微笑む人々
「さあ」
ヨシュアは満足そうに頷いた。
「テオも、ご挨拶を」
「僕が?」
「ええ。せっかくですから」
庭師は腰を折ったまま、笑っている。
目だけが王子を見ていた。
助けを求めているようにも、憎んでいるようにも見えた。
王子は喉を鳴らした。
「……ご機嫌よう」
庭師の身体が起き上がる。
「ご機嫌よう、殿下!」
あまりにも大きな声だった。
次いで、男の右手が高く持ち上がった。
帽子を脱ぎ、勢いよく振る。
片足で跳ねた。
「ようこそ、庭園へ!」
もう一度跳ねる。
「麗しき殿下を、お待ちしておりました!」
男の身体が、くるりと回った。
重い作業靴で、石畳の上を踊り始める。
右へ二歩。
左へ二歩。
帽子を胸へ当て、王子へ深々と礼をする。
庭師は大柄な男だった。
いつも不機嫌な顔で庭を歩き、王子の部屋の窓が見える場所へは近づこうともしなかった。
その男が今、満面の笑顔で、ひどく不格好な踊りを踊っている。
「おや」
ヨシュアが感心したように言った。
「なかなか上手ですね」
庭師の足が蔓草に引っかかった。
身体が大きく傾く。
転ぶ寸前で踏みとどまり、何事もなかったように両手を広げた。
笑顔は崩れない。
それがおかしくて。
王子の口から、小さな笑い声が漏れた。
庭師の目が、王子を見る。
王子は口元を押さえた。
笑ってはいけない。
これは、おかしい。
男は自分の意思で踊っているのではない。
顔も、身体も、ヨシュアに動かされている。
わかっている。
それでも、先ほどまで自分を悪魔の子と呼んでいた男が、今は帽子を振りながら跳ねている。
いつも王子を見かければ唾を吐き、死んだ枝を窓へ投げつけた男が。
王子のために踊っている。
「テオが笑ってくださいましたよ」
ヨシュアが庭師へ言った。
「よかったですね」
庭師の両腕が、大きく広がった。
「この上なき喜びでございます!」
明るい声が庭へ響く。
今度こそ、王子は声を立てて笑った。
腹を抱えるほどではない。
ほんの短い笑いだった。
けれど、涙が残っていた目元は、確かに笑っていた。
ヨシュアが嬉しそうに微笑んだ。
「もう少し踊っていただきましょうか」
庭師の足が再び動く。
「待って」
王子はヨシュアの袖を引いた。
ヨシュアが振り返る。
「どうしました?」
止めなければならないと思った。
庭師の顔は笑っている。
目は、笑っていない。
「もう……」
王子は言いかけた。
庭師と目が合う。
恐怖の奥に、深い憎しみが見えた。
お前のせいだ。
また、そう言われた気がした。
「もう?」
ヨシュアが続きを待っている。
王子は袖を掴んだまま、俯いた。
「もう、戻りたいです」
「承知しました」
ヨシュアは指を下ろした。
庭師の身体が止まる。
男はその場に膝をついた。
荒く息をしている。
口元だけは、まだ笑っていた。
「笑顔は、そのままで」
ヨシュアが言った。
「テオを怖がらせないように」
庭師は頬を両手で押さえた。
指で口元を引き下げようとする。
けれど笑顔は動かなかった。
ヨシュアは王子の前へ膝をついた。
「抱き上げても?」
王子は頷いた。
白い腕へ身体を預ける。
ヨシュアは軽々と王子を抱き上げた。
「楽しかったですか?」
問われ、王子は庭師を見た。
男は石畳に膝をつき、笑いながら二人を見送っている。
おかしかった。
怖かった。
少しだけ、嬉しかった。
「……わかりません」
「では、また確かめましょう」
ヨシュアは歩き始めた。
王子はその首へ腕を回す。
青い花が、風の中で揺れていた。
花は何も知らない。
誰が泣いていても。
誰が笑わされていても。
朝が来れば、ただ花を開く。
玄関へ戻る途中、何人もの使用人とすれ違った。
庭師の騒ぎを聞きつけたのだろう。
誰もが王子の姿を見ると立ち止まり、怯えた顔をした。
けれどヨシュアが目を向けると、皆すぐに笑った。
引きつった唇で。
青ざめた頬で。
震える身体を深く折り曲げながら。
「ご機嫌麗しゅうございます、殿下」
「庭へお越しいただき、光栄でございます」
「またのお越しを、お待ちしております」
同じ笑顔。
同じ高さの声。
同じ角度の礼。
王子はヨシュアの胸元へ顔を伏せた。
「皆、笑っています」
「ええ」
ヨシュアは満足そうに答えた。
「もう誰も、あなたを怖がってはいませんよ」
背後で、使用人たちの明るい声が重なった。
「またのお越しを、お待ちしております!」
誰一人、笑い声は立てなかった。




