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8(再会)

❖同日・夜/神戸鎮台・自室/来栖(くるす)


「おえっ……げぇっ……」


 洗面器にぶちまけられた吐瀉物の中には、血が混じっていた。


「くそっ、もう一回だ」


 来栖は魔力核に意識を集中させ、魔力を引き出そうとする。

 とたん、へその下が激しく痛みはじめた。


「うぅぅ……まだだ。早く取得しないと」


 来栖はなおも意識を集中する。

 すると、ゆっくりとだが魔力が出てきた。


「よし、よし! ――うっ」


 だが、ズキンッという刺すような痛みとともに、腹の奥から異物感がせり上がってきて、


「おえぇ……」


 吐血という形で表に出てくるのだ。

 湖太郎・エキャンバスいわく、


『霊体である魔力核と、来栖の肉体が同調しきっていない』

『丹田があれば同調も容易だっただろうが、ないものねだりをしても仕方がない』

『無理すれば死ぬ』


 とのことだった。

 来栖とて死にたくはない。

 だが、時間がないのだ。


 千晶の話によると、阿ノ玖多羅コクリと阿ノ玖多羅サトリは摩耶山の麓の邸宅に籠城しているそうなのだが、同時に配下を神戸の各地に忍び込ませ、何かの『仕込み』のようなことをしているらしい。

 その『仕込み』の引き金を引くとしたら、それは二日後のハロウィン当日夜の他にはありえないだろう。


 西洋産怪異に対する人々の関心が最も高まるこの日は、西洋産怪異の力が最も強くなる日でもある。

 西洋産怪異の王であるサタンとルシファーに集まる魔力も、間違いなく膨大なものになる。

 だから第七旅団は、その直前のハロウィン当日早朝に阿ノ玖多羅邸へ攻め込むつもりで準備しているのだ。

 環境テロリスト『ラブ&アース』確保はいったん保留とのこと。


 もちろん来栖も、その作戦に参加する。

 だから、それまでに魔力核を扱えるようになる必要があるのだ。

 だというのに、湖太郎・エキャンバスに体内霊脈を治してもらったとき以来、来栖は魔力核を制御できずにいるのだ。


(せっかく体内に魔力を流せるようになったのに、今度は魔力を引き出せなくなるなんて)


 そのとき、部屋のほうから轟音が聴こえてきた。

 来栖は慌てて部屋に戻る。

 すると、


「マリア!?」


 マリアがいた。

 マリアが、部屋の壁をぶち抜いて入ってきたのだ!


「マリア、あぁマリアっ、大丈夫――」


 来栖はマリアに駆け寄ろうとして、しかし思わず立ち止まった。

 マリアが異様な雰囲気をまとっていたからだ。

 目の下の隈がありえないほど濃くなっていて、頬はこけ、体はフラフラとしていて、なのに目だけが異常なほどギラギラしている。


「来栖くん」


 そのマリアが一歩、二歩と進んで来栖の腕をつかんだ。


「痛っ。ま、マリア?」

「来栖くん、逃げよう」

「待って、何を言ってるの? 痛いよ、マリア」

「ここには強大な魔力反応が三つもある。どれも召喚魔王の反応だ。そうでしょ? 三組もの戦争参加者がここにいる。全部ボクらの敵だ。早く逃げよう」


 確かにマリアの言うとおり、ここにはリヴァイアサンとベルフェゴールとマモン、そしてそれらの召喚師が滞在している。

 だが来栖は、彼らが敵ではないことを知っている。

 少なくとも千晶と湖太郎・エキャンバスは味方だ。

 マモンとその召喚師には未だ会ったことはないが、日本政府に助けを求めているのだから、第七旅団および千晶の傘下に入っていると言って差し支えないだろう。


「待ってよ、マリア。ここにいる戦争参加者たちは、みんな『中立派』なんだよ。みんなで力を合わせて、阿ノ玖多羅コクリを倒そうとしているんだ」

「そんなの信用できないっ。だって、『ジ・アース』を手にできるのは一組だけなんだよ? ボクらは他の七組と戦わなくちゃならないんだよ? そういうルールなんだよ?」

「その点も、日本政府がなんとかしてくれるんだよ。リヴァイアサンと千晶(ちあき)さんのペアに勝ってもらって、『中立派』で『ジ・アース』を共同管理するんだ。そりゃ、不老不死とか巨万の富を得たり世界征服なんかはできなくなるけど、マリアを黄泉帰らせることはしてくれるって千晶さんが言ってたから」

「だから、そのリヴァイアサンのペアが敵なんじゃないっ。信用できないっ」


 マリアの目線に立って考えれば、確かにそうかも知れない。

 だが、


「会ってみると分かるよ。千晶さんに会って話してみれば、あの人が嘘を言っていないって分かってもらえるはず。信頼できる人だよ」

「千晶っ、千晶っ、千晶っ」


 マリアが頭をかきむしった。


「来栖くんはボクよりも、その千晶って人のことを信じるっていうの!?」


 来栖は戸惑う。

 なぜなら、マリアはいつだって大人で、最強で、包容力のある存在のはずだったからだ。

 なのに今のマリアときたら、余裕もへったくれもない、ヒステリックな子供だからだ。


 六歳のときにマリアに拾ってもらい、それから十三歳になるまでの七年間、来栖はマリアを姉――いや、母のように慕ってきた。

 来栖には両親がいるが、二人とも退魔師で多忙なため、家政婦サービスに来栖の面倒を頼むような親だった。

 とはいえ別に、来栖は愛されていなかったというわけではない。

 触れ合う時間が取れなかった分、生活基盤やお金という形でたっぷり愛情を注いでもらってきた。


 とはいえ、寂しさを感じなかったかといえば、そんなことはない。

 来栖はいつだって触れ合いに飢えていて、愛に飢えていた。

 反動でグレて、退魔界隈の子供たちの上にガキ大将として君臨し、摩耶山において無断で人の敷地に入ったり山菜を採ったりシカやイノシシを狩ったりと、悪逆非道の限りを尽くす悪童だった。


 そんな来栖六歳の前に現れたのが、マリア八歳だった。

 マリアは、当時魔力総量数千程度の来栖を一万超えの魔力で圧倒し、ボコボコにボコして服従させたのだ。


 来栖の初級魔術【火球】は、マリアの中級魔術【大火球】に呑み込まれた。


 来栖が初級魔術【浮遊】で逃げ出そうとすると、マリアが中級魔術【飛翔】で回り込んできた。


 来栖が中級魔術【身体強化】で接近戦を挑んだら、マリアの上級魔術【金剛力】で返り討ちにされた。


 生まれてこの方、『かしこい子』『デキる子』『天才』『神童』ともてはやされ続け、いい気になってきた来栖にとって、マリアは災害、天変地異そのものだった。

 そんなマリアは、来栖が服従すると態度を一変させ、優しいお姉さんになってくれた。

 一緒にご飯を食べてくれ、一緒にお風呂に入ってくれ、添い寝してくれた。

 来栖が甘えれば、来栖が満足するまで甘やかしてくれた。


『ボクだけでいい。来栖くんは、ボクだけを見ていればいいの。来栖くん、ボクの、ボクだけの最高の幼馴染』


 それは、ほとんど毒だった。

 飲むものを虜にし、骨抜きにしてしまう猛毒。

 これが、来栖とマリアの馴れ初めである。

 それから十年。来栖は今も、マリアを愛している。


 だが、そういう経緯があったから、来栖はマリアに『強さ』を求める。

 無意識に、マリアの中に『保護者』としての姿を求めてしまうのだ。

 だから、マリアの『弱さ』を見ると戸惑い、怖くなってしまう。

 今、そのマリアが、『最強最高の幼馴染』であるはずのマリアが、弱っている。

 来栖にすがりつきながら、支離滅裂なことを言っているのだ。


「天使が枕元に立ってるの。天使がボクを見下ろして、ボクに食い殺されたことを呪ってくるの。お腹が痛い、痛い、痛いのっ。ボクはたぶん、もう、長くない。ボクは明日か明後日にも、消えてしまう。そんな気がするのっ!」


「天使? 天使はマリアだろ? 何を言っているのさ」


 来栖は、怖い。

 マリアは二つも年上で、腕力も知力も魔力もすべてがすべて、来栖より秀でていた。

 来栖はそれを当然のこととして、世界の摂理として受け入れて、だからこそマリアに服従し、マリアを愛し続けてきたのだ。

 その摂理が今、ガラガラと音を立てて崩れはじめている。

 来栖の世界が、基盤が、足元から崩れはじめている。


「逃げよう、来栖くん! 今すぐ!」


 マリアが来栖の腕をつかみ、引っ張った。

 そのとき、来栖の背後で自室のドアが開いた。


「来栖くん、無事ですか!?」


 千晶だった。

 さらに、複数の大人たちの足音や声。


「千晶さんっ、いいところに」


 来栖は千晶に助けを求める。


「マリアが錯乱して――」

「お前かぁあぁああああああああああああッ!」


 マリアが絶叫した。

 突風が千晶たちを打つ。


「来栖くんは渡さない!」


 マリアが来栖を抱きしめ、夜空へと舞い上がった。

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