1(来栖の覚醒)
❖翌三十一日・早朝/布引の滝のほとり/来栖❖
目覚めると、来栖は明け方の川辺で倒れていた。
「うっ……」
起き上がる。
こんな季節に水に浸かっていたというのに、体がまったく冷えていない。
むしろ、熱い。
「なんだ、この体?」
体が薄っすらと輝いている。
ヤギの角、
コウモリの翼、
サソリの尻尾。
悪魔のような姿だ。
魔力核から流れ出てきた大量の魔力が、全身をくまなく巡回している。
とてつもない万能感。
「【AMEN】!」
そのとき、エンジェルバレットによる射撃が飛んできた。
すでに【文殊慧眼】を脳と眼球に満たしていた来栖は、光の槍と化した銃弾を指先でつかみ取った。
指先に極小の地獄級結界魔術【ディースの城壁】をまとわせているので、痛みもない。
「S級デビルだって!?」
撃ったのは、千晶だった。
彼は【小十字結界】を発動させながら、無線機を取り出そうとしていた。
「七大魔王以外にもS級が出てくるなんて……って、キミは来栖くん?」
来栖は立ち上がり、自身を見下ろす。
全裸だ。
当然だろう、すべてルーシャの魔術で燃え果ててしまったのだから。
(これは、魔力体?)
意識してみると、来栖が普段着ているワイシャツ・カーディガン・チノパンが現れた。
(やっぱ、魔力体だ。俺、死んだのか)
死んで、黄泉帰った。
理屈は分からないが、マリアとおそろいだ。
(前髪、邪魔だな)
マリアから贈ってもらったものと同じ柄の、カチューシャを生み出した。
髪をかき上げ、カチューシャを着ける。
「雰囲気、変わりましたね」
報告を終えた千晶が、無線機を仕舞った。
手には依然として退魔拳銃が握られている。
今の来栖には、彼が脳内詠唱で初弾に魔力を込めつつあるのが手に取るように分かる。
(全盛期のころと同じ? いや、それ以上だ)
来栖の脳と耳目には今、【文殊慧眼】が自動で常時発動している。
(いや、そもそもこれは【文殊慧眼】なのか? もっと高度な術式のような気がする)
「答えてください。キミはデビルですか? 人類の敵ですか?」
「分からない。でも俺は、マリアを救いたい」
「……いいでしょう」
千晶が拳銃を仕舞った。
「今は、猫の手も借りたい状況ですので。
第七旅団の調査により、阿ノ玖多羅コクリの計画が分かりました。彼は今、巨大な儀式を始めています。神戸の全住民を生贄にして、その力をルーシャに集めるための儀式です。
神戸中の至る所から逆十字が見つかりました。その十字架に組み込まれた術式を解析したうえでの推測ですから、間違いありません。
儀式が成功してしまったら、ルーシャは神にも匹敵する力を得る。ルーシャは神戸全土を呑み込めるほどのワールド・オブ・グランドシジルを展開させるでしょう。そうなったら、我々は全員負けです。日本政府も、世界各国もコクリとルーシャに逆らえなくなる」
千晶が山高帽に触れた。
感情が昂ったときに見せる、彼の癖だ。
「何より、百万人以上の死人が出ます。だから、絶対に阻止しなければ。タイムリミットは、今日の十八時です」
「十八時? なんで?」
「JR三宮の南――東遊園地でハロウィンパーティーが開かれるからですよ」
東遊園地は、神戸ルミナリエの開催場所としても有名な公園だ。
「ですので、今日の昼過ぎまで極秘裏に第七旅団を緊急呼集し、十五時に総攻撃を仕掛けます。来栖くんにも参加していただきたい。いいですね?」
「いいぜ」
「ええ、分かりますとも。命懸けの作戦なのですから、迷う気持ちは――……え?」
「いいって言ったんだ」
来栖はニヤリと微笑んでみせる。
「っていうか、俺一人でも十分なくらいだ。なんなら、今から阿ノ玖多羅本家に乗り込んでやろうか。コクリもルーシャもマリアの親父も、俺が全員ぶっ殺してやるぜ」
「ちょちょちょっ。足並みの乱れは部隊の崩壊につながりかねませんので、くれぐれも自分勝手な行動は謹んでください。……あの、本当に来栖くんですよね? 口調といい振る舞いといい、ずいぶんとこう」
「俺はもともと、こんなだったんだよ」
来栖は尊大に笑ってみせる。
「けど、魔力が使えなくなって、なんというかまぁ、気が弱くなってたんだな。マリアには悪いことをした」
「マリアさんに?」
「あいつは、俺が若干オラついてるくらいのが好きなんだ。俺もあいつも、『最強の幼馴染』大好きっ子だからさ」
❖ ❖ ❖
❖同日・十四時四十五分/摩耶山の麓・阿ノ玖多羅邸の上空/来栖❖
バタバタと激しい音がしている。
ヘリが阿ノ玖多羅邸のはるか上空を飛んでいる音だ。
そして来栖は今、そのヘリの中にいる。
「あそこにいる飛行機、何ですか?」
来栖はヘッドセットのマイク越しに、隣に座る千晶に尋ねた。
回転翼の音がうるさくて、肉声が届かないのだ。
『おや、タメ口はやめたんですか?』
千晶がニヤリと笑う。
「……やめてください。あのときの俺は、ちょっとハイになってたんですよ」
『でも、一人称「俺」は継続、と。いいと思いますよ。男の子はやんちゃなくらいがちょうどいいんですから』
「説得力がありますね」
『AHAHAHA! 一本取られましたね。あそこ――』
千晶が雲の向こうを指さして、
『という話ですが、視えてるんですか? ずいぶんと目がいいんですね』
「もちろん、肉眼じゃありませんよ」
『ほほう! それじゃ、グランドデビルたちの専売特許【千里眼】でしょうか? 【第七地獄火炎】に【第二地獄暴風】に【第三地獄貪食】に【第九氷地獄】に【千里眼】と、まるで地獄級魔術の見本市ですねぇ』
「それで、あれは? 敵なら墜としますけど」
『あぁ、なるほど。行動に移す前に聞いてくださって、大変助かりました。あれは味方――第七旅団のAWACSです。それも、魔力反応を測定できる特注品』
「エーワックスって確か、大型レーダーで警戒・索敵したり、指揮を取ったりする、あの?」
『はい』
千晶がえらく頑丈そうなスマホを取り出す。
軍人が戦場で使う、耐爆・耐塵スマートデバイスだ。
『AWACSからのデータリンクによると、阿ノ玖多羅邸には千人近くもの術師たちが詰めているとのこと。邸宅全域に強固な洗脳魔術がかけられていることから、コクリ、サトリを除く術師たちは全員、洗脳され、無理やり従わされている可能性が極めて大です』
「だから、そういう術師たちはできる範囲で生け捕りにするって話でしたね」
『はい。では、突入直前ということで、作戦のおさらいといきましょうか』
千晶が阿ノ玖多羅邸の地図を広げた。
『摩耶山の麓に広がる阿ノ玖多羅邸は、別名「神戸の皇居」。本物の皇居には到底及ばないものの、それでも十万平方メートル以上の敷地を誇る大要塞です。第七旅団は第ゼロ師団の他旅団の支援も受けつつ、敷地を包囲している状況です。湖太郎・エキャンバス・山田くんの自動人計六百六十六体も配置済み』
眼下のはるか千メートル下に、薄っすらと輝く土地がある。
阿ノ玖多羅邸およびその敷地だ。
『ご覧のとおり、敷地は阿ノ玖多羅家が誇る強靭な防護結界に守られています。あれがある限り、第七旅団は突入できない。まずは、結界にひびを入れるのが作戦の第一段階です。結界は強固ですが、漆宝ダイコク氏が魔王マモンを使役することで、結界の弱体化を行ってくれています』
もっともマモンへの支払いは防衛省持ちですが、と千晶。
『十五時ピッタリになったら、海自と空自による攻撃で結界にひびを入れます。来栖くんと私は、そのひびから敷地内へ侵入』
「ここから飛び降りるんですよね。俺は飛べますが、千晶さんは本当に大丈夫なんですか?」
『パラシュートがあるので、大丈夫ですよ。大人の心配は不要です。侵入後の仕事は三つ。
一つ目は、結界の無力化。敷地の四方を取り囲むように結界の要石があるはずですので、それを探し出して破壊します。
二つ目は、阿ノ玖多羅サトリの殺害。阿栖魔大明神の召喚師であるサトリ氏を殺すことで、阿栖魔大明神を異界へ追い返し、術師たちの洗脳を解きます。
一つ目と二つ目の仕事は、すべて私が行います。来栖くんには三つ目の仕事――最もシンプルかつ最も困難なミッションを担当してもらいます』
「はい。千晶さんが仕事している間、阿ノ玖多羅コクリとルーシャを抑えること、ですよね」
『別にぶっ殺してくださっても構わないんですよ?』
「だから、今朝の俺はちょっとハイになってたんですってば。まぁもちろん、殺すつもりで挑みますけど」
❖ ❖ ❖
❖同刻/阿ノ玖多羅邸・当主の間/マリア❖
「嫌っ、嫌ぁっ」
マリアは泣き叫んでいた。
マリアはベッドに縛り付けられ、ヘルメットのような呪具を被らされている。
そのヘルメットに触れ、凶悪な洗脳魔術をかけているのは阿栖魔大明神だ。
「コクリ様!」
部屋に、血相を変えた父が転がり込んできた。
「敷地は完全に方位されております。奴らが突入してくるのも時間の問題かと」
コクリがいらだたしげにため息をつく。
「アスモデウス、洗脳はまだ完了しないのか? よもや手を抜いているのではないだろうな?」
「余を使役しておるのはそなたではない」
「アスモデウス」
すかさず父が口を開く。
「本気でやっているのだろうな? 娘の洗脳はいつ終わる?」
「『娘の洗脳はいつ終わる』、かぁ。百年以上生きてきたが、トップテンに入るクソ発言じゃな」
「アスモデウス!」
「はいはい、本気でやっておりますとも」
「嫌ぁあああああっ!」
頭の中をぐちゃぐちゃにかき回され、マリアは絶叫する。
「じゃがこの娘の、操を立てようとする心が思いのほか強情でのぅ」
「操?」とコクリ。「そいつの夫は、この身共だぞ」
「人の子よ、そなた、分かって言っておるじゃろう? 無駄にプライドの高い男よの」
「ならば、どうすればいい?」
「…………」
阿栖魔大明神が目をそらす。
「アスモデウス!」と父。
「ぐぎぎぎぎ……ま、守るべき操がなくなれば、心の防波堤も崩れるじゃろう」
「なるほど」
コクリがマリアのヘルメットを脱がせた。
「お前ももう、十八だろう。子供みたいなことばかり言っていないで、いい加減聞き分けろ」
「嫌だ!」
マリアは幼い子供のように泣きじゃくる。
「ボクは来栖くんと結婚するの!」
「はぁ……ガキを抱く趣味はないのだがな」
コクリがマリアの衣服を引きちぎる。
「ひっ」
マリアは魔力で服を修復しようと試みるが、洗脳が進んでいるため、コクリを拒むような魔術を使うことができない。
「屈服させるためには仕方ない、か」
コクリが服を脱いだ。




