1(引き裂かれる来栖とマリア)
❖同刻/ひと気のない公園/阿ノ(の)玖多羅真里亜❖
来栖が血を吐いて、その場に崩れ落ちた。
「来栖くん!」
マリアは悲鳴を上げる。
来栖に駆け寄り、即座に治癒を試みたが、彼の腹にぽっかりと空いた傷が塞がらない。
マリアの中に十分な魔力が残っていないのだ。
来栖の腹から、血が溢れ出てくる。
マリアは必死に、傷口を両手で抑える。
だが、抑えた指の隙間から、血が溢れてくる。
(そうだ、魔力を譲渡してもらえば!)
マリアは来栖にキスし、魔力を吸い上げようと試みた。
が、魔力がちっとも吸い上げられない。
考えてもみれば、当然のことだった。
来栖は、阿ノ玖多羅コクリに丹田を抜かれてしまったのだから。
丹田は魔術師のみが持つ臓器であり、これを失った魔術師は魔力を失う。
コクリが来栖の丹田を小瓶に詰めて、懐に仕舞った。
「はしたないな、マリア」
コクリが冷たい声で言った。
「人前で口付けなど。それも、本来の婚約者である身共の前で」
「来栖くんの丹田を返せぇぇぇえええええええエエエエエエエッ!」
マリアはコクリにつかみかかる。
が、コクリの体捌きによって、簡単に転ばされてしまった。
「少し、教育が必要なようだな。サタン」
「きゃははっ」
虚空から、褐色肌の天使が現れた。
ルシファーやサタンのような、マスコットキャラめいた三等身の天使だ。
だが、先の二柱と違い、今度の天使は極めて明瞭な自我を持っているように見受けられる。
「おや? サタン、お前、様子が変わったな」
「これこそが、僕様ちゃんの真の姿。ルキフェル・シャイターンだよ。ルーシャって呼んで!」
ルーシャと自称する褐色肌の天使が、コクリの周りでクルクルと踊る。
「あー、空気が美味しい。サタンって嫌いなんだよねー。臭いし、肌はヘドロ色だし。典型的な『悪魔サタン』のイメージっての?」
楽しげに踊っていたルーシャが、一転して邪悪な笑顔になった。
「で? こいつを殺せばいいわけ?」
「殺してはいけない。少し、教育してやるだけだ」
「ふぅん」
コクリとルーシャが会話をしている隙を突いて、マリアは来栖を抱き上げた。
全力で翼を打ち、空に舞い上がる。
逃げるのだ。
勝てっこない。
だが、
「【第七地獄火炎】」
背後から、空を覆い尽くすほどの爆炎が襲いかかってきた。
ルーシャが地獄級火炎魔術を使ったのだ。
それも、省略詠唱で。
「ぎゃあっ」
マリアは全身を焼かれながらも、無我夢中で来栖を守る。
翼を大きく広げ、来栖の全身をすっぽり覆い隠す。
マリアは残りの乏しい魔力を使って、翼を再生させる。
何度も何度も、焼かれては再生させ、焼かれては再生させを繰り返し、来栖を守る。
十数秒ほども経って、ようやく爆炎と熱風が止んだ。
「【第二地獄暴風】」
ほっとしたのも束の間、今度は地獄級風魔法が放たれた。
超巨大なハリケーンが発生し、大量の建造物と一緒にマリアたちを飲み込む。
マリアは来栖を抱きしめたまま、雲の上まで舞い上げられた。
マリアはそれでも、来栖を放さない。
(守るんだ。ボクが、来栖くんを守るんだ!)
翼や体がズタズタに切り裂かれてしまい、マリアはもはや飛ぶこともままならない。
なすすべもなく落下していく。
やがて、眼下に街並みが視えてきた。
いよいよ地面が差し迫ってきて、最後の力を振り絞って羽ばたこうとした、そのとき。
「【第九氷地獄第三楽章】」
マリアの翼が凍りついた。
ルーシャの地獄級魔術だ。
翼を再生させようとしても、できない。
翼をいったん引っ込めようとしたが、それすらできない。
(魔力体すら凍らせる魔術だって!?)
まるで、地獄級魔術のバーゲンセールだ。
しかも、ルーシャは省略詠唱で軽々と連発してみせるのだ。
マリアは地面に背を向け、来栖をかばう姿勢を取る。
覚悟を決めたマリアは、残りの全魔力で来栖に回復魔法をかけながら、ついに地面と接触した。
(来栖くん、来栖くん、お願いお願い!)
恐る恐る見てみれば、果たして来栖は五体満足だった。
だが、依然として腹からの出血は止まっていない。
一方のマリアは、背骨が折れ、内臓という内臓がぐちゃぐちゃで、自分がどんな姿になっているのか想像もできない。
それでもなお生きているのは、魔力体だからだ。
「なぁに? この子、ちょっといい匂いがする」
かすむ視界の中、ルーシャがやって来るのが見えた。
マリアはあっけなく、来栖を奪い取られてしまう。
「食べてもいい?」
「食べてはいけない」
コクリの声がした。
「そいつは大事な交渉カードだからね」
コクリがマリアの頭をつま先で小突いた。
「生きているかい? 魔力体なら、この程度で死にはしないだろうが」
一転して、マリアはコクリに優しく抱き上げられた。
この男の中には、暴力性と慈愛がいともたやすく同居しているのだ。
矛盾なく同居している。
それが、この男の恐ろしさなのだ。
「消滅されては困るからな」
コクリの唇が近づいてきた。
口付け、された。
マリアは拒みたかったが、できなかった。喉
は浅ましくも、コクリの魔力を貪欲に飲み込んでいた。
(これは、来栖くんのため。こいつの魔力を取り込んで、反撃するためだ。来栖くんを死なせないためにも、ボクが消えるわけにはいかない……!)
「おっと、これ以上は駄目だ」
コクリが唇を離した。
消滅は免れたものの、マリアはコクリとルーシャに立ち向かえるほどの魔力はもらえなかった。
「結婚しよう。さぁ、身共の手を取ってれ。お前にも利のある話だ」
「誰があんたみたいなサイコパスと!」
「だが、新たな魔力供給源がなければ、お前は死んでしまうだろう?」
「お前の物になるくらいなら、死んだほうがましだ!」
「最愛の幼馴染が死んでしまってもいいのかい?」
見れば、ルーシャが来栖の首をつかみ、宙吊りにしている。
「一分だけ時間をやる。決断しろ」
ルーシャが来栖を放した。
マリアは無我夢中で来栖に駆け寄る。
マリアは来栖を優しく抱き起こす。
「マ……リ……ア……?」
(今から来栖くんを抱き上げて、逃走を試みる?)
マリアは逡巡する。
(無理だ。さっきの二の舞いになるだけだ)
マリアは、決断した。
「ボクがあなたの物になったら、来栖くんを助けてくれますか?」
「約束しよう。ルーシャ、治癒魔術は使えるな?」
「【パーフェクトヒール】は無理だけど、【エクストラヒール】までならねー」
「……分かりました」
マリアは、来栖をぎゅっと抱きしめる。
「来栖くん。ボクの、ボクだけの、最高の幼馴染。キミは、ボクが守るから。……さようなら」
マリアは来栖を横たえ、コクリに向き直った。
婚約者に向かって深々と頭を下げる。
「阿ノ玖多羅コクリさん、ボクと結婚してください」




