22・姫は、甘い言葉で囚われて
側に仲間がいないのは、決して寂しさだけをもたらすものではない。むしろ、奮い立つ。
アスターシャはもう、国の庇護を受けられる立場ではない。全て自分の責任で、自分で判断し、自分で動くことを必要とされる。
ドリュー達以外の『竜人族』と出会うことは、アスターシャに新たな世界を見せてくれるだろう。それ自体が、この旅の本来の目的である、知識の研鑽に繋がると信じて。
そのために、アスターシャは努力を惜しまないつもりだ。
できるだけ情報を集め、『竜人族』への手掛かりを探る。
ドリューは頼りになる仲間だ。その武の腕は、自分と比べるものでもない。だけど、自分ひとりでも出来ることがあるのだと。あの日の幼い自分に誓った。そのために剣を磨き、成長したつもりだ。
『竜人族』にとっては僅かな三年間かも知れない。でも、それはアスターシャにとっては濃密な三年で。
その成果を見せる旅でもある。ドリューと肩を並べる友になりたいのは、本当の想いだ。
アスターシャのために悪戯に仲間を傷付けられ、何も出来なかったあの日。自分を匿って暮れていた彼らへの恩義を、少しでも返したいのだ。
アスターシャが集めたのは、本来の旅人の赴く街道ではない、険しい道の情報だ。それは身を隠す『竜人族』に繋がる可能性がある。
人の足の向かない方向にこそ、求める存在は居る。
だが、情報は芳しくない。
わざわざ悪路を行く者など、皆無に等しい。よくよく考えたら当たり前だ。危険を犯してまで行く道では無いだろう。
情報収集はいきなり暗礁に乗り上げた。
リルフォードからは暫く平坦な街道が続く。険しい山岳地帯も見えない。
ここを発って、次の街で情報を集めるか。
これだけの活気で何もなければ、ここで得られるものは無いだろう。まずはドリューとの集合場所に合流して・・・。
その時。
「お嬢さん」
声を掛けられ、アスターシャは振り返る。
そこには、ひとりの男が居た。帽子を目深に被り、表情は伺えなかったが、声色でそうだと気付いた。
「何か嗅ぎ回っているようだけど、いや。探していると言ったほうがいいかな」
そう言いながら、口元に笑みを浮かべた。
「ごめんごめん。聞いていることが耳に入っちゃってさ」
不審を抱かせないようにするためか、身振り手振りで男はアスターシャに話しかける。
「わざわざ危ねえ橋を渡ろうとするなんて、見た目によらずアクティブだな」
男は浮かべた口元だけで友好的を形造った。
「あ、俺は情報屋を仲間と共に営んでんだ。欲しい情報がありゃ、譲ってやってもいいぜ」
その言葉に、アスターシャは飛び上がらんばかりに踵を上げた。
待っているだけではこんな親切なひとには出会わなかった。やはり、動くことで世界は回るのだ。
「本当ですか!?」
「俺等のねぐらに行く道すがら自己紹介をするが、どうだい?」
「良いんですか!?お願いします!」
淀んでいたアスターシャの眼前が、光明に包まれた気がした。
男の後を、アスターシャは続く。その帽子で陰る口元に醜悪な笑みが浮かんでいるのに気が付かずに。
日の当たらない場所での情報収集はドリューが請け負う。
『竜人族』の存在を恐れる者が居る中で、恐れる者が居ないのもまた一定数は居る。
個人の価値観の中で、『竜人族』よりも恐ろしい存在が居るだろうし、百戦錬磨の武人にとっては、些末なものなのかも知れない。
だが、ドリューが集めた情報も同じようなものだった。明確な理由が無い限り、『竜人族』と接触するような人間は居ない。
ドリューは重い足取りで宿に戻る。
指定された部屋には、誰も居ない。旅のための荷物が入った四角いカバンが、部屋の片隅で主を待っている。
窓の外には、空に雲が流れる。
ドリューはそちらに目を向ける。澄んだ青は、街の清廉なものをもたらしていることだろう。だが、それが逆に嫌な空気を感じる。
ドリューが部屋を後にしたのは、すぐその後だ。
鈍い微睡みが解ける。
・・・あれ?
自分は、一体何を?
そうだ。
あの男の人の後に付いて行って。
人気の無い路地の奥に連れられて。
角を曲がった当たりで、後ろから何者かに襲いかかられ。口元を何か柔らかい布で覆われたと気付いた時には、アスターシャの意識は深い沼に足が取られたように重くなり。
瞼が黒で覆われ、アスターシャの意識は闇に沈んだ。
口に違和感がある。
何かがアスターシャの口元を覆っている。
それが何かを探る前に、
くぐもる声が聞こえた。
「お目覚めか?お姫様」
その言葉で、アスターシャの心臓が跳ねる。
そこは薄暗い部屋のようだ。それと同時に埃臭い、鼻を僅かに付く匂い。
数名の気配がする。
薄闇に目を凝らすと、そこには意識を失う前に見た男の姿があった。帽子を目深に被り、見えない目がアスターシャを捕らえている。
「お前の言う通り、上玉だな。こりゃ高く売れそうだ」
何か言葉を発しようとも、口元に何か戒めが施されており、息苦しさを覚える。どうやら猿ぐつわを噛まされているようだ。
それでアスターシャは察した。
情報という甘い蜜で誘い込まれて、アスターシャは捕まってしまったのだと悟る。
「ほれ、この顔。ロズタリアの姫さんにそっくりじゃねえか。アスターシャ姫とか言ったか?そう偽れば、値も釣り上げられるだろうよ」
・・・どうやら、男達はアスターシャが本物のロズタリアの姫だとは思っていないようだ。
「そんなのはすぐバレる。王族の名を語るのは危ねえ」
・・・人売り。
人間の暗部。
その存在が居るのは知っている。ロズタリアは平和な国だ。そのようなことは遠い世界のことだと思っていた。自分がまさか、その渦中に落とされるとは。
だが、実際に何が目的で人売りが行われているのをアスターシャは知らない。
勉強を教える城の人間は、そういうことを教えなかった。それだけで、アスターシャには耳汚しな話なのだと悟った。もっと、知るべきだった。
そうすれば、このような事態に対する心構えが出来たのかも。・・・それは言い訳だ。
つくづく、自分は相変わらず何も知らない甘い人間だと感じた。ドリューの言う通りだ。
ひとりで行動する危険性。自信を履き違え、危険に身を落とす。
「おい、その猿ぐつわを外してやれ。売り飛ばすにしても、名前がわからなきゃ交渉もロクにできねえ」
男のリーダー格が、帽子の男に命令を飛ばし。
「悪いな。俺等も生活が掛かってんだ」
こんなことをしてお金を稼ぐ人間が、まともなワケがない。
男がアスターシャの口の戒めを解き。
「・・・名前はなんて言う」
「・・・大人しくバラすとお思いですか?」
例え仮の名でも、教えたら負けだ。弱さを見せてはならない。
「この物腰と言葉遣い。王族じゃなくても、いいとこのお嬢様に違いねえぜ」
男達は、アスターシャの佇まいで売るに足る人間だと見定めたのか。
「身につけている装備も、一介の冒険者にしちゃ余りある」
男の手が、アスターシャの髪をまとめている髪飾りに触れる。
アスターシャは普通の物で良いと突っぱねたのに、ロズタリア王の心配事となって帰ってきた。旅立つ娘を思った贈り物。せっかく設えたものだし、アスターシャは黙ってそれを受け取ったのだが。
「それも含めて、俺達の懐は温かくなりそうだ。持ってた剣も大したものだったぜ」
腕や足も縛られている。剣も取り上げられ、ひとりで逃げ出すのは出来そうにない。帰りの遅いアスターシャを心配して、ドリューが動いてくれれば良いが。
「・・・この娘を売り飛ばす前に、味見をするわけにはいかねぇか?」
男がひとり、そんなことを口走る。味見?決して人間には使わない言葉だ。
その言葉を聞き、アスターシャは奇妙に思った。味見は、少なくとも人間に使う言葉ではない。
仮に、彼らが人間を属して腹を満たす種族ならば話は別だが。その場合、彼らは人間では無いということになる。
「私、食べられてしまうのですか?」
大真面目に、何の疑いも無い言葉に男は暫くぽかんとしていたが、やがて大きな笑い声で返答した。
「こりゃ筋金入りのお嬢様のようだな。お嬢ちゃんが良ければ、もうひとつの意味での『食う』を教えてやってもいいぜ」
言いながら、男の下卑た笑みと共に指がアスターシャの身体に触れようとする。節くれだった、汚れた指。アスターシャは、少なくとも、その指が稽古や訓練によって汚れた戦士とは別物だと感じた。
「待て」
その動きを、別の静かな一喝で止める。
「傷物にすれば、価値は著しく落ちる。『何も知らない』ことこそが付加価値だ」
男の言い方に、アスターシャは少しムッとした。少なくとも、旅立ちの前に様々な勉強を努力したのだ。その努力をけなされた気がしたからだ。だが、その勉強が、今は何も意味していないのは確かで。
男は残念そうに伸ばしかけた手を引っ込める。
「・・・へっ。こんな上玉、そうそう拝めることは無ぇのにな」
ある意味。男の言う通りだ。
やはり、アスターシャは何も知らない女なのだと。軽々しく他人を信用し、付いて行った。
「叫ばれてもかなわん」
リーダー格の男は、首の動きで再びアスターシャの口を封じるように命じる。ねじった布を、アスターシャの口元にあてがう。
男の笑みが、悔しい。
ごめんなさい、ドリュー。
目的は、叶えられないかも知れません。
強く、アスターシャは目を伏せた。
耳をつんざく轟音が弾け。
閉じかけたアスターシャの目が見開かれる。
薄暗い室内に、もうもうと濁った煙が流入し。
何かが打ち付ける音と共に、小さな悲鳴と共に男の身体が吹き飛んだ。
その場に居るアスターシャ以外の男が、一斉にそちらを見る。
「何だ!?」
その慌てぶりが、その事態が想定外の物だと語っている。
皆一様に、それぞれが手に獲物を握る。
「くそっ!摘発かよ!付けられたか!?」
唸る音と共に、建物が崩れそうになっている。外からの日差しが室内を照らす。
「ぎゃっ!」
またひとり、見張りの男が軽々しくその体躯が宙を舞う。
薄煙の向こうから、大柄な影が地鳴りを慣らしそうな雰囲気で、一歩、また一歩と。
アスターシャは、その目にもはや懐かしい顔を見た。
(・・・ドリュー)
頭部を覆うフードすら厭わず。その竜の頭部を露わにして。
「・・・ま、まさか。『竜人族』?」
男の中の誰かが、震える声でその名を呼んだ。『竜人族』の数々の逸話は、知る人からすれば心霊話に匹敵する程の身震いをもたらすだろう。
ドリューは、磨き上げられた宝玉のような目を周囲に巡らせ、そして、四肢を縛られているアスターシャを捉える。
「・・・悪いな。その女は、俺の連れだ」
ドリューが、深く、強い言葉で言う。
男達のリーダー格が、漏れ出る光に照らされて、鈍く輝く刀身を掲げながら。
「悪いな、この女は俺達の獲物なんでな。早い者勝ちだ」
男は、ドリューと同じ枕詞でアスターシャの所有権を主張する。
ドリューの眉のない目がゆらりと揺れる。
「人間は、俺達よりも賢いと聞き伝わって居るがな。その女は物じゃあない。俺の仲間だと言ったんだ」
その言葉にも、リーダー格の男は練磨の立つ男らしく、ドリューの姿に大きく心を乱してはいない。『竜人族』にまつわる話も、噂話か大きく伝わっただけかのように。同じく剣の腕に覚えがあるのだろう。煌めく刃を収めるつもりは無い。
その勇気ある姿で、残った男達に統率を取り、剣の向く先を『竜人族』へと差し向ける。
「せっかくの獲物。みすみす渡すわけにはいかないんでね。やれ、野郎共!」
男の咆哮で、一斉に銀光が走り。
あらゆる輝きを放つ凶刃が、ドリューへと突撃した。
喧騒が戻る。
厳密には、呻くような声がそこかしこから聞こえてくる。
結論から言えば。
無数の刀剣の行く先は、ドリューの体内を貫くことは無く。その前にドリューの剛拳が男達を薙ぎ払い。
例え刃が鱗を襲おうとも、その堅固さは、生半可な武器の進軍を阻む。
その場に居た全ての男達が、地面に倒れ伏せ。そこには悠然と立つドリューのみが残った。
「ぐぐ・・・。これが、噂の『竜人族』の強さ」
リーダー格は情けなくもうつ伏せにうずくまり。ドリューの烈火の如く強靭さに感服した。
「・・・さっきも言ったが、彼女は俺の仲間だ。手を出さないでもらえるとありがたい」
ドリューの精悍な、その実を知らない人間には真逆に見える顔に押し迫られ、男は「は、はい」と小さな言葉で返事をすることしか出来なかった。
ドリューは、その腕っぷしだけで男達を制圧した。下げた剣を抜かずに。傷つける選択を取らず。
煙が落ち着きを見せ。
ドリューの姿がアスターシャの前に。その視線は、どこか咎めるような。
申し訳無さと軽々しい行動を、アスターシャは自分で責めている。それと同じ身持ちをドリューは抱いているだろうか。
ドリューは、腰の短刀を引き抜き。
「動くな」
言いながら、白刃をアスターシャの口元に当て。アスターシャの口の戒めを解いた。そして、それが両手両足の封印に続く前に、ナイフを腰元に戻した。
その行動の意味を不可解に思っていると、アスターシャの身体が浮遊した。ドリューが縛り上げられた身体ごと抱えたのだ。
「ど、ドリュー!?」
視点が上がり、ドリューの顔が一層に近づく。
無言。瓦礫とうずくまる男達を無かったことにするように歩き出し。自分が捕らえられていた小屋の残骸を抜け出し。
アスターシャを抱えたまま、歩く。ドリューの額には、鱗に混じって皺が寄っている。
「・・・怒って、ますか?」
ぎろり、とその感情を称えた目がアスターシャに向けられ。
「守られるだけではない存在だというその気概は良し」
それは、この旅に赴くアスターシャが掲げた決意だろう。
「だが、それと無謀は別の問題だ」
咎めるような目は強まる。それにアスターシャは猛省。
「俺は、君を守るために旅に帯同した。だがお守りのつもりではない」
それは、アスターシャのこの三年間の練磨を信じての思いだ。だから、対等な立場で接しようと決めた。
ドリューは、アスターシャの友であり、仲間のつもりだ。
「・・・すみません」
ドリューの腕の中で、アスターシャはうなだれる。
それは決してアスターシャの力を過小評価しているのでは無い。この旅は、効率を求めるものでは無い。自分勝手に動くことが、仲間の危機をもたらすことだと知って欲しい。
「これは、それを反省するまでの罰だ」
手足を縛られたまま、担ぎ上げられている姿に、人の目が刺さる。アスターシャは茹だるような恥ずかしさを感じている。自分の身体が自分ではないような感覚。
それよりも。
「君のためなら、この素顔を晒すこともしよう」
竜の頭部を隠すこと無く。誇り高くドリューはその素顔を恥じていない。アスターシャが先走った理由は、その姿で大きく人前に出歩くことを良しとしないのではという、アスターシャの勝手な読みもあった。
だが、それは違う。
仲間が、アスターシャが危険に晒されれば、この身を賭して守ろう。それにより、顔を覆った布が剥がれても。
「だから、君も信じてくれ。俺のことを」
そのアスターシャを見ずに言った言葉は、空に解けて消えた。
「・・・はい」
アスターシャはそう、小さく言葉を吐き。
とん、と頭をドリューの腕へと委ねたのだった。
その直後。
「ドリューは、なぜ私の居場所がわかったのですか?」
入り組む街の中。そこから捕らわれたアスターシャを見つけ出すのは、武に長けた『竜人族』とて容易ではないだろう。
「・・・聞き込みと、勘だ」
ドリューは、アスターシャの方を見ずに答えた。その返答にアスターシャは感心しきりだ。
本当は、アスターシャから香り出る匂いを辿った。街に流れる、対流する知った匂いをたどるのは困難だったが。
ただ、それを口にはするまい。その真実を告げた時、アスターシャはきっと真っ赤の顔で自分の体臭を気にするだろう。今、腕の中で暴れられても困る。だから、ドリューは深くアスターシャへと至る道を口にすることはなかった。




