ベルゼブブのグランドシジルだ。
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いま一人は、地球環境保護のために人類滅亡を望む活動家ラブ&アース。
さらに、魔王に魅入られた哀れな人間が四人。
これで、七人。
今や、『百年戦争』を始めるための役者は揃ったかに見えた。
だが――。
だが、さらにもう一人。
八つ目の大罪『原罪』を背負った、招かれざる八人目を紹介しなければならない。




