9(コクリ襲来)
❖数十分後/神戸三宮・ラブホテル/来栖❖
「来栖くん、来栖くんっ、来栖くんっ!」
来栖を強引にホテルに連れ込み、ベッドへ押し倒したマリアが、覆いかぶさってきた。
「マリア、落ち着いてっ、マリア!」
「落ち着いてるよ。ボクは落ち着いてるし冷静だ。でも、時間がないの」
来栖は戸惑う。
来栖は少し、マリアのことが怖い。
いつものマリアじゃない。
今のマリアはまともじゃない……そのように感じる。
来栖はマリアに育てられてきた――そう言っても過言ではない。
両親が仕事で不在がちな来栖は、いつだってマリアを見て、世界の中心にマリアを据えて生きてきた。
だからこそ、来栖は不安になる。
親が不安がっていて、不安にならない子供はいないのだ。
「時間ならたくさんあるはずだろ? 僕らは結婚するんだから――んぐっ」
キスされた。
来栖の気持ちなど一切考えていないような、強引なキスだ。
「ね、来栖くん、シよう?」
「ねぇマリア、やめてよ、やめようよ」
「来栖くんはしたくないの? 来栖くんはボクのこと、好きじゃないの?」
「好きだけど、焦ってすることじゃないだろ」
マリアは明らかに錯乱している。
来栖はマリアを安心させるべく、努めて優しい声で語りかけながら、マリアの背中をなでる。
「マリアは強い。マリアが中立派に入ってくれたら、百人力だ。この戦争は中立派が勝つ。そうすれば、僕らは『ジ・アース』の力を一時的に使わせてもらえる。マリアを人間として黄泉帰らせることができるんだよ。そうしたら、結婚しよう。幸せな家庭を築くんだ」
「ボクには時間がないの! ボクはもうすぐ死ぬ。けれどその前に、一度でいいから来栖くんとつながりたいの」
「……死ぬって何さ。千晶さんが率いる中立派に入れば、そんなことにはならないよ」
「違う、違うの。天使がボクを責めているのっ」
「……。……天使はマリアじゃないか。それに、天使と言ったら僕らエクソシストの味方だろ」
「違うの! 来栖くん、ボクの話を聞いてっ」
「……。…………。聞いてるよ」
「聞いてない!」
マリアが、来栖の服を脱がせにかかった。
来栖は、怖い。
いつだって余裕を持ち、来栖を守り導いてくれていたはずのマリアが、今はひどく余裕がなく、支離滅裂な振る舞いを見せている。
来栖は怖くなった。
「い、嫌だっ」
怖くなって、マリアを押し返してしまった。
「……あ」
マリアが絶望的な、世界中から否定されたみたいな顔をした。
「……もう、いい」
マリアが部屋から飛び出す。
「マリア――」
来栖は起き上がり、マリアを追おうとした。
だが、起き上がった瞬間、腹部に激痛が走った。
来栖の腹の傷は、未だ完全にはふさがっていない。
表面上は治っているように見えるが、未だ内臓は傷ついたままなのだ。
しかも、魔力核の鍛錬のために酷使し続けている。
(痛み止めは……くそっ、部屋に置いてきた)
意識が朦朧となってきて、来栖は動けない。
(マリアを……追いかけないと……)
来栖はベッドに倒れ込み、そのまま気絶した。
❖ ❖ ❖
❖同刻/ホテルの屋上/マリア❖
来栖が追いかけてきてくれなかった。
我ながら『面倒くさい女だ』という自覚を持ちつつも、マリアはその事実に極大のショックを受けていた。
来栖は、今までマリアがどれほど振り回したとしても、『しょうがないなぁ』と苦笑しながらついて来てくれる子だった。
親鳥の後ろをついて回る雛鳥のように。
自分のことを無条件に慕ってくれる、可愛くて可愛くて仕方がない子――それが、マリアの来栖に対する認識だった。
なのに。
なのに、なのに、なのに。
来栖は、追いかけてきてはくれなかった。
(終わったんだ。もう、全部終わった。ボクの恋も、人生も、命も、何もかも。ここから去ろう。来栖くんの見ていないところで、ひっそりと死のう)
幼さと不安からくる来栖の拒絶は、余裕の消え果てたマリアにとっては、この世からの拒絶に思えた。
マリアはいつだって来栖に頼りたかった。
もたれかかりたかった。
いきなり殺されて、かと思えば天使として黄泉帰り、意味不明な殺し合いに巻き込まれたのだ。
不安で不安で仕方がなかった。
だが他ならぬマリア自身が来栖を徹底的に束縛し、調教し、マリア中心に世界が回っていると洗脳してきたのだ。
今さら『守って』、『頼らせて』などと虫のいいお願いなんてできるはずもない。
(でもせめて、来栖くんの丹田だけは戻してあげないと)
というより、来栖の治療こそ真っ先にすべきだったのだ。
そんなことすら思いつかないほど、マリアは自分本位になってしまっていた。
(なんて醜い……来栖くんに嫌われて、当然だ)
マリアは小瓶を取り出し、驚愕した。
小瓶の中身が灰になっていたからだ。
来栖の丹田は、フェイクだった。
マリアはただ、ルーシャに遊ばれていたのだ。
(ボク、本当に馬鹿だ)
マリアはホテルの屋上で一人、膝を抱える。
「気は済んだか、マリア」
その背中に、コクリが語りかけた。
「家出は終わりだ」




