7(一方のマリア)
❖翌三十日/阿ノ玖多羅本家屋敷/マリア❖
数日が経った。
マリアは疲弊していた。
昼には洗脳魔術を浴び続け、夜には眠れない日々。
日中、阿栖魔大明神の苛烈な洗脳魔術にさらされ続け、マリアの精神は途方もなく疲弊している。
なのに、夜、解放されてもなおマリアは寝付くことができない。
夜になるとお腹――丹田がキリキリと痛むのだ。
理由はなんとなく見当がついている。
痛みに疲れて気絶するように眠ると、決まって夢に『天使』が現れるからだ。
自分を食ったマリアのことを、『原罪』を背負ったマリアのことを責めているのだ。
痛い。痛い。痛い。
お腹が痛い。
「……ボクはきっと、長くはない」
つぶやいて、目を開く。
自室で寝ていたはずなのに、気がつけばマリアは、当主の間で縛り上げられ、阿栖魔大明神の洗脳魔術を受けている。
(来栖くん……逢いたい……ボクがボクでなくなる前に……ボクが死んじゃう前に……)
時間の感覚が曖昧だ。
朝か昼か夜かも分からない。
起きているのか気絶しているのか。
これが現実なのか夢なのかも判別できない。
(来栖くん……くるすくん……くるす……くるすって何だっけ?)
頭が痛い。
ハンマーで叩かれたみたいに、痛い。
脳天にアイスピックを突き立てられて、ぐりぐりとかき回されているみたいに、痛い。
だがそれ以上に、お腹が痛い。
あの天使が、マリアをさいなむのだ。
(ボクは何のためにここにいるんだっけ? 誰かを守るために、誰かの身代わりになって、ここに来たはずなんだ。でも、それは誰?)
大切なことを忘れてしまったような気がする。
(ボクは誰かを守るために、大罪を背負ってまで復活したはずなんだ。ボクは誰を守りたかったんだろう?)
「ねぇねぇコクリぃ~、暇だから遊んでよぉ~」
甲高い声に目を開いてみれば、褐色の天使がコクリに絡みついているところだった。
ルーシャはやはり、コクリに好意を抱いているようだ。
(あんなサイコパスの、どこがそんなにいいの)
マリアは必死に、そのように考える。
だが、ともすればコクリのことを熱い視線で追ってしまう自分に気づいている。
阿栖魔大明神の洗脳魔術の効果が現れはじめているのだ。
「駄目だ。身共は忙しい。それよりも、サトリ。マリアの洗脳の進捗はどうだ?」
「あと一歩といったところです」
父がコクリに頭を下げる。
「我が娘ながら強情で。申し訳ございません」
「ねぇねぇコクリ」
ルーシャが食い下がる。
「あんな辛気臭いガキはやめにして、僕様ちゃんにしとこうよ。『ジ・アース』が手に入ったら、少なくとも向こう百年は一緒にいられるわけだしさぁ」
コクリはルーシャを無視する。
「急げ。身共が阿ノ玖多羅グループを掌握するためには、マリアとの結婚が不可欠なのだから」
「分かっております」
「ルーシャよ、身共たちは少し外出する。お前はここにいろ。余計なことはするなよ」
「ちょっと、コクリぃ~」
名残惜しそうなルーシャを置いて、コクリとサトリがさっさと出ていってしまった。
あとにはマリア、ルーシャ、阿栖魔大明神が残される。
「……それよりも、って何さ」
ルーシャがマリアを睨みつける。
マリアは何も言わずにルーシャを見つめる。
「こんなクソ生意気なガキのどこがいいってのさ」
「…………」
「あーあ、つまんない。ねぇ小娘、ちょっとは僕様ちゃんを楽しませてよ」
マリアは何も言わない。
答えるだけの余裕がないのだ。
(ボクは誰を守りたかったんだっけ? 大切な、とても大切な人がいたはずなんだ)
「【アイテムボックス】」
ルーシャが魔術を使った。
亜空間に物を収納する魔術だ。
ルーシャが亜空間に腕を突っ込み、何かを取り出した。
小瓶だった。
中に、薄っすらと輝く内臓が収められている。
「これ、何だか分かる?」
「丹田……? 誰の」
「阿ノ九多羅来栖のだよ」
(来栖くん!)
その名前を聴いたとたん、マリアは覚醒した。
(来栖くんだ。ボクの、ボクだけの、最高の幼馴染! どうして忘れていたんだろう)
気がつけば、マリアは縄を引きちぎっていた。
ルーシャを殴りつけ、小瓶を奪い取る。
「あぎゃっ!?」
「【私はよき羊飼い】!」
最も魔力消費の少ない魔術で、ルーシャの体を部屋の外、庭の端にまで押し流す。
振り向けば、阿栖魔大明神がニヤリと笑っていた。
「行きたいのなら行けばよい。余が受けた命令は、そなたを洗脳することじゃ。そなたを捕まえることではない」
「ありがとうございます、阿栖魔大明神様」
マリアは大きく羽ばたいた。
大量の羊たちがぶち破っていった障子から中庭に飛び出し、空高く舞い上がった。
もう、日が落ちかけていた。
(待ってて、来栖くん! 今行くから! この丹田を来栖くんの中に戻せば、ボクらは再び最強になれる!)
召喚魔王と魔王召喚師の特性として、二人は互いの位置を感じることができる。
血のように赤く燃え上がる空を、マリアは南西へと飛んでいった。




