9(死闘再び)
❖早朝/ルシファーのワールド・オブ・グランドシジル/来栖❖
「【オン・アハラシャノウ――文殊慧眼】!」
来栖はダメ元で詠唱してみた。
すると、
「できた! ドラゴンの魔力総量は、五万だ。【光あれ】を五、六発当てれば勝てる計算だけど……ぎゃっ」
ドラゴンと目が合った瞬間、両目に激痛。
【文殊慧眼】を無効化されたのだ。
「大丈夫!?」
「大丈夫。収穫もあった。奴は空間内の魔術を無条件に無効化できるってわけじゃない。こちらが魔術を使っていることを認識しないと、無効化できないんだ」
「それってつまり、奴の裏をかくことができれば?」
「僕が囮になる。マリアは上空まで登って、しばらく隠れてて」
「奴の意識がボクから離れた瞬間に、撃てばいいんだね。でも、くれぐれも無理しないでね、来栖くん」
「無理はするさ」
来栖はニヤリと笑ってみせる。
「愛する嫁のためだもの。でも、死ぬつもりはない」
「来栖くんったら!」
頬を染めたマリアが、空高く舞い上がっていった。
「そら、クソトカゲ! お前の相手はこの僕だ!」
――ゴァアアアアアアアアアアアアアッ!
ドラゴンが来栖をロックオンした。
突進してくる。
来栖は『左右の足の母趾球に、交互に魔力を充填する』という神がかりめいた魔力操作により、人外の速度で走りはじめる。
母趾球とは、人間が走る際に真っ先に力を込める、親指の付け根の筋肉のことだ。
右足で地面を蹴る瞬間には右足の母趾球に、
左足で地面を蹴る瞬間には左足の母趾球に、
十三ミリリットル分の魔力を充填させる。
これにより、一歩一歩で爆発的な加速を得ることができるのだ。
その速度は数歩目で時速五十キロを超え、最高速度は百キロを超える。
この空間には障害物などないので、ひたすら速く走ることができる。
だが、相手は空飛ぶ体高数百メートルのバケモノ。
あっという間に追いつかれてしまった。
ドラゴンが、来栖の背中目がけて巨大な爪を振り下ろしてくる!
だが、そのときにはもう、来栖は準備を終えていた。
振り向き、半身に構え、右手の人差し指と中指を剣のように鋭く伸ばしている。
(今!)
右手の二指に集めた魔力で、ドラゴンの爪を受け流した。
大質量の衝突を、たった十三ミリリットルの魔力で『いなした』のだ。
ドラゴンの爪が、地面に深々と突き刺さる。
ドラゴンの瞳孔が開いた。
来栖が自分の攻撃を『いなした』ことに対して、明らかに驚いている。
つまり、ドラゴンの関心が来栖に集中している、ということだ。
「今だ!」
「【光あれ】!」
間髪入れず、上空のマリアが詠唱した。
目もくらむような熱光線が、ドラゴンの無防備な背中に降り注ぐ。
――ゴァアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
(効いてる!)
「【光あれ】! ――あぁ、もうっ」
もう一発は、不発だった。
無効化されたのだ。
「来栖くん、どうしよう!?」
ドラゴンが振り向こうとする。
「バカトカゲェェエエエエエエエエッ! お前の敵は、この俺だ!」
来栖は力の限り叫んだ。
一人称が昔のものに戻ってしまうほどの激情を込めて。
ドラゴンの関心が来栖に戻った。
ドラゴンが大きく息を吸い込む。
(ブレスが来る!)
あの、鉄すら一瞬で蒸発させる、一〇〇〇〇度超えの熱の塊が。
ドラゴンが、来栖目がけて息を吐いた。
来栖は、魔力を充填させた両目でもって、ドラゴンブレスの初速を割り出した。
次の瞬間、魔力を右の二指に集める。
それから、目を焼かれないようまぶたを閉じて、文字どおり命を懸けて集中した。
(今!)
来栖は、右手の二指で、ドラゴンブレスを弾いた。
次に目を開いたとき、来栖は無事だった。遠く遠く背後の上空から、ブレスが発する轟音が聴こえた。
(できた……できたできたできた!)
来栖は興奮した。
「マリア、今だ!」
「【光あれ】!」
ドラゴンが苦しむ。
ダメージが確実に蓄積している。
(戦えている。たった十三ミリリットルの魔力でも、十分戦えてるじゃないか!)
再び空へ退避しようとしているマリアへ、来栖は叫ぶ。
「こいつ、頭が悪い! たぶん、召喚師が死んだから、バグった状態なんだ。この方法を続けるぞ!」
来栖とマリアは、同じ奇跡をさらに三回積み上げた。
そうしてラスト、六回目。
「今!」
「【神は言われた・光あれ・と】!」
――ゴァアォオオォオォオオオオオオオオ……
体を構成する魔力をすべて相殺されてしまったドラゴン・ルシファーが、ボロボロと崩れ去っていく。
「すごいすごい! さすがは来栖くんだ!」
「マリアもな!」
来栖はマリアとハイタッチした。
来栖は、うれしい。
たったの十三ミリリットルでも、やりようによっては十分マリアの助けになれるのだ。
気がつくと、太陽が戻っていた。
ワールド・オブ・グランドシジルが解除されたのだ。
(助かった)
「来栖くん、あれ!」
来栖の安堵は、あっという間に崩れ去った。
マリアが示す先、線路沿いの上空に、崩れたはずのドラゴンの体が浮かんでいたからだ。
ドラゴンが再生しはじめている。
来栖は両目に魔力を集め、状況を看破した。
「あいつ、ワールド・オブ・グランドシジルの構成に使っていた魔力を取り込んでいるんだ!」
「どうする? もう一発撃ち込んでみる?」
「残存魔力は?」
「実は、もうない。【光あれ】を撃ったら、ボクは消滅しちゃう」
「すぐに魔力譲渡を――」
ドラゴンの体が光り輝き、膨張しはじめた。
「あいつ、まさか自爆するつもりか!?」
「させない!」
マリアがとっさに舞い上がり、
「【来たり給え・創造主なる聖霊よ――スピリッツシールド】!」
炎のハトを召喚して、ドラゴン・ルシファーの自爆を抑え込もうとする。
【スピリッツシールド】は、【光あれ】ほどの極大魔力を消費するものではない。
だが、
(防ぎきれるのか!?)
来栖は周囲を見回す。
ここは、神戸のど真ん中。
JR三宮の駅前という、もっとも建物が集中している場所だ。
一〇〇〇〇度超えのブレスを連発するような敵の、自爆攻撃。
その威力が、ドラゴンブレスや【プレゲトン】よりも低いなどとは、とても思えない。
下手な楽観はすべきでない。
(マリアだって無事では済まない。マリアが再び死ぬようなことになったら、僕は――)
だからといって、どうすればいいと言うのか。
(マリアと一緒に逃げる? 街の人々を見捨てて? 馬鹿な、そんなこと許されるはずがない)
ドラゴン・ルシファーの体は、ますます膨張しつつある。
もはや破裂寸前だ。
(どうしようどうしようどうしよう!)
来栖の混乱が極地に達した、そのとき――、




