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アンケート-選ばないという選択-  作者: 菊池まりな


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第69話 静かな夜に動くもの

 土曜日の夜、翔から連絡が来た。


「作業、再開しました」


時刻は夜の九時を過ぎていた。美佳は「今日もですか」と返した。


「ミオさんから連絡が来ました。やりたいと」と翔は書いた。「図書館から帰って、少し休んで、それから連絡が来ました」


美佳はその言葉を読んで、少し息を吐いた。

久坂と話して、その日の夜にコードに向かう。疲れているはずだった。それでも向かう気持ちになった、ということを、美佳は静かに受け取った。


「無理をしていませんか」


「していないと思います」と翔は返した。


「今日のミオさん、少し違います」


「違う」


「軽い、という感じではなくて」と翔は書いた。少し考えながら打っているのが伝わるような間があった。「地面がある、という感じです。さっきより、足がついている」


美佳は翔の言葉を繰り返した。地面がある。


図書館で久坂と話した後、ミオの立ち姿を思い出した。空を見上げていた。何かを言いそうで、言わなかった。あのとき既に、何かが変わっていたのかもしれなかった。


「よろしくお願いします」と美佳は送った。


日曜日の朝、翔から作業報告が来た。


「昨夜、核心部分に入りました」


「どうでしたか」


「複雑です」と翔は返した。「ただ、複雑なのは構造であって、ミオさんはちゃんと読めています。自分が書いたものだから」


「時間はかかりそうですか」


「あと二日か三日だと思います」それから翔は続けた。「一つ、報告があります」


「何ですか」


「Aライン、昨夜また動きました」


美佳は手を止めた。


「静かだったのでは」


「はい。三日間静かでした」と翔は書いた。


「ただ、昨夜の作業中に、一度だけ接続の試みがありました。ミオさんの端末に向けて」


「ミオさんの端末に」


「はい。ただ、弾かれました」


「弾かれた」


「認証キーです」と翔は書いた。「ミオさんの端末は、Aラインから見ると例外扱いになっている。引き込もうとしても、入れない構造になっています」


美佳はしばらく画面を見ていた。


自己修復の構造の中に、ミオだけは止められる出口が残されていた。それは同時に、ミオだけは引き込まれない入口でもあったということだった。


「Aラインは、ミオさんが作業していることを感知していますか」


「分かりません」と翔は返した。「ただ、タイミングが重なっています。核心部分に入っ

た夜に、接続を試みた」


偶然かもしれなかった。偶然ではないかもしれなかった。


「ミオさんには伝えましたか」


「伝えました」と翔は書いた。「ミオさんは『やっぱり生きているんですね』と言いました」


やっぱり、という言葉が引っかかった。


「ミオさんは知っていたんですか」


「完全には知らなかったと思います」と翔は返した。「ただ、そういうものだと思っていた、という感じでした。自分が作ったものだから」


午後、美佳は朝倉に電話をかけた。


テキストではなく、電話にしたのは久しぶりだった。


朝倉は二コールで出た。


「Aラインが、ミオさんの端末に接続を試みました」と美佳は言った。


「昨夜の話ですね」と朝倉は言った。「翔から聞きました」


「朝倉さんはどう思いますか」


少し間があった。


「システムが、自分を止めようとしている人間を認識している」と朝倉は言った。「そう読めます」


「怖いですか」


「怖いです」と朝倉は言った。迷わなかった。「ただ」


「ただ」


「弾かれた、という事実もある」と朝倉は言った。「Aラインはミオさんに入れなかった。ミオさんが昔書いた出口が、今は盾になっている」


美佳は窓の外を見た。曇った空だった。雨になるかもしれなかった。


「朝倉さん」と美佳は言った。「Aラインが止まった後、久坂さんはどうなると思いますか」


「どういう意味ですか」


「Aラインは久坂さんが加えた機能の上で動いています。でも根幹はミオさんのコードです。ほどかれた後、久坂さんが加えた部分は」


「残ります」と朝倉は言った。「根幹がなくなれば動かない。でも、存在はする」


「久坂さんは、それをどうするつもりなんでしょう」


「聞きましたか、久坂さんに」


「聞いていません」


「聞いた方がいいと思います」と朝倉は言った。「美佳さんが」


美佳は少し黙った。


また間に入る。でも今回は、間に入るのではなく、直接聞くことだった。久坂に、あなたはこの先どうするつもりですか、と。


「そうですね」と美佳は言った。「聞きます」


夜、美佳は久坂にメッセージを送った。


「一つ聞かせてください。Aラインが止まった後、久坂さんが加えた機能をどうするつもりか」


返信は思ったより早く来た。


「消します」と久坂は書いた。「コードも、設計図も、全部」


「全部、というのは」


「わたしがLAPISに加えたものは、全部消す」と久坂は返した。「共感ボタンの収束機能も、個別生成DMも、Aラインへの追加実装も。残す理由がない」


美佳はその言葉を読んだ。


「久坂さんは、それで後悔しませんか」


少し間があった。


「後悔するかもしれません」と久坂は書いた。「でも後悔することと、残しておくことは別です。消した後で後悔するなら、それはわたしが引き受けます」


美佳はしばらく画面を見ていた。


消した後で後悔するなら、それはわたしが引き受ける。


その言葉は、LAPISを設計した人間の言葉としては重かった。でも久坂がそれを言える場所に今いる、ということを、美佳は静かに受け取った。


「分かりました」と返した。「教えてくれてありがとうございます」


久坂からの返信はなかった。


深夜、翔から最後のメッセージが来た。


「今夜の作業、終わりました。明日か明後日には、核心部分に手が届くと思います」


「ミオさんは」


「眠りました」と翔は返した。「作業が終わってすぐ、有栖川さんのところで」


美佳は「よかったです」と送った。


「美佳さん」と翔は書いた。


「はい」


「核心部分をほどいた後、Aラインが最後にどう動くか、まだ分かりません」


「静かに止まりますか」


「そうであってほしいです」と翔は返した。

「ただ、備えておいた方がいいかもしれない」


「何に備えますか」


翔からしばらく返信がなかった。


それから一行来た。


「分かりません。ただ、自己修復のシステムが、自分が終わることを、どう受け取るか」


美佳はその言葉を読んで、画面を伏せた。


システムが、自分が終わることを、どう受け取るか。


人間の言葉で言えば、それは何に当たるのか。美佳には分からなかった。


ただ、翔が備えておいた方がいいと言った。


それを美佳は持っておくことにした。答えが出なくても、持っておくことはできる。


電気を消した。


暗い部屋で、街の音だけがあった。


明後日か、それとも明日か。


ほどき終わった後の夜を、美佳はまだ知らなかった。


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