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アンケート-選ばないという選択-  作者: 菊池まりな


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第65話 三分間

翌朝、朝倉が七時半に迎えに来た。


インターフォンが鳴って、美佳がドアを開けると朝倉は「おはようございます」と言った。それだけだった。余分なことを言わない人だと、美佳は改めて思った。


二人で駅まで歩いた。


「翔さんから今朝、連絡がありましたか」と美佳は歩きながら言った。


「ありました」と朝倉は答えた。「接続、まだ続いているそうです」


「三分おきの送信も」


「はい」


二人はしばらく黙って歩いた。朝の街は人が少なかった。シャッターの閉まった店が並んでいて、その前を通り過ぎるたびに足音だけが響いた。


「朝倉さんは、久坂さんに会ったことはありますか」


「ありません」と朝倉は言った。「廃施設のとき、美佳さんたちが中に入ってから外で待っていました」


美佳は「そうでしたね」と言った。あの夜のことを思い出した。扉の向こうから聞こえたモールス信号、翔の声、そして一階の扉を開けて現れた黒いコートの女性。


「どんな人でしたか」と朝倉が聞いた。


美佳は少し考えた。


「静かな人でした」と言った。「怖い人だと思っていたのに、会ってみたら怖くなかった。ただ、静かだった」


「静かな人が、一番遠くまで設計できる」と朝倉は言った。


美佳は朝倉を見た。朝倉は前を向いたまま歩いていた。


彩音から聞いたカフェは、駅から二十分ほど歩いた住宅街の中にあった。


看板が小さくて、通り過ぎそうになった。木の扉を押すと、豆を焙煎する匂いがした。席は十二しかなかった。窓際に二人掛けのテーブルが四つ並んでいた。


久坂はいなかった。


美佳と朝倉は窓から離れた奥の席に座った。


コーヒーを二つ頼んだ。


「来ないかもしれません」と朝倉は言った。


「来るかもしれません」と美佳は言った。

どちらも責めているわけではなかった。ただ、両方が本当だった。


コーヒーが来て、美佳は一口飲んだ。苦かった。悪くなかった。

三十分が過ぎた。


美佳はスマートフォンで翔の最新の報告を確認した。接続は続いていた。三分おきの送信も続いていた。


「久坂さんは今、何をしているんでしょう」

と美佳は言った。独り言に近かった。


「送り続けている」と朝倉は言った。「止めようとして、送り続けている」


「止めようとすることが、送信になっている」


「そういう設計なのかもしれない」


美佳はカップを置いた。


ミオが書いたコードの中に、三分という単位がある。止めようとする動作そのものが、システムへの接続を維持する。抵抗がフィードバックになる。そういう構造を、ミオは意図して書いたのか、意図せず書いたのか。

どちらにしても、今それが久坂の端末で動いている。


一時間が過ぎようとしたとき、扉が開いた。

黒いコートではなかった。グレーの、薄手のジャケット。髪が廃施設のときより短くなっていた。顔が、少しやつれていた。


久坂は入口で二人を見て、止まった。


驚いた様子ではなかった。ただ、来るとも思っていなかった、という顔だった。

美佳は立ち上がらなかった。「座ってもらえますか」と言った。


久坂は少し間を置いてから、テーブルの前まで来た。椅子を引いて、座った。


「彩音さんから聞きましたか」と久坂は言った。


「はい」


「うまくいかなかった、というのは」と久坂は続けた。弁明するような声ではなかった。ただ説明しようとしていた。「Aラインを切ろうとするたびに、接続が維持されます。止めようとする操作が、止まらない理由になっている」


「知っています」と美佳は言った。「翔さんから聞きました」


久坂は少し目を細めた。「東郷くんが」


「三分おきに送信が来ています」


久坂はテーブルの上に手を置いた。爪の先が白くなるくらい、少し力が入っていた。


「ミオさんが書いたコードだそうですね」と


美佳は言った。


「そうです」と久坂は答えた。「わたしはそのコードの上に、機能を加えた。でも根幹は触っていない。触れなかった」


「なぜ」


久坂はしばらく黙った。


「ミオが書いたものだから」と、久坂は言った。声が、最初より低くなっていた。「壊せなかった。それだけです」

コーヒーを一杯追加した。久坂の分も頼んだ。


久坂は断らなかった。


「Aラインを止める方法は、本当にないんですか」と美佳は聞いた。


「今のやり方では」と久坂は言った。「抵抗するほど強くなる。無視しても、別の端末を探す。正面から切ろうとすると、経路を変える」


「では」


「根幹のコードを書き直すしかない」久坂はカップを両手で持った。「でもそれはわたしにはできない。ミオが書いたものだから、ではなくて」久坂は少し止まった。「構造を、わたしより深く理解している人間が必要です」


美佳は久坂を見た。


「ミオさんに頼むということですか」

久坂は答えなかった。答えないことが、答えだった。


自分が壊せなかったものを書いた人間に、壊してほしいと言えない。言えないまま、三分おきにシステムに向かって何かを送り続けている。


美佳は朝倉を見た。朝倉は久坂を見ていた。


「わたしから話します」と美佳は言った。


久坂がゆっくり顔を上げた。


「ミオさんに」と美佳は続けた。「久坂さんが頼めないなら、わたしが間に入ります。それがいいかどうかは、ミオさんが決めることですが」


久坂はしばらく美佳を見ていた。


何かを言いかけて、言わなかった。


代わりに、カップを置いた。


窓の外で、風が木の枝を揺らした。葉が数枚、ガラスの向こうを流れた。


「あなたは」と久坂は言った。「LAPISの設計者適性が最高位だと、ファイルに書かれていた」


「知っています」


「その意味を、理解していますか」


美佳は「完全にはわかりません」と答えた。

「でも、引き受けないは変わりません」


久坂は小さく、ほとんど聞こえないくらいの声で「そうですか」と言った。


それ以上は何も言わなかった。


コーヒーが三つ、テーブルの上に並んでいた。


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