23・少女は旅立ちの証を求めて・1
アスターシャとドリューは、今日リルフォードを発つ。
この街では災難にこそ見舞われたが、とりあえずは無事で。目的の片割れである『竜人族』の情報は芳しくないが、この旅の目的はそれだけではない。自分の世界を広げる旅路。ある意味、今日がその旅の始発点だ。
アスターシャとドリューは宿を引き払い、旅の前の腹ごしらえとして手近な食堂に入る。これも、アスターシャの旅の楽しみだった。
城での豪勢な食事はそれはそれで美味しい。それは腹を満たすという意味の他に、他所の出しても恥ずかしくない淑女としての振る舞いを磨く行為でもある。食事を通して、ナイフとフォーク裁きを幼い頃から躾られてきた。
ノルダッドに足を踏み入れたこと端とする、王族ではない人間達の食事は、アスターシャにとっては鮮烈な変化だった。
木に成る実を直接食べたり、野生の獣の肉を狩って口にする。フォークとナイフの扱いを誰の目を気にするでもないそれは、アスターシャの憧れでもあった。上品であることが一国の姫に課せられた使命でもあるが、こういう自由に楽しめる食事というものは、窮屈というわけではないが、それから解放された、アスターシャがかねてより思い描いていたものだ。
裏路地にひっそりと佇む、うらびれたその店は、表通りに負けない美味しそうな匂いを店先に漂わせている。このような店を選ぶのは、ドリューのことを配慮もある。
食堂の中は、ぽつぽつと人がいる。それは、これからアスターシャと同様街を出る前の景気付けか、地元の人間もいるだろう。
扉を空けて入店する女と体格の大きい影の出現に、そちらの方を目にする一団が、身体を震わせて椅子を打ちな鳴らした。
「ぐはっ!お、お前らは」
男がアスターシャを見るや否や、男は顔を強張らせる。特に、アスターシャの背後にいる巨体へ対して。
その男の狼狽ぶりに、席を同じくしていた仲間達も戦慄に身体を震わせた。仲間同士、身を寄せ合い、まるで雨に打ち震えるネコのようだ。
数日前。
アスターシャを攫い、人買いに売り払おうとした罪は、ロズタリアの刑法に照らし合わせれば死罪に相当する。が、当然男達はアスターシャがその大国の姫だという正体を知らない。勿論、知らないからこそ行えた悪行なのだろうが。王族の招待を知った上でそうのような狼藉を働くのは、余程の身の程しらずか。僅かばかりの成功率に望みを託す愚か者か。
「貴方達。もう、あのような悪行は働いていませんか?」
咎めるようなアスターシャの目に、男達は店の壁に張り付くように身を寄せ固め合う。アスターシャに叱咤されて身体を縮こませているというよりも、その背後。大柄な竜の頭部の存在に恐れを感じて取っているのは自明の理。
「は、はい。俺達、真っ当な情報屋に戻るつもりです!人の売り買いなんて、人間のすることじゃあございやせん!」
すっかり腰の低くなったリーダー格が、手もみをするように両手を重ねながら低姿勢。
「な、なのでしょっぴくのは勘弁していただきたいのですが」
冒険者でひしめくリルフォードは、規律に厳しい騎士のような人間で溢れている訳では無い。戦果や宝を出し抜こうと、冒険者同士が見えない思惑を交錯させる街でもある。
冒険者同士の諍いは、命に関わるもの以外は黙認されることも多い。もし、アスターシャの誘拐が成ったとしても、それはその状況に陥る当人の責任として処理されるだろう。それが、冒険者という自由を引き換えにした責任だ。もっとも、その対象が王族ならばその限りでは当然無いが。
まるで別人ではないのかという変わり身に、アスターシャは僅かに困った目を向けているが、捕らわれた時のような悪人めいた意志は感じられない。
「姫!こちらの席へどうぞ!」
男達の中から、手近な席の椅子を引き、まるでその導くように片膝を付いてテーブルをセッティング。
一瞬、『姫』と呼ばれて胸が複雑なざわめきが湧き出たが、アスターシャは慌てて手を振り、自分で席を選び椅子を引く。
男達の変わり身は、どちらかと言えばドリューへの畏怖が含まれているからだろう。刃も通らず、その腕で倒し伏せられては、そういう感情に至るのは仕方が無いと言えるだろう。
その一連を、周囲の別の客は何事かと目を向けている。
アスターシャを攫いかけた連中は、テーブルの上の料理を片付けに走っている。肉や野菜を口の中に詰め、それを無理やりスープで流し込む。
早々にこの場から立ち去りたいという意思がありありと見える。
そんな連中の前にドリューは足を踏み出し。男達が格闘する料理の並ぶテーブルに大きな影が落ち。口に物を詰めている集団は一様にその影の主に視線を上げ。
そこに佇む巨大な体躯に、喉に物を詰め込む男は、その威圧感で気道を渋滞させる。
「ぐ、ぐほ」
それと同時に全身を絡め取られる怖気。人間相手には感じたことの無い圧迫感。普通に生きている人間ならば、鱗にまみれた竜頭を、この距離で見ることなど無いだろう。
「お前達、情報屋と言ったな」
かつてはそのネットワークで情報を売り買いする生業で飯を食っていたが、人手不足や他組織の台頭で、その地位を奪われ、人の売り買いに身を染めるにまで堕ちた。
「俺と同じ姿の存在は知っているか」
口元まで覆うマントを下げ、ドリューはその頭部全体を晒す。
「そ、それは『竜人族』という一族という意味で、でしょうか」
そのドリューの行動の意味をアスターシャは理解した。情報屋ならば『竜人族』について、何か知っているかも知れない。
「・・・『亜人』、とりわけ『竜人族』については目撃数も少ない」
リーダー格の男は、顎に指を添えながら口を開く。
それ故、噂話だけが先行しているのが現状だ。ちなみに『亜人』とは、人とは異なる種族を指す言葉だ。その中に『竜人族』も含まれる。
「お、俺だってこうして本物を見るのは生まれて初めてだ」
冒険者では無い人間は、『竜人族』について伝え聞くのは荒々しい振る舞いに付いてのみだろう。曰く、人を食う暴虐の種族。勿論、アスターシャは彼らがそんな物を主食にしていないことを知っている。
「ドリューは、そんな間違って伝わる伝承通りの方ではなく、ちゃんと話せば通じる紳士です」
ノルダッドに住む『竜人族』も、皆優しい。・・・青色の鱗の戦士は、少し粗暴だったのは否めなかったけど。
アスターシャはドリューに身体を寄せ、胸元に顔を近づつつ無遠慮に背中をさすりながら無害をアピール。その様子をドリューは黙って受け入れる。
その関係性を知らない人間からすると、いつ噛みつかれるかわからない綱渡りにも似たヒヤヒヤ感が伺えて。何かの機嫌の変化のきっかけで、その少女は頭ごとまるかじりにされるのではという方が強い。
確かに、目の前の少女とこの『竜人族』はそんな無礼な行為も意に介さない程の親密さが見える。恐れる様子が微塵も見えない。
「流石にそれはやめて欲しいのだが」
アスターシャが背中に続いて犬を手懐けるかのように、ドリューの顎下に手を這わせ、弄ぶように蠢かせているのは、従者というよりもペットに格下げされているように思えてならない。
「あ、ごめんなさい」
そんなやり取りも、大げさに言えば暴ぶるの使徒として伝え聞く好戦的な武人の面影は無い。
「私達は世界を回る旅の道すがら、『竜人族』に出会うのをひとつの目的としています」
「・・・『竜人族』に会って何をするつもりだ?」
「『竜人族』は、まだまだこの世界での名通りとは別に、謎の多い存在です。私は、そんな彼らを知りたいのです」
男はアスターシャを下から上へ眺めたところで、
「・・・嬢ちゃん、学者か何かか?」
そんな好奇心は、普通の人間ならまず起こり得ない。一生関わらないで生きていく人間が大半であろう。
「ええと」
その質問に、アスターシャは困ったように苦笑いを浮かべ。
「そういうわけではないんですけど、単純に私の興味です」
まさか、自分の素性を話すわけにも行くまい。
「『竜人族』の生態や生活様式が分かれば、人間にこんなに恐れられることもないと思うのです」
目の前の男達がそうであるように、『竜人族』が人間に恐れられているのは、無知がもたらすものが大半だろう。人が、原因の分からない自然現象を恐れるように。
「きっと、人間と仲良く、手を取り合う存在になれる・・・。私はそう思います」
それは、アスターシャの願いでもあり。望みだ。
それを証明するように、アスターシャはドリューの隣で寄り添い、その鱗に覆われた腕に触れる。その行為自体が、およそ『竜人族』の逸話を耳にしている人間からしてみれば、有り得ない光景だ。
リーダー格は、僅かの間目を閉じ逡巡。そして。
「・・・わかった。『竜人族』の情報を手に入れたら、あんた等に譲ってやる。少ないながらも、各地に俺等の仲間も現存している」
思いがけない言葉に、アスターシャの顔は綻ぶ。
「本当ですか!?」
アスターシャの歓喜に満ちた笑みが、リーダー格に向けられる。
「あくまで通常業務の片手間だ。こっちも暇じゃないんでな。人攫い業が潰されたんだ、地道にやっていかなきゃならねえ」
その言葉に、アスターシャは眉根を寄せる。人攫いなんて、他人に誇れるまともな職業では無いと思う。でも、それを改めてくれたのは嬉しい。
「それであんたを攫おうとしたのは手打ちにしてもらえると助かる」
相手が王族でなくとも、誘拐はよろしく無い。
「・・・アスターシャ。お前は甘いのでは無いのか?」
アスターシャがこの男達にされたことに比べれば、処遇がゆるいとドリューは思う。
「この方達の協力があれば、『竜人族』の情報が得られるかもしれないのですよ?」
そう言うアスターシャの表情は実に晴れやかだ。自分にされた仕打ちなど、等の昔の出来事としているのか、『竜人族』へ至る光明の方が喜ばしいことなのだろう。
呑気な君主の態度に、従者は浅く溜め息を吐くのであった。
男達はその組織の名を『ラングレド』と言った。
様々な情報を金脈として扱う、かつては裏の世界では名の知れた一団だったが、同様の組織が台頭し、技術に関しても抱え込む人の数を原因として衰退の一途を辿る。闇の世界でしか生きてこなかった彼らは、事業を鞍替えするもなかなか上手くいかず、それでも後ろ暗い世界を脱するには至らなかったと言う。僅かに残る仲間と共に、再び情報という世界で生きることを約束する。
リーダー格の男は、名をジャドと名乗った。
ジャドは、アスターシャにエンブレムのようなバッジを手渡した。
「これが俺達のチームのシンボルだ。どこかで俺の仲間と出会った時は、これを見せればわかるはずだ」
もっとも、スカの時もあるだろうがな、と続けて。
期せずして情報屋との繋がりが出来、この先の冒険の力になりそうだ。
リーダー格の男、ジャドを始め、その部下である団員はドリューの威圧感により早々に店を出ることを考えていたが、いつの間にかその場所を同じテーブルとして、アスターシャとドリューを含めた大仰な食事会へと変貌した。
アスターシャの、その齢で世界に飛び出る冒険者としての目的に(もちろん素性は明かさずに)、男達は感心しきりで。
そして、ドリューに対しては最初こそ畏怖があったものの、こうして食卓を囲むことによって、その恐れる感覚が希薄になっていったように思える。
ドリューのことは、姿が人間とは異なるだけの戦士。
物珍しさも含むその目に囲まれるドリューには、もう恐怖などの意識は遠ざっているように思えた。
これがこの場だけではなく、全世界に広がればいいな、とアスターシャは思った。




