番外編 『夢乃奏多』ドラマCD収録日 ― 声が生まれる日
― 担当編集者より
「……正直に言います」
黒瀬真一はそう前置きして、二人を見た。
「三週連続一位は想定外だった」
篤が笑う。
「想定しとけよ」
「編集者はな、最悪と最高の両方を想定する生き物だ」
黒瀬は腕を組む。
「だが今回は、最高の上を行った」
ドラマCD。
それは売れた証であり、同時に試験でもある。
「漫画は絵で誤魔化せる部分がある」
黒瀬は淡々と続ける。
「だが音は誤魔化せない」
「セリフが弱ければ即死」
「キャラが曖昧なら即崩壊」
「感情が嘘なら即終了」
雄大が苦笑する。
「怖いことしか言わないですね」
黒瀬はニヤリと笑う。
「安心しろ」
「お前らのキャラは、もう立っている」
「だからこそ、音になっても折れるな」
編集者としての願いは一つ。
「売れる作品じゃなく、残る作品にしろ」
それが今回のドラマCDだ。
⸻
挨拶 ― 収録スタジオにて
ディレクターが声を張る。
「本日はよろしくお願いいたします」
声優陣が軽く会釈をする。
空気が一瞬で“現場”になる。
篤と雄大も前に出る。
雄大が少し緊張しながら言う。
「本日は……ありがとうございます」
篤は短く。
「よろしくお願いします」
主演声優が微笑む。
「原作者の方がいらっしゃると緊張しますね」
篤が即答する。
「俺らの方が緊張してます」
笑いが起きる。
黒瀬が横から一言。
「遠慮なく壊してください」
場がさらに和む。
だが、収録が始まると空気は一変する。
マイク前。
ページをめくる音。
「では本読みから」
その一言で、物語が音に変わる。
スタジオの空気は、思っていたよりも静かだった。
重い防音扉。
無機質な白い廊下。
壁に貼られた台本表。
篤は腕を組みながら天井を見上げる。
「……現実味ねぇな」
雄大は手の中の台本を何度もめくっている。
「現実だよ……現実……」
表紙には大きく刻まれていた。
――『夢乃奏多』ドラマCD 第一弾
自分たちのタイトル。
自分たちのキャラクター。
それが、文字ではなく“声”になる日。
「藤堂先生、狭間先生」
声をかけられ、二人は振り向く。
制作プロデューサーだった。
「本日はよろしくお願いします」
丁寧な挨拶。
新人漫画家に向けられる態度とは思えない。
三週連続一位の重みを、嫌でも実感する。
スタジオ内。
マイクが並び、ガラス越しに音響ブース。
すでに声優陣が集まっていた。
テレビやアニメで何度も聞いたことのある声の持ち主たち。
篤が小声で言う。
「……やべぇな」
雄大も同じく小声。
「緊張してきた……」
やがてディレクターが声を上げる。
「では本読みから行きます」
台本が開かれる。
ページがめくられる音。
そして――
最初のセリフ。
「……お前さ、逃げるの得意だよな」
瞬間。
空気が変わった。
それは、紛れもなく“あいつ”だった。
紙の上で何度も書き直した主人公。
コマの中で叫び、笑い、泣いた存在。
それが、目の前で呼吸している。
篤の喉が鳴る。
「……すげぇ……」
雄大は言葉を失っていた。
感情の抑揚。
わずかな間。
語尾の震え。
自分たちが想像していた以上の熱量。
対立シーンに入る。
「お前の正義は、誰を救ったんだよ」
低く、震える声。
「……それでも俺は間違ってない」
ぶつかり合う感情。
スタジオの空気が張り詰める。
スタッフ全員が息を止めている。
篤の拳が無意識に握られる。
雄大の目が潤む。
“対立”。
週刊で描き続けたテーマ。
それが、音として殴ってくる。
収録が一旦止まる。
「先生方、いかがですか?」
ディレクターが振り向く。
篤は少し考え、そして言った。
「……一箇所だけ」
全員の視線が集まる。
「ここ」
台本を指差す。
「このセリフ、もう少し荒くしてもらえますか」
声優が頷く。
「どんなニュアンスで?」
篤は迷わない。
「綺麗にまとめないでほしい」
「言葉にしきれない感じで」
一瞬の沈黙。
そしてテイク再開。
「……っ……それでも俺は……間違ってねぇ……」
息が混じる。
言葉が崩れる。
その瞬間。
雄大の背筋に電流が走った。
「あ……」
そうだ。
これだ。
完璧じゃない。
整っていない。
だからこそ――生きている。
収録は数時間続いた。
笑いもあった。
アドリブも飛び出した。
キャラ同士の掛け合いが想像以上に弾む。
そして最後のセリフ。
「それでも俺たちは、前に進むしかないんだ」
静かな、だが確かな声。
収録終了。
拍手。
篤はしばらく動けなかった。
雄大が小さく呟く。
「……俺たちの漫画だな」
篤が笑う。
「当たり前だ」
スタジオを出る頃には、夜だった。
外気がやけに冷たい。
「なあ」
雄大が空を見上げる。
「これ、ちゃんと届くかな」
篤はポケットに手を突っ込む。
「届くだろ」
即答。
「声がついたんだ」
「もう逃げ場ねぇよ」
三週連続一位。
ドラマCD化。
だがそれ以上に大きかったのは――
自分たちの創った存在が、
誰かの声で、誰かの心で、
確かに生き始めたこと。
夢ではない。
物語は、もう二人の手だけのものではなくなっていた。
それでも。
篤は笑う。
「次、もっと面白くするぞ」
雄大も頷く。
「当然だ」
創作は止まらない。
声が生まれた日。
それは、新たな戦いの始まりだった。
― 音響監督の指示
収録中盤。
音響監督がヘッドホンを外す。
「一度止めましょう」
スタジオが静まる。
「今のテイク、上手いです」
声優が少し安心した顔をする。
「でも」
一瞬の間。
「“上手い”で終わっています」
空気が張り詰める。
「このキャラは器用じゃない」
台本を指で叩く。
「もっと息を荒く」
「言葉に詰まってください」
「感情が先に来て、言葉が追いつく感じで」
声優が深く頷く。
テイク再開。
「……っ……俺は……!」
言葉が崩れる。
呼吸が混じる。
モニター越しに、篤の目が見開かれる。
音響監督が小さく呟く。
「そう、それです」
「綺麗じゃなくていい」
「生きていればいい」
収録終了後。
音響監督が二人に言った。
「いいキャラですね」
短い一言。
だがそれは、最高の賛辞だった。
音は嘘をつかない。
だからこそ――
本物だけが、残る。




