2(マリアが原罪を背負った理由)
❖遠い思い出/マリア❖
「お前の婚約者候補筆頭は、この男だ。阿ノ玖多羅コクリ。今年で三十になる。嫌なら彼を超える天才術師を見つけてこい」
父の地獄のような言葉から、マリア八歳の長く苦しい婚活人生が始まった。
結婚するなら絶対に年下。
それに、最推しアイドルユニットで可愛い系の■■くんみたいなのがいい。
半年かけて退魔家界隈の男児たちを調査し終えたマリアは、八歳の冬に、当時神戸で『神の子』と呼ばれ、いい気になってガキ大将を務めていた来栖(六歳)に目をつけた。
「ヤッホー! 山猿くん、キミがこのへんを荒らし回ってる分家のクソガキってことでOK?」
「なんだてめぇ、ぶっ殺すぞ! 【火球】!」
「【大火球】!」
「ぎゃああっ!」
来栖が初対面のレディーを特大の火の玉で脅してきたので、マリアはそれに数十倍する極大の火の玉で来栖の尻を炙ってやった。
「あっははは! レディーには優しくするものだよ?」
「てめぇみたいなレディーがいてたまるか! 鬼、デビル、メフィストフェレス!」
「ボクがメフィストなら、キミはファウストだ。けれど、博士と言うにはちょっとばかり知能が足りていないね。ボクがみっちり調教してあげよう」
「ぶっ殺す!」
「ボクに勝てたら、ボクがキミのお嫁さんになってあげる。その代わり、ボクが勝ったら、キミは一生ボクのペットね」
マリアは来栖を徹底的に痛めつけた。
それでもなお来栖が立ち向かってきて、かつマリアの術を見よう見まねで盗もうとしてきたので、その根性と才能を見込んで、来栖を婚約者候補に決めた。
ついでに言うと、容姿も好みだった。
暴力、
お菓子、
漫画にゲーム、
自身の美貌。
あらゆる手で来栖を洗脳したマリアは、人生の絶頂期にいた。
クソガキで山猿のようだったマリアと来栖だったが、次第に成長していった。
マリアは美しく女性らしく。
来栖は、マリアを守る騎士のような振る舞いをするようになっていった。
「来栖くん、ボクの、ボクだけの最高で最強の幼馴染。いつか来るそのときに、ボクを守ってね」
「任せとけ。誰よりも強くなって、お前を俺の嫁にしてやる。絶対に、俺が守ってやる」
来栖は天才少年だった。
アイラム師匠とマリアが冗談半分で詠唱を教えた地獄級魔術を、実際に使えてしまうほどに。
第七旅団の百数十年の歴史の中で、地獄級魔術を使うことができた人間はわずかに三名だ。
明治時代の十二聖人が一柱、『二面二瞳』のカーネリアン・オニキス姉妹と、阿栖魔大明神の配偶者となった阿ノ玖多羅名誉元帥。
いずれも伝説として語り継がれている者たちだ。
来栖は若干九歳にして、伝説の中にその名を刻んでしまったのだ。
来栖には阿ノ玖多羅本家への引き抜き打診まであったが、その話は自然消滅した。
マリアが来栖と婚約したからである。
マリアの幸福は、十五歳の冬に唐突に終わった。
来栖が魔術を使えなくなったのだ。
魔術を使おうとするたびに、全身の痛みを訴え、果ては吐血して気絶してしまう来栖。
それまでの自由奔放で尊大だった物言いが災いして、来栖は『落ちこぼれ』『堕ちた神童』と揶揄されるようになった。
マリアは父によって、来栖との婚約を破棄させられた。
血も涙もない阿ノ玖多羅コクリと結婚したら、自分は絶対に不幸になる。
四十絡みの汚い指が、手が自分の髪に、胸に、腹に触れてくるのだ。
臭くて汚いものをいっぱい注ぎ込まれるのだ。
想像しただけでも身の毛がよだつ。
泣き出したくなる。叫びたくなる。
……死にたくなる。
それで生まれた子供が女児だった場合、男児が生まれるまで永遠に孕ませられるのだろう。
まるで家畜のように。
それで心身を壊しても、だれも顧みてはくれない。
気遣ってはくれない。
そんな地獄のような環境で、子供を愛するなんて絶対に無理だ。
これはマリアの妄想ではない。
母という実例がある。
実際、母は不幸そのものだ。
阿ノ玖多羅家を継ぐに足る優秀な長男を生むためにわざわざイギリスから嫁がされてきた母は、優秀なマリアを生んでからも女児続きで、ようやく生まれた待望の長男は、マリアに比べて魔力総量が低かった。
年々追い詰められていった母は、マリアを疎んじるようになっていった。
比較的温厚な父による家庭ですらこのありさまなのだから、冷酷とのウワサの絶えないコクリに嫁いでしまったら、自分は絶対に不幸になる。
やはり幸せになるには、自分好みの最高の伴侶を自ら見つける以外にないのだ。
親の言いつけで来栖から引き離されたマリアだったが、それでもなお来栖のことを愛していた。
愛しているがゆえに、マリアは来栖を徹底的に避けるようになった。
早く、来栖のことを忘れなければ。
来栖を愛したままでコクリと結婚するなんて、そんな地獄には耐えられない。
晩冬のある日、マリアは来栖に助けを求めた。
駆け落ちを迫ったのだ。
だが、幼さの残る来栖は、マリアの提案を断った。
マリアは幻滅した。
いくら魔力が使えなくなって弱っているとはいえ、七年来の幼馴染の悲痛な願いを断るなんて。
それも、『不安だ』『怖い』という漠然とした理由で。
自信たっぷりだった凛々しい来栖は、今やどこにもいない。
いるのはただ、一人称を『僕』に変えてオドオド、なよなよ、びくびくしている小さな子供だった。
マリアはすべてを諦め、受け入れた。
コクリとの婚約を受け入れ、来栖のことを徹底的に避けるようになったマリアだったが、内心では来栖を愛し続けていた。
来栖にもらった婚約指輪も、絆創膏で隠しながら身に着け続けた。
決死の思いで切り出した駆け落ち話を、あっさりと断った弱い男。
けれど、どうしようもなく愛おしい相手。
六歳のころに拾い上げ、アイラム師匠と一緒に育て上げてきた最強の魔術師。
マリアのことだけを愛してくれる、最高の幼馴染。
やはり、七年は長過ぎたのだ。
三年が経ち、誕生日を迎え、マリアは結婚できる年齢になった。
なってしまった。
マリアはそれまで、コクリに『結婚してくれ』と言ったことがなかった。
プライドが高く、女からの服従を求めるコクリがその言葉を欲していたことは知っていたが、頑なに言わなかった。
言ったが最後、来栖との関係が決定的に終わってしまうと恐れていたからだ。
父はマリアの誕生日に、マリアに入籍届を書かせた。
世界中を探しても、こんなひどい誕プレは見つけることができないだろう。
それが、二〇二■年十月二十四日のことだ。
父は阿ノ玖多羅グループのホームページでプレリリースを打った。
マリアの結婚は世界中に知られ、もちろんメギドヶ丘学園の同級生たちにも知られ、ついには来栖にも知られることとなった。
そして、翌二十五日の夕方。
『マリア、大事な話があるんだ』
実に三年ぶりに、来栖が姿を表した。
十六歳になり、背が伸び、すっかり大人びた来栖。
相変わらずオドオドとしているところは頂けなかったが、それでもマリアは震えるほどの喜びを感じていた。
だからこそ、来栖のことを冷たく突き放した。
その日の放課後。
『逃げよう、マリア。そのためのお金は貯めてきた。ほら、三百万ある』
こちらの手をぎゅっと握ってくる最高の幼馴染の姿に、マリアは正直言ってグラリと来た。
三百万円というのは、大金だ。
別に、お金がうれしかったわけではない。
自分との逃避行のために来栖が必死に稼いでくれたその事実が、震えるほどうれしかったのだ。
だが、もう遅すぎた。
自分はもう、結婚し終わっているのだ。
そう、終わっているのだ。
『どうしてそれを、三年前のあの日、言ってくれなかったの?』
その男気を、その甲斐性を三年前に見せてくれていたのなら、自分は来栖に身を捧げていた。
身を粉にして働いて来栖を支えるつもりでいたし、逃避行を続けるためなら後ろ暗いことにだって手を染める覚悟があった。
だが、三年前の来栖は、マリアの手を取ってはくれなかったのだ。
『さよなら、来栖くん。ボクの、最高最強「だった」幼馴染』
マリアは来栖を拒絶し、立ち去ろうとした。
だが、次の瞬間、ひどい寒気と魔力反応を感じた。
振り向くと、来栖の足元から無数の蛇が湧き出し、寄り合わさって大蛇になろうとしていた。
(これはまさか――百年戦争!?)
大蛇に来栖が飲み込まれそうになった瞬間、マリアは来栖を庇い、来栖の背を強く押した。
(来栖くんは絶対に死なせない!)
来栖の代わりに大蛇に飲み込まれたマリアは、全身を嚙み砕かれる恐怖と痛みとともに絶命した。
❖ ❖ ❖
次の瞬間、マリアは目覚めた。
茫洋とした視界の中、大蛇から逃げ惑う来栖の姿が見えた。
と同時に、自身を天に引き上げようとしている美しき天使の姿も。
(あぁ……ボクは死んだのか)
第七旅団員には、『殉職した際には天に召してもらえる』という特権が与えられている。
その特権は、候補生であるメギドヶ丘学園の学生にも与えられている。
天使の手を取りかけたマリアは、考えを改めた。
(駄目だ。悠長に死んでなんていられない。来栖くん。ボクの、ボクだけの最高の幼馴染。来栖くんが死ぬなんて絶対に駄目だ!)
温かな天使の手を、マリアは霊体の手でもって払いのける。
(たとえどれほど大きな罪を背負おうとも! たとえ地獄に堕ちることになろうとも! ボクが! 来栖くんを! ま・も・る・ん・だ!)
マリアは天使の首を絞め、その頭にかじりついた。
天使を食らい尽くし、最後に残った輪っかを自身の頭に乗せ。
圧倒的大罪、
神に対する裏切り、
『原罪』を背負ったマリアは、
百年戦争最後の召喚魔王としてこの世に顕現した。




