11(来栖の死)
来栖の思考が限界に達した、そのとき。
「やめて!」
マリアが叫んだ。
「お願いします、やめてください……来栖くんを殺さないで」
「どうすればいいか、分かっているな、マリア?」
コクリが冷たく言い放つ。
火球はなおも降下し続けている。
管狐たちが悲鳴を上げながら蒸発しつつあり、それでもなお来栖に喰らいつく。
「許してください、コクリさん」
「違う、そうではない」
火球はなおも来栖を焦がす。
「すべて、あなたの言うとおりにします」
「身共が何を望んでいるのか、分かっているのだろう?」
「結婚してください」
マリアが深々と頭を下げた。
「もう二度と、逃げ出したりしません」
――ふっ
と、火球と管狐たちが消えた。
まるで夢だったかのように。
「最初から、そう言っておけばよかったのだ」
「……はい。ごめんなさい」
マリアが、泣いていた。
来栖は生まれて初めて、マリアの涙を見た。
「では、戻るぞ。我らが家へ」
「はい」
コクリがマリアに手を差し伸べた。
マリアがその手を取ると、二人の体がふわりと舞い上がった。
(【釈迦牟尼如来が脇侍・星宿光長者の薬壷・オン・ビセイシャラ・ジャヤ・ソワカ――大治癒】)
すべての傷を癒やして、ようやく来栖は生きていると実感できた。
だが、心の中は空虚だった。
マリアを守れなかったからだ。
「だっっっっっさ」
耳元でルーシャの声を聴いて、来栖は心臓が凍りつきそうになるほど驚いた。
コクリと一緒に去ったとばかり思っていたのだ。
「何の用だ!?」
来栖は飛び退く。
全身に魔力を巡らせはじめた。
見れば、エンジェルバレットが貫いたはずのルーシャ手は、綺麗サッパリ修復されてしまっている。
「何の用って。デビルから人間への用なんて、誘惑か捕食の二つしかないじゃん。僕様ちゃんのマスターはコクリちゃんだから、捕食一択なんだけどね」
「そんな、話が違う! それじゃあ、マリアは何のために……」
「キミもマリアも、何度だまされれば気が済むんだろうねぇ。きゃははっ」
ルーシャの周りに、何十本もの炎の槍が生じた。
灼熱の炎を圧縮した槍だ。
来栖の目には、それら一本一本が【第七地獄火炎】と同等の威力を秘めていることを見抜いた。
とてもではないが、正面からやりあって勝てる状況ではない。
「くそぉっ」
来栖は屋上から飛び降りた。
霊体の翼に魔力を行き渡らせ、動かしてみる。
(マリアにできたんだ。僕にだってできるはずだ!)
体が地面に向かってぐんぐんと加速していく。
あと一秒で地面の染みだ。
(くそっ、駄目か!?)
諦めて無詠唱の【韋駄天の下駄】で対応しようか迷ったそのとき、翼が空気を打った。
来栖は羽ばたく。
体が浮き上がった。
(飛べる!)
翼の受肉に成功していた。
受肉とは、デビルが物質界に現れるのと同じやり方。
高濃度の魔力で霊体を覆い、擬似的な肉体を得る方法だ。
頭上から、巨大な魔力反応。
来栖は羽ばたき、夜空へと逃れる。
ジグザグに飛行していると、すぐ脇を炎の槍が通り抜けていった。
(やばいっ)
来栖はとっさに、全身を【防護結界】で覆う。
その直後、槍が爆発した。
結界が焼けただれる。
結界が消滅するその前に、来栖は重ねがけする。
何度も、何度も何度も何度も。
十枚重ねがけして、ようやく爆発を防ぎきった。
やはりこの槍は、一本一本が【プレゲトン】級の威力を有するらしい。
というより、【プレゲトン】をアレンジしたものだ。
上級魔法による防御など、ルーシャの地獄級魔術の前では何の役にも立たない。
十枚重ねがけして、ようやくだ。
「きゃははっ。どんどんいくよ~」
続く槍の群れが殺到し、来栖を焼いた。
(【防護結界】、
【大治癒】、
【防護結界】、
【大治癒】、
【防護結界】、
【大治癒】、
【防護結界】!)
来栖は魔術を連発しながら、無我夢中で逃げ回る。
「キミ、同じ女に三回もフラれたんだよ。ダサすぎでしょ。マリアと駆け落ちするためだけにお金貯めてたんでしょ? だっていうのに、そのマリアに捨てられちゃって。もう、生きてる意味なんてないんじゃないの?」
眼下の景色が目まぐるしく変わっていく。
オフィス街が住宅街になり、住宅の数も減っていって、やがては摩耶山の麓にまで来てしまった。
来栖はもう、魔力の限界だった。
だが、勝機もあった。
ルーシャの槍が、残り一本になっていたからだ。
(これをしのげば、反撃のチャンスが来る!)
最後の槍が来た。
来栖はタイミングを合わせて【防護結界】を重ねがけする。
さすがに慣れたもので、来栖は無詠唱で十枚の結界を生じさせ、ノーダメージで乗り切ることができた。
そしてそのときにはすでに、来栖は仕込みを終えていた。
最大火力の【プレゲトン】を詠唱し終えていたのだ。
翼を動かし、振り向く。
すべての槍を撃ちきったルーシャに向かって、全身全霊の【プレゲトン】を撃ち込もうと――
「……は?」
来栖は唖然となった。
ルーシャが新たに数百、
いや、
数千本の槍を生成していたからだ。
「バイバイ、人間」
ルーシャが嗤った。
「魔力核だけは遺してよね。お腹空いちゃったからさ」
槍が、殺到してきた。
来栖は【プレゲトン】の術式を破棄し、すべての魔力を【防護結界】に回した。
最初の槍が到達するまでのゼロコンマ数秒のうちに、十枚の結界を生成した。
足りない。
まるで足りない。
二本目、三本目の槍が次々と飛来してくる。
五本目を相殺したとき、来栖は両手首の先がなくなっていることに気づいた。
爆風で吹き飛んだのだ。
(【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】【大治癒】【防護結界】……)
視界が一面の紫で染まる。
九本目の槍を防いだ。
来栖の時間が引き伸ばされていく。
十七本の槍を防いだ。
来栖の時間が無限に引き伸ばされていく。
三十四本の槍を防いだ。
七十六本の槍を、百十六本の槍を、三百十八本の槍を防いだ。
(………………………………………………………………死にたくない)
七百五十三本の槍を、千四百五本の槍を防いだ。
(死にたくないッ!)
来栖は、死にたくない。
やりたいことがたくさんあるからだ。
(マリアといっぱい遊びたかった)
二千六百七十四本の槍を防いだ。
(マリアとちゃんと付き合って、デートしたり、正直言うと、エッチなこともしたかった)
四千七百四十三本の槍を防いだ。
槍が一向に減らない。
ルーシャがあとからあとから補充しているからだ。
(マリアと結婚して、幸せな家庭を築きたかった。子供は二人以上。大きな家も建てて、猫なんかも飼ったりして)
夢とは違い、来栖は今、地獄にいる。
七千六百八十七本の槍を防いだ。
(マリア……)
マリアの顔が浮かぶ。
いろんな顔が。
『ボクに任せて!』
生死を賭けた戦闘中に見せてくれた、無敵の笑顔。
『ほら、ちゅーっ』
来栖をからかって『にしし』と笑う、イタズラっ子のような笑顔。
『ボクに勝てたら、ボクがキミのお嫁さんになってあげる。その代わり、ボクが勝ったら、キミは一生ボクのペットね』
初めて出逢ったときの、タガが外れた狂気の笑み。
思い浮かぶのは、どれもマリアの笑顔だった。
マリアはいつだって最強で、怖いものなど何もなく、力強い笑みを浮かべていた。
(マリア、マリア、マリア……ッ!)
だが、今際の際に思い浮かんだのは、マリアの泣き顔だった。
そうだ。
つい先ほど見せられた、マリアの涙。
来栖が生まれて初めて見た、マリアの涙。
マリアの弱い姿。
果たしてマリアは本当に、世界最強の幼馴染だったのか?
マリアはいつだって強く、怖いものなどなさそうで、強い笑顔で来栖を引っ張り、導いてくれた。
マリアは強いから、どれほどの苦境に立たされようとも、それこそ殺されようとも、笑って復活し、来栖のことを助けてくれるのだ。
(本当に?)
だとしたら、マリアはなぜ泣いていた?
(知りたい)
来栖は、知りたい。
マリアの心を。
マリアが本当は、どのように感じていたのかを。
(でも)
その願いは、叶わない。
「いい加減、うざい」
ルーシャが何万、何十万本もの炎の槍を生み出した。
「消えろ」




