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アンケート-選ばないという選択-  作者: 菊池まりな


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第68話 声の距離

久坂から返信が来たのは、翌日の昼だった。


「準備ができたら、と言ってもらいましたが」と久坂は書いた。「準備というものが、わたしにできるか分かりません。ただ、話すことは、できます」


美佳はカフェのカウンターでそれを読んだ。


「ミオさんに伝えます」と返した。「日時は、ミオさんと相談して改めて連絡します」


「分かりました」と久坂は返した。それから少し間があって、もう一行来た。


「美佳さん、一つ聞いていいですか」


「はい」


「ミオは、怒っていますか」


美佳は手を止めた。


久坂が何を怖れているのか、その一行で分かった。怒りではなく、怒っていないことの方が、もしかしたら久坂には怖いのかもしれなかった。怒られる方が、まだ関係がある証拠だから。


「怒っているかどうか、わたしには分かりません」と美佳は返した。「ただ、話したいと言ったのはミオさんの方からです」


既読がついて、返信は来なかった。


その夜、有栖川を通じてミオに久坂の返事を伝えた。


ミオからは翌朝、直接メッセージが来た。昨日と同じ、見知らぬ番号から。


「今週の土曜日、会えますか」


「久坂さんと、ということですか」


「はい」とミオは返した。「場所は、美佳さんに決めてほしい」


「わたしが」


「中立な場所がいいと思って」とミオは書いた。「二人だけだと、たぶんわたしが話せなくなる。美佳さんがいてくれると、話せる気がします」


美佳はしばらく考えた。


同席を求められている。間に入るだけでなく、その場にいること。それが今、ミオに必要なことなら、断る理由はなかった。ただ、自分がそこにいることで、二人の間に入りすぎないようにしなければならない。


「分かりました」と美佳は返した。「場所を考えます」


場所は、図書館にした。


三人で来たことがある。ミオにとって、外に出た記憶がある場所。静かで、長居しても誰も気にしない。コーヒーは飲めないが、それでいいと思った。


久坂にも伝えると「図書館ですか」と一行だけ返ってきた。


来るかどうかの確認ではなかった。ただ、反芻しているようだった。


土曜日の朝、美佳は少し早く起きた。


特に準備することはなかった。ただ、早く目が覚めた。


朝倉から「今日、図書館ですね」とメッセージが来ていた。


「はい」と返すと、朝倉は「近くにいます」と書いた。


「中には入らなくていいです」と美佳は返した。


「分かっています」と朝倉は書いた。「ただ、近くにいます」


美佳はそれ以上何も返さなかった。返す必要がなかった。


図書館には、ミオが先に来ていた。


一階のロビー、先日三人で座ったベンチではなく、少し奥まった閲覧スペースの端のテーブルだった。窓に面していて、外の木が見えた。


「ここにしました」とミオは言った。「窓があった方がいいと思って」


「いい場所です」と美佳は言った。


二人で待った。


十分ほどして、久坂が来た。


入口で一度立ち止まって、館内を見渡した。


美佳が軽く手を上げると、久坂はこちらに歩いてきた。


ミオは久坂が近づいてくるのを、テーブルの上に視線を落としたまま待っていた。


久坂がテーブルの前に来た。


「久しぶりです」と久坂は言った。


ミオはゆっくり顔を上げた。


「久しぶりですね」と言った。


それだけで、少し間があった。美佳は二人の間に座って、何も言わなかった。


最初の十分は、コードの話だった。


翔との作業がどこまで進んでいるか、ミオが説明した。久坂は時々短く確認した。技術的な言葉が続いた。美佳にはついていけない部分もあったが、それでいいと思った。二人が話せている。それが今は大事だった。


「認証キーのことは」と久坂が言った。「翔くんから聞きました」


「覚えていなかった」とミオは言った。「でも、書いてあった」


「わたしも気づかなかった」と久坂は言った。「あなたのコードを全部読んだつもりだったのに」


「深いところにあったから」


「深いところに、出口を作っていたんですね」


ミオは少し黙った。


「無意識だったと思います」とミオは言った。「でも今は、あのとき の自分に少し感謝しています」


久坂は何も言わなかった。


窓の外で風が木を揺らした。光が斑になってテーブルの上に落ちた。


しばらくして、久坂が口を開いた。


「謝りたいことがあります」


ミオは久坂を見た。


「LAPISを続けようとしたこと、ではなくて」と久坂は言った。ゆっくりと、言葉を選んでいた。「あなたが怖いと言ったとき、わたしはその怖さより、あなたを守ることを優先した。あなたに聞かずに」


ミオは何も言わなかった。


「あなたのためにやっていると思っていた。でもそれは、わたしがあなたを失いたくなかっただけかもしれない。その区別を、ずっとつけられていなかった」


美佳はテーブルの木目を見ていた。この言葉は、自分が受け取るものではなかった。ただ、この場にいることが今の自分の役割だった。


「知っていました」とミオは言った。「久坂さんがそういう人だということ。だから怖かった」


「怖かった」


「久坂さんの善意が、大きすぎて」とミオは言った。「わたしにはそれを受け取りきれなかった。だから遠ざけた。遠ざけたことを、今は申し訳なかったと思っています」


久坂は少し目を伏せた。


「謝るのはわたしの方です」


「二人ともかもしれません」とミオは言った。


その言葉が、静かに空気の中に溶けた。


美佳は窓の外を見た。木の葉が風に揺れていた。中立な場所、とミオは言った。でも今この場所は、中立ではなくなっていた。二人の間に何かが生まれていた。それが何かを、美佳は名付けようとしなかった。


三人で図書館を出たのは、二時間後だった。


外の光が、入ったときより柔らかくなっていた。


久坂が「少し歩きます」と言って、一人で角を曲がった。


美佳とミオは並んで立っていた。


「話せましたね」と美佳は言った。


「話せました」とミオは言った。「美佳さんがいたから」


「二人が話したんです」と美佳は言った。

ミオは少し考えてから「そうですね」と言った。今度は、受け取った声だった。


駅の方から風が来た。


ミオがコートの前を合わせた。それからふと、空を見上げた。


何かを言いそうで、言わなかった。


言わなくていい、と美佳は思った。空を見上げるだけでいい日もある。


二人は並んで、しばらくそのままでいた。


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