外伝読切 『リワインドは売り切れ』
えー、みなさんこんにちは。
漫画家というのは不思議な商売でございましてね。
描いても描いても締切は来るし、売れても売れなくても胃は痛い。
売れりゃ「次も売れ」と言われ、
落ちりゃ「どうした」と言われる。
ええ、どっちに転んでも休みはない。
さて。
本日のお噺は「過去屋」。
なんとも怪しい商売でございます。
金を払えば過去に戻れる。
喧嘩もなかったことに。
失敗も帳消し。
いやあ便利な世の中でございますな。
けれどね。
もしも喧嘩を消したら、
その喧嘩から生まれた本音も消えてしまう。
もしも失敗を消したら、
その失敗から掴んだものも消えてしまう。
「じゃあ戻るか?」
「いや、戻るか?」
とまあ、若い二人が悩むわけでございます。
高校三年生。
夢と現実の境目。
さてさて、五十万円で過去は買えるのか。
それとも――売り切れなのか。
それでは一席、お付き合いのほどを。
⸻
― 第一章:過去屋 ―
この街には一軒だけ、奇妙な店がある。
夕暮れと夜の境目。
街灯が点きはじめる頃。
路地裏の奥、行き止まりのはずの場所に、
その扉は現れる。
木製の扉。
真鍮の丸い取っ手。
表札はない。
けれど――
本気で「やり直したい」と願った人間の前にだけ、
その扉は静かにそこにある。
ユウが最初に見つけた。
「……ここ、昨日なかったよな」
アツは眉をひそめる。
「なかったな」
薄暗い路地。
二人の間には、数歩分の距離。
コンビを解消してから、一ヶ月。
物理的距離は近いのに、心の距離は遠い。
ユウが扉に触れる。
冷たい。
現実の温度。
「入るか?」
アツは少しだけ迷う。
だが、頷く。
扉が軋む音を立てて開いた。
中は想像以上に静かだった。
古い喫茶店のような内装。
天井には裸電球。
棚には、無数の小瓶。
瓶の中には、何かの“光”が封じられている。
カウンターの奥。
黒いスーツを着た男が座っていた。
年齢不詳。
笑っているのか、無表情なのか分からない顔。
「いらっしゃい」
声は柔らかい。
だが奥行きがある。
ユウが先に口を開く。
「ここ……何の店ですか」
男はカウンターを指で叩く。
「過去屋」
それだけ。
アツが鼻で笑う。
「怪しいな」
男は肩をすくめる。
「信じなくてもいい」
「だが二人は、やり直したいんだろ?」
心臓が一瞬跳ねる。
ユウが視線を逸らす。
「……」
アツが代わりに言う。
「戻れるって?」
男は小さな帳簿を開く。
「金さえ払えば」
カウンターに置かれる紙。
そこに書かれていた金額。
五十万円
ユウの喉が鳴る。
「……高いな」
男は首を横に振る。
「安い」
「人生をやり直せるんだぞ?」
「一番後悔している瞬間に戻れる」
「喧嘩をなかったことに」
「言い過ぎた言葉を消せる」
「壊れた関係を、壊れる前に戻せる」
アツの視線が鋭くなる。
「副作用は?」
男は笑う。
「賢いな」
「当然、ある」
ユウが息を呑む。
「過去を変えれば、今も変わる」
「今のお前たちは消える」
静寂。
裸電球がわずかに揺れる。
「成功も失敗も、全部書き換わる」
「三週連続一位も」
「ドラマCDも」
「決裂も」
アツが拳を握る。
ユウの指先が震える。
ユウが絞り出す。
「俺たちが戻りたいのは――」
アツと目が合う。
言葉にしなくても分かる。
二人同時に言う。
「決裂する前」
男はゆっくり頷く。
「なるほど」
「“半身”を失う前、か」
ユウが眉をひそめる。
「何で知ってる」
男は微笑む。
「過去屋だからさ」
小瓶を一つ、棚から取る。
中には、揺れる光。
「これは、ある漫画家の後悔」
「こっちは、ある恋人の未練」
「全部、買われなかった過去だ」
ユウが言う。
「……買われなかった?」
男は静かに言う。
「本当に欲しいのは、過去じゃないことに気づく奴がいる」
アツが睨む。
「俺らは違う」
「本気で戻りたい」
男はカウンターに手を置く。
「ならば払え」
「五十万円」
空気が張り詰める。
財布の中身では足りない。
バイト代。
貯金。
かき集めれば、届く金額。
ユウが呟く。
「安いもんだろ?」
アツが返す。
「未来と引き換えならな」
男が最後に言う。
「選べ」
「過去を買うか」
「今を抱えるか」
裸電球が揺れ、光が揺らめく。
二人の影が、床に並ぶ。
かつては一つだった影。
今は、少しだけ離れている。
――決断の時間が、迫る。
いやあ、どうもどうも。
『リワインドは売り切れ』、いかがでございましたでしょうか。
過去を買える店。
あったら繁盛しそうでございますな。
「あの告白やり直したい」
「あの失言取り消したい」
「宝くじの番号を――」
ああ、それは欲が過ぎる。
けれど結局のところ、
人間というのは後悔を抱えたまま生きていく生き物でございます。
喧嘩もまた縁。
決裂もまた縁。
凸と凹、ぶつかるから形になる。
ぴたりと合わさるから音が出る。
過去を買わなかった二人。
それは強がりか、それとも覚悟か。
まあ、若い衆でございますからね。
転んでも、ぶつかっても、
その傷をネタにして生きていく。
それが一番儲かる商売かもしれません。
えー、過去は売り切れ。
けれど未来は在庫無限。
また次のお噺でお目にかかりましょう。
おあとがよろしいようで。




