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ラブシック・ボーイ

「シャドウ・ガール」番外3 リシェルが役割を終える少し前のお話。

ボーイって年でもないですけど。



「……っ!」

 青年は言葉を失う。

 自分を見上げる深い青い瞳。その深淵から溢れそうになる煌めきに。

 招かれて出かけた某国大使主催の音楽会。比較的お気楽な準公務の後にこんな落とし穴が待っているとは。

 青年は胸の中にくすぶっている火種を消したものか、おこしたものか、途方に暮れて腕の中の娘を見つめた。


 リシェルが飲んだ外国の酒は、色の割にかなりのアルコール度数だったらしく、アレクシオンは忽ちふらついたリシェルの腰を支え、なんとかその場をごまかして二階の控室に緊急避難してきた。

「伯爵様ぁなんだかふわふわするぅ」

「リシェル、お前……酔ってるな。あれほど気をつけるように言っただろうが!」

「だって、一杯だけって思ったんです……お付き合いでしょ? こんなに強いお酒だなんて思わなくて……」

「ともかく、そこに座れ。ゆらゆらしてるぞお前」

「私じゃなくてぇ~床が揺れてるんれすよ~んふふふふ」

 妙な感じに笑いだしたリシェルは青年の腕を離れ、ワルツを踊るようにゆっくりと一回転した。夢のように薄物のドレスの裾が翻る。

 今夜の彼女は不思議な事に、音楽界という場に似つかわしくない、黒髪を背中に流した髪形である。

 さっき腰に手を回した感触では、どうやらコルセットもつけてはいないらしい。薄い布地が娘らしい曲線を際立たせている。

 つまり何から何までアレクシオンの好みと言う訳だった。

「ろれつまで怪しくなってきたじゃないか」

 アレクシオンは、にこにこして踊っているリシェルから目を離せずに文句を言った。

 しかし、災い転じてと言うが、あのままフロアで男たちの視線を集めているよりは良かったかもしれないと、青年は思いなおす。今頃はアロウ老侯爵が、その場を取り繕っているだろうから、しばらく時間が稼げるはずだと、とりあえず少女を長椅子に座らせようとした。

「とにかく座って休め。今水を持って来てやる。このままでは拙い」

「いや~ワタシ踊るのぉ。夜明けまでも踊りたいの」

 リシェルは上機嫌で彼の腕を逃れた。

「映画みたいなセリフを言ってないでおちつけ!」

「いや~ん、伯爵様の意地悪!」

「あのな」

 ひらひら舞うのを無理やり捕まえると、駄々っ子のように身をよじって娘は抵抗する。抵抗されたってびくともしないが、柔らかい体が腕の中で暴れるを抑えつけていると、非常に微妙な感覚に陥りそうになるのだ。

「リシェル! いい加減にしろ!」

 どんどん自分が妙な気分になるのを振り払うように、アレクシオンは声を荒げた。

 途端にびくりと肩がふるえる。抗うのをやめた娘は、こんどは唇を震わせて青年を見上げた。

「うわ、今度は泣き上戸!?」

 カンベンしてくれと青年は天井を仰いだ。

「どして、叱るんれすか~。いっつもいっつも叱ってばっかり~」

 じやりと滲んだ目元の破壊力と言ったらない。酒のせいで頬も上気している。アレクシオンは慌てて体を離し、上着のボタンがちゃんと止められているか確認した。拙い、非常に拙い。

「わ~! 泣くな! 怒鳴って悪かった」

「うわぁん、意地悪ぅ~」

 嫌々をしている。幼い仕草だが、豊かな胸が本人を裏切ってふるふると揺れ、青年をしっかり挑発しているのだ。

「だから落ち着けって」

 アレクシオンは、娘の顔と胸の間で、視線を行ったり来たりさせながら必死で宥めた。このままだとあと数分で鼻血が出そうだ。

「私、ほんとに頑張ってるのに~伯爵様はちっとも認めてくれないんらもん~」

「認めてる! 認めてるって! だから、まずは座ってくれ。お前は酔ってるんだ」

「嫌れす。言う事聞きません」

「リシェル、頼むから……」

 半ばやけくそでリシェルの背を引き寄せ、顎を捉えると、青年は正面からリシェルを見据えて懇願した。それをいい事に、娘は背中を思いきり反らせて可愛い顔で睨んでくる。背中を反らそうとする分、半身が押しつけられてかなりヤバい。

「ん~どうしようかなぁ……」

 何にも分からぬ娘は、唇を尖らせて考え込んでいた。自分がこれほど余裕をなくしているのに、小馬鹿にしたようなその仕草が青年の琴線に触れる。

「おい……いい加減にしないと本当に襲っちまうぞ」

 尖らせた唇が非常にうまそうである。

「え~、へいきです」

 青年の口調が突然変わった事に気付きもせずに、リシェルは今度は広い胸に身を投げ出した。酒で気が大きくなっているのだろうが、これはもしかして酒乱の気でもあるのではないだろうか?

「伯爵様はそんなことしないわ~絶対」

「何故そう言い切れる?」

「だって、好きでもない子にそんなことする人じゃないもの」

 その言葉を聞いた途端、アレクシオンの中で何かが爆ぜた。

「好きでもないって? そんな事なんでわかる?」

「わかりますよ~、だから大丈夫~」

 そう言って娘は、にっこりほほ笑んだ。言ってる事は支離滅裂だし、自分でも何をしているのか分かっていないのだろうが、さっき少しだけ浮かべたまま残っていた涙が、娘が笑った途端に瞳から溢れて頬を伝った。

 それが合図。


「んむ?」

 いきなり腰がきつく引かれ、唇が塞がれてしまったのにリシェルはやっぱり訳が分からなかった。

「む~?」

「俺がお前を好きじゃないってどうして分かるんだ?」

 ひとしきり貪り、ぐいと突き離すとアレクシオンは問い詰める。濡れた唇が色づいていた。

「んん~??」

「答えろよ、リシェル」

「伯……?」

「答えはこうだ!」

 再び乱暴極まりない性急さで体が引き寄せられた。

「んん!」

 漸くおのれの危機を認識しかけたようだが、今度こそ容赦しない。

 アレクシオンは唇を重ねたまま、後ろのソファにリシェルを押し倒した。 大きな目が見開かれ、黒髪が乱れて舞う。夢にまで見た白い肌、豊かな胸に早く全身で触れたくて、喉の奥から押し殺した呻き声が漏れた。

「くそ! 煽るお前がいけないんだ。これからされる事をそのデカい目でよく見ておけ」

「……っ!」


 かっと目を開く。

 腕の中には柔らかい娘の体……ではなくて、彼愛用の巨大枕。

「は!? はあ?」

 身を起こせば見慣れた殺風景な部屋。

 清浄な朝の光が世界を照らしている。

 多少後ろ暗い夢を見ていた青年の寝台の上にも差別なく、それは降り注ぎ。

「くそっ!」

 お約束の夢オチ。

 腹立ち紛れにアレクシオンは抱えていた枕を放り投げた。

「どうせ夢なら最後まで見せろや。バカ野郎!」

 どういう訳か、彼が苦手としている人間たちの痛い視線が注がれているような気になってくる。余程バツが悪いのだろう。

(あ~あ、無様極まりないですな、お若いの)

「なんだよ! 別に後ろめたくなんかないぞ。俺は正常な成人男子として当然の夢を見ていただけだ。心根がキヨラカな証拠だ」

(清らかの意味知ってます?)

「うるせぇ! あ~もう少しだったのに……」

(そのままでは寝間着が汚れてしまいますよ)

「さっさと片づけるさ! ち、今日から外遊だってのに……不吉な!」

(叶わぬ夢でしたわねぇ……)

「夢でおわらせるか! 直ぐに現実になるさ。それにもうすぐあの青い瞳に会えるんだ」

 途端に青年の頬が歪む。

 もうすぐ朝餐の時刻だ。どんな顔してあらわれるだろうか? どんな言葉を掛けたら笑ってくれるのだろうか?


 ふむ、満更でもない。

 アレクシオンは漸く寝台からもそもそ這い出てると、寝巻を脱ぎ捨てシャワー室に向かった。

 後二週間、二週間の辛抱だ。

 だが―――。

 カランに伸ばした手が止まる。


 ほ ん と う に に しゅ う か ん か ?


 いやいやいやと首を振り、コックを最大限に捻る。真上から熱い湯がほとばしった。






そしてそれは現実になりました。

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