砂糖菓子の中味
甘くて柔らかそうな見た目をしているからと言って中身もそうとは限らない。
思えば天草未散の人生は常に規格外な兄二人の影がついて回っていた。
フリーダムな兄が二人もいるせいで周りから腫れ物扱いされていた幼稚園と小学校時代。
それに嫌気が差して中学からは兄二人とまるで関係ない山奥の全寮制男子校を選んだ。
初等部からの一貫教育な上、育ちの良い坊ちゃんばかりが通っているという学校ならば、まかり間違っても 兄たちと接点があるような生徒はいないだろうと見越してのことだ。
その狙い通り、未散は初めて周囲から色眼鏡で見られない学校生活というものを満喫していた。
学力特待生という形で入った為に勉強の方はそれなりに大変であったが、クラスメイトから遠巻きにされる ことなく、気軽に話せる友達ができたことがもはや奇跡。
教師から敬語で畏まられることもなく、通学路で会った初対面の相手に「未散様! お会いできて光栄です! 」と握手を求められたり、道端で見かけた色んな意味で気合いの入っている面子に「「「あ、未散さんだ! ちーっす!」」」と直角でお辞儀されたりすることもない。
本当に平和な中学時代を送れたのだ。
そんなわけだから高等部に上がっても平穏無事な学校生活が待っているはずだと、未散は当たり前に信じて いた。
そして実際に平和そのものだったのだ─────高校一年の一学期までは。
楽しい学校生活の雲行きが怪しくなってきたのは、二学期始めになって二学年に転校してきた生徒が切欠だ った。
本来ならば二年の彼と一年の未散とでは接点などない。
だが生憎と未散は入学した直後から何故か生徒会補佐という役職に就いていた。
それは中等部時代に生徒会役員だった経験を買われての抜擢だと言われたが、本当のところはよくわかって いない。
とはいえ決まったものは仕方がないと受け入れ、補佐として生徒会役員たちの仕事をサポートしていたのだ が。
転校生に役員たちが揃って骨抜きになったことから事態は一変した。
生徒会役員たちが転校生に構いっきりになったせいで徐々に仕事が滞り始め、気づけば補佐でしかない未散 が遊んでいる役員たちを引き戻し、彼らを急かして作らせた書類を手に校内を謝罪行脚する日々。
さすがにこれはちょっといくらなんでも拙いだろう、と思い始めた頃。
『おまえ、補佐辞めろ』
碌に仕事もしていなかった生徒会役員の手によって未散はあっさり罷免されたのだ。
これにはもう何も言う気になれなかった。
私情を優先させて権力行使した役員たちに失望したと言っていい。
だがそうは言っても未散はあくまでも生徒会の補佐。彼らの決定に異を唱える立場にない。
役員たちが未散を“使えない”と判断してしまえばそれまでだ。
結局、未散は就任半年で生徒会補佐を辞めることになった。
そして未散が生徒会補佐を辞した後、次にその立場に就いたのが、よりにもよって件の転校生だ。
確かに補佐の任命は役員に一任されているとはいえ、それが仕事面を考慮した上での指名だとは誰が見ても 思えなかった。
しかし生徒会とは関係なくなった未散には今更どうすることもできない。
未散にできることはこれからより一層滞るだろう仕事と、それに巻き込まれてストレスを溜めて行く委員会 の生徒や教師陣に向かって手を合わせることくらいだ。
とにかく後のことは役職持ちの生徒に任せ、未散はこれからの学校生活を友人たちとのんびり過ごそうと思 っていたのだが。
そうは問屋が卸さないのが世の常だ。
予め言っておくが、未散は真面目で温厚で人当たりの良い少年であった。
兄二人のあれやこれやの行動から発展した騒動を見て育った為、自分はああならないようにしようと幼心に 誓ったのが未散五歳の時。未だ冷え込み厳しい初春のことだ。
その決意以降、未散はちょっぴり性格がアレな兄二人を反面教師に、極力他人様に迷惑を掛けないよう生き てきた。
一日一善。三日で三善。
善行をコツコツ積めば兄二人がやらかした悪行も多少は相殺してくれるんじゃなかろうか、という未散のい じましい考えから生まれた努力目標だ。
だがしかし。
そんなこれまで積み重ねてきた善行も一気に帳消しになってしまうようなことを、他ならぬ未散自身がこの 度やらかしてしまったのだ。
その仕出かしてしまったことを思い、未散は寮の自室で一人うなだれていた。
なんであんなことしちゃったんだばかばかばか! と自分を責めても時間は戻らない。
でもでもあれって僕だけが悪いんじゃないよねと自己弁護しては、だからってして良いことと悪いことがあ るだろう、と自身を諌め。
『……みーくんだけは素直な良い子のままでいてね…?』
母親の疲労感を突き抜けた空虚な笑顔を思い出しては、心中で天使と悪魔がやり合うこと三日。
「……………やはりこれは、神妙にお縄につくべきなのだろうな…」
悪魔の「いいじゃねぇかバレてねぇんだからばっくれちまえよ!」よりも、天使の「悪いことをしたって自 分でわかってるならちゃんと謝らなきゃ!」の方が僅差で競り勝った。
そうして未散は大きな溜め息を一つ吐き、風紀室への重い一歩を踏み出したのだった。
その時、風紀室は一種異様な空気に包まれていた。
それもそのはず、現在風紀副委員長の桂川将晴が事情聴取しているのは、三週間前まで生徒会補佐という役 職を務めていた天草未散。
全体的に色素が薄く、白い透明感のある肌と甘めの顔立ちから、見る者にふわふわとした砂糖菓子を連想さ せる生徒だ。
そんな生徒が風紀室に現れた途端まさかの衝撃告白をしたものだから、室内がおかしな空気になるのも仕方 がないことと言えた。
事実、その場にちょうど居合わせていた風紀委員たちは皆悉く固まっている。
そんな中、最初に動きを見せたのは未散の正面に座って話を聞いていた桂川だ。
「………………えーと。いや、ちょっと待って………あー、うん……、そう、だね……もう一度確認するけど………あ れ、全部、天草がやったってこと?」
日頃は冷静さに定評のある桂川も、さすがに動揺のあまりか歯切れが悪い。
まさかね。聞き間違いだよね。冗談だと言って。という外野の声無き声による圧力が室内に充満する中、し かし当の未散は小柄な体を更に小さくさせ、しょんもりと頷くのだ。
「はい、すみません…」
「………………………………………………あー………」
それにはさすがの桂川も頭を抱えて苦悩する。
しかしいくら本人からの申告があろうと、どうしたって信じるには無理があった。
何故なら。
「僕が、転校生と生徒会役員の先輩たちの制服と下着を剥ぎ取り、ネクタイと靴下だけの恰好にして廊下に 放置しました」
そんなカミングアウトをしてきたのだから。
“転校生&取り巻きの露出プレイ事件”と後に呼ばれるようになるそれは、ほんの五日前に起きた騒動のこと だ。
概要としては、『生徒会室の前の廊下で転校生と役員を始めとする取り巻き連中が裸で爆睡していた』とい うものであったのだが。しかも裸と言っても単純に全裸だったわけではなく、首にはきっちりネクタイを締 め、足には靴下と革靴を履いていたということから、彼らは瞬く間に“露出狂の変態”というレッテルを貼ら れるようになってしまったのだ。
どれだけ容姿が良かろうと、その変態的な恰好は親衛隊を始めとした学園生徒たちをドン引きさせるには充 分な要素だった。
それまでは無駄に偉そうで周囲を見下す態度もあからさまだった彼らも、全校生徒から蔑みと嫌悪に満ちた眼を向けられ嗤われることに耐え切れなくなったのか、ここ三日ほど皆揃って引きこもり中だ。
しかしまさかそんな事態を引き起こしたのが眼前でぷるぷる震える未散だとは到底信じ難い。
何せ未散は見るからに造りがちまっこいのだ。
緩くウェーブがかったミルクティ色の髪も、キャラメル色の大きな瞳も、シミ黒子一つ無い滑らかな肌も─────どこを取っても甘く柔らかい印象しかない。
そんな未散が、彼より遥かに大きくて固くて重くて力が強い転校生とその取り巻きたちを、一人でどうにか している場面を想像しろと言う方が無理だ。
だがそんな戸惑いを抱く風紀委員たちを余所に、未散自身は潔く処分を受ける心積もりらしい。
「………あの、虫がいいことはわかってるんですが、退学だけはどうか勘弁してもらえないでしょうか……? 両親に迷惑かけたくないんです…」
そう言いながらきゅうっと力無く眉を下げて震わせる唇は、やはり甘そうなチェリーピンク。
間近で見れば見るほど彼の話す内容とのギャップは激しく、桂川は珍しく、本当に珍しく困っていた。
わざわざ風紀に出向いてまで自分がしたことの責任を取ろうというその姿勢は大変立派なものであったが、 今回の件に関しては目撃証言もなければ現行犯というわけでもない。
加えて未散の言う被害者たちは揃って引きこもり中な為、話を聞くこともままならないのだ。
物的証拠もなければ被害者からの申し立てもない。
そんな中で加害者側とされる未散の自己申告だけで処分相当になるかと言えば─────答えは否。
何より心情的に未散を処分することなどしたくないのが風紀委員たちの一致した意見だった。
なのでとにかく今は保留と言う形で流してしまおうと桂川は口を開く。
「……えーと、ね。大層な覚悟をしてるとこ悪いけど、天草は退学どころか停学にもならないし反省文も必 要ないよ」
「え? でも……」
「あのね、何かを壊したとか誰かを怪我させたとかそういうことでもない限り、基本的に被害者からの訴え がないと風紀は動けないんだよ」
「……そういうもの、でしたっけ…?」
「そういうものでしたよ」
大きな瞳をぱちぱちと瞬かせている未散に桂川は優しく言い聞かせるよう頷いて見せる。向ける眼は普段よりも格段に柔らかい。
「それに正直天草を処分するよりも、転校生や役員たちの方を処分したいんだよね。被害者の声も多いし」
「…あ、そう…ですよね…」
溜め息混じりに桂川が言うのを聞き、さすがにその辺りを庇うに庇えない未散は力無く肩を落とす。
それもすべては生徒会役員たちの怠慢と失態にあった。
何せ転校生がやってきてからの一ヶ月、彼らが巻き起こした騒動の後始末に頭を下げて回る未散の姿が校内 の至る所で見られていたくらいだ。
あくまでも補佐でしかない未散には役員の書類を捌く権限がない。
その為、仕事をしない役員たちを探して義務を果たすよう掛け合う傍ら彼らの不始末を諌め、伝達が滞って いるあちこちへ謝罪して回っていたのだ。
おかげで生徒会役員たちが転校生にかまけて仕事をしていなかったことは教師だけでなく全校生徒の知る所となっている。
ましてや謝って回る姿をずっと見てきているからこそ、仮に未散の言うことが真実であったとしても誰も彼 を処分することが妥当だとは思わないだろう。
むしろ転校生とその取り巻きであった連中に対しては。
「はっ、ざまあ」
正しくそう思う者が大半だ。
そしてたった今、大方の生徒たちの心情を実に的確に表現する台詞を吐いてくれたのは、転校生に連れ回さ れて散々な目に遭っていた平々凡々な生徒、神崎巡その人だ。
騒動を仕出かした現場を見ていた証人ということで、自分を加害者だと言い張る未散本人が連れてきていた のだ。
しかし神崎本人は未散が不利になるような証言をするつもりはないらしく、連れられてきた当初から黙りを決め込んでいた。
そんな彼がようやく言葉を発したかと思えば、前述の「ざまあ」だ。
「神崎先輩……」
そのことに未散がへにょり、と眉を下げて視線を向けるが、神崎はつん、と顔を背ける。
転校生に巻き込まれる前は気弱で周囲に埋没しているような生徒だったのだが、今では見事に性格がひねく れてしまっていた。まず第一にその目つきが違う。容姿の良い相手に対しては泳ぎがちであったそれも、今では常に睨みつけるような勢いだ。
当然、そんな風に変わらざるを得ない状況に引きずり込んでくれた連中を扱き下ろす機会を、今の彼が見逃 すはずもなく。
今回の騒動を率先して広めたのも実は神崎だったりする。
「だから言っただろ。天草くんが処分されるわけないって。仮に君が今の状況を作り出した切欠だったとし てもだよ? あの屑共がやったことに比べたら可愛いもんじゃん」
「……でも結果的に僕がしたことのせいで、皆さん出てこなくなっちゃいましたし…」
「たった二ヶ月の間であの馬鹿共に退学させられた生徒は二桁行ってんだよ? つかむしろこれ以上余計な被害者出す前にあの阿呆共のメンタルめこめこにできて良かったじゃん。それにあんな偉そうにふんぞり返っ てて実は露出狂の変態だっつーんだから…っ、はは、お笑いだよね─────これぞホントの裸の王様っ、 っふ…っはは、っあははははっ!」
話している内に転校生や取り巻きたちの醜態を思い出して堪え切れなくなったのか、最後には声を立てて笑い出す。
対して未散は、転校生とその取り巻き連中のことを屑共、馬鹿共、阿呆共と称した神崎に、その大きな眼を うりゅ、と潤ませる。
「……………神崎先輩、やっぱりストレス溜まってたんですね、ごめんなさい…」
ひいひい腹を抱えて笑う神崎の何処を見てそう思ったのか定かでないが、自分が不甲斐なかったばかりにお労しい、と不思議過ぎる落ち込み方をしている。
「あー笑った笑った。てか天草くんのおかげで平和になった上、糞共をこうして笑い物にすることができて 心身共に今の俺はすっきり爽やかだよ。やっぱ生活に笑いって重要だよね」
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭う神崎は「むしろグッジョブ!」と未散に向かって満面の笑みで親指を突 き上げる。
「……僕は全然笑えないですよ…」
未散はそんな神崎とは対照的にがくり、と肩を落とす。
「いいじゃんいいじゃんー、副委員長様も処分するつもりはないって言ってくれてんだし。それに学園を騒 がせた罰とか言われたら俺だって処分受けなきゃならなくなるじゃん。滓共のあのザマを広めたの俺なんだ から」
「……それは………」
自分が責任を取るつもりではいても神崎にまでそれが波及するのは本意でないのか、未散は難しい顔をして 黙り込んでしまう。今彼の中で葛藤が生じているのは明らかだ。
そんな未散の頭を神崎は殊更優しい手つきで撫でると。
「なんでそんなに責任感じちゃうかなあ。自分たちで辞めさせたくせに朝も早よから生徒会室に呼び出して 『また補佐に任命してあげるから放課後までにここ掃除しといて』とかほざきやがった塵芥共には“露出狂 の変態”って笑い物にされるくらい当然の報いでしょ」
「…え、うわ何。そんなこと言ったのあいつら?」
馬鹿にしてるとしか思えないその言い分に、桂川は勿論、風紀委員たちも揃って眉を顰める。
しかし当の未散は少し困ったように首を傾げるだけ。
「えと、確かにそんな感じのことを言われはしましたが……、それと僕がやってしまったこととは別問題な ので…」
「えー、何それ。そういう良い子ちゃんな発言聞くとイラッとする」
口を尖らせてブーイングする神崎に、やはり未散は困った顔のままだ。
「……えと、ごめんなさい…」
更には眉を下げて謝る未散に神崎は大きな溜め息を吐く。
「別に謝ってもらいたいわけじゃないけどさー。天草くんだってムカついたからあんなことしたんでしょう に」
これまで転校生や役員たちから被った害を思えば未散の態度はどうにも甘い。
ぶちぶちと文句を言う神崎に、しかし未散は微苦笑すると。
「確かにそうなんですけどね。ただ、『生きている以上多かれ少なかれ人様に迷惑を掛けているものなのだ から、他人の過ちにも寛容でありなさい』と両親には常々言われているので。もっと違うやり方があったん じゃないかと……本当に今更なんですが」
未散はその教え通りに居られなかった自分に対して忸怩たる思いがあるらしい。
しかし端で見て聞いている側からすれば未散の忍耐強さには驚くばかりだ。
暴力こそなかったものの、未散が役員たちを仕事に引き戻そうとする度に謂われのない暴言を吐かれていた ことはここにいる全員が知っている。
それは校内のあちこちで見られた光景だったからだ。
面と向かって嘲られ続ければ相手を受け入れようという気など起きなくなるのが普通だろう。
だが未散はむしろもっと良いやり方があったはずだと自省するのだ。
「……はー…。やっぱ良い子を育てたご両親は言うことが違うわ。理解できても実践できそうにないもん」
そこでお手上げ、と言うように神崎が頭の後ろで手を組んだのを見て、二人のやり取りを黙って聞いていた 桂川が口を開く。
「まあとにかく風紀としても天草を処分するつもりはないから、神崎もその辺で」
桂川が取りなすように言えば神崎も諦めたのかもしくは納得したのか、取り敢えず姿勢を戻す。
「副委員長様がそう確約してくれんならいいけど…。俺、今では天草くんの大ファンですからー、処分する とか言われたらどうしようかと思った」
「…え、は、え!?」
その唐突な発言に、未散は驚いて神崎を見やる。
「あ、その眼は信じてないな? でもあの時の天草くんてば超カッコ良かったんだよ」
「いや、え?」
「何も言わずにこう、予備動作無しでさ、正面から蹴りをごすっ、と入れた時。あんな綺麗な弧を描いて人 が床に落ちるの初めて見たからすごい感動した!」
─────え、蹴りで人が宙を舞うのって二次元の中ぐらいじゃないの?
拳を握って力説し出した神崎に、桂川+風紀委員たちは思う。
「あいつらの抵抗を物ともせずに無表情で制服を引き千切っては剥き引き千切っては剥きして」
─────もしかしてあちこち破れた制服がいくつも発見されたって報告があったのはそれか。それだった りするのか。
風紀のメンバーにちょっとした衝撃を齎していることに気づきもせず、神崎は身振り手振りを交えてテンシ ョン高く更に続ける。
「脱がした制服の一切合切を窓から投げ捨てる無慈悲さにも凄い痺れまくった!」
─────そうそう、発見された場所は外だって話だった。そんでもってその中には確かに下着も混ざって た。え、やっぱりそうなの? そうだったりするの?
無理やり裂かれたような破れ具合から見て親衛隊によってなされた制裁被害者のものかもしれないと推測し 、証拠品もしくは遺失物として風紀で保管されていたのだが。
委員たちの眼は揃ってそれらが保管されているロッカーの方へと向かう。
「身を守るものがない状態の中、股間を隠して逃げ惑う連中の恐怖心を…こう、じわじわ煽る無言のプレッ シャーって言うの?」
─────…うわあ。
そんな状況をうっかり想像してしまって小さく身震いする風紀委員が数名。
「恐慌状態に陥った連中を全員一撃で気絶させてさ、この為に手元に残しておいたらしい彼らのネクタイを 、こう、首に締めて」
─────ああ…。
その恥ずかしくも可笑しい風体で発見された転校生と取り巻き連中を思い出しては遠い眼になる桂川。
「廊下へ投げ捨てる一連の手際の良さと言ったら! いやもう惚れ惚れしたね!」
しかしノリノリで語る神崎の横では縮こまって顔を覆い、ぴるぴる震えている未散の姿。
「「「「「「………………」」」」」」
「………………あの、神崎? 興が乗ってるとこ悪いんだけど、天草がすごい落ち込んじゃってるから」
「…へ?」
桂川も話の先が気にならないわけではないが、神崎が言葉を重ねれば重ねるほど沈んで行く未散の姿を見続 けるのは忍びなく。
「…ほら天草、大丈夫だよ」
「……ううう」
椅子の上で膝を抱えてイヤイヤするように首を振る未散の頭を桂川は優しく撫でる。
その様子を見てきゅんとなる風紀委員たち。
何だかんだ神崎から結構な武勇伝を聞かされようと、強面大柄な生徒ばかりの風紀委員から見れば未散は姿 も仕草も非常に愛らしい。
そこに存在しているだけで癒やしだ。
「別に神崎も悪気あって言ってるんじゃないんだから」
「そうだよ、むしろ褒めてんの、あの蹴り」
「はい、神崎は少し黙ってる」
桂川に笑顔で制されて神崎は渋々押し黙る。
「俺たちは天草がすごく頑張ってたのを知ってるから。正直、今までよく耐えてくれたなって感謝してるん だ。先生方も天草のことはすごく褒めてらしたよ」
「……桂川先輩…」
おずおずと顔を上げた未散に、学園生徒たちからは“仏の桂川”と名高い風紀副委員長がにっこりと微笑む。
「今神崎が話したことを天草がやったのだとしても、風紀では誰も悪く思ったりしないから」
ただちょっと見る眼が変わりはしたけど、という言葉は敢えて呑み込む。
その甲斐あって未散も落ち着きを取り戻したのか足を下ろし、席にもそもそと座り直す。
しかし神崎はそんな未散に少し呆れたような顔になった。
「変な子だね。そんなに詳細バレるのが嫌だったなら、俺まで連れて風紀にくることなかったじゃない」
神崎の言葉に未散はどこか罰が悪そうに首を竦め。
「………そりゃ僕だってホントは風紀に来る予定じゃなかったんですよ……。まずは引きこもってる先輩たち に謝るのが先だろうと思って……でも部屋のチャイムを押してもドアを叩いても呼んでも誰も出てきてくれ なくて…」
「ああ…」
「まあ、そうだろうね…」
連中の精神状態を思えば当たり前だ。今神崎が話したことが事実なら、未散の存在自体が一種のトラウマと なっている可能性もある。
「ならまずは皆の誤解を解かなきゃ、と思って……クラスメイトや友人たちにあれは僕がやったことだから 先輩たちは“露出狂の変態”なんかじゃないんだって話をしたんです…」
「ああ…」
その先は聞かなくとも何となく想像がつく。
「でも笑われて信じてもらえないか、『おまえがあんな連中を庇う必要ないんだ』って真剣な顔で諭されち ゃって」
やっぱりそうだよね、と神崎、桂川、他風紀委員たちは想像通り過ぎる展開に深く頷く。 何せこういう事は日頃の印象が物を言う。
騒動が特殊だったからこそ、これまでの“真面目で健気で頑張り屋”な未散のイメージから“冗談”もしくは誰 かを“庇っている”と変換されてしまうのは当然と言えた。
曰わく、あの“天草未散”がそんなことするわけがない、というやつだ。
現に桂川と風紀委員たちも最初は何かの間違いだと思い込みたかったくらいなのだから。
当然、神崎の言葉と未散の反応を自分の眼で見なければ信じる気にもならなかっただろう。
「……だから最後の手段として風紀で証言してもらおうと神崎先輩に来てもらったんですけど………、まさか こんなに居たたまれなくなるとは……覚悟が足りませんでした…」
自分がしたことを客観的に並べ立てられたら、聞いているだけで身の置き所がなかったと。
「でもまあそれは仕方ないよ。結局はこれまでの行いの問題なんだから」
「そうだね。それにここであれを天草がやったんだと風紀の方から公表しても、今更連中の評判が良くなる わけでもないから。それどころか君にそんなことをさせるほどのことをしたんだな、と思われるのがオチだ と思うよ?」
「これで学校に居辛くてどうしようもないって言うなら転校すればいいだけの話でしょ? こうなったら誰も 知らないところでやり直すのも一つの手だと思うし」
「まあ…、同情する気になれないくらいのことをあいつらがしてきたのも事実だから。リコールも成立して 新しい役員も決まったし、別にいなくても支障ないんだよね」
神崎と桂川の話に風紀委員たちがそうだそうだと頷く中、未散もそれに関しては情状酌量の余地がないのを わかっているからか躊躇いがちに頷く。
「………確かに、周りの人たちを見下して随分なことを言ったりやったりしてきた人たちではあるんですけど ……だからって僕が処分なしって言うのも…」
「…………まだ言うか」
「…………うーん」
「そりゃ、家柄や顔で判断するなとか言っておきながら何だかんだでその“家柄も容姿も完璧に兼ね備えて いるからこそ人から遠巻きにされちゃってる自分”ってやつに酔ってるのが見え見えの人たちと、そんな“人 気者たちから好かれたせいで嫌がらせを受けるようになったけどそれにも負けず頑張ってる自分”っていう 立場に酔ってる転校生には、ああいう方法のが多少はダメージ与えられるかな、と思ったからやったんです けど……やっぱりそういうことしちゃ駄目ですよね」
「…………………」
「…………………」
「あれだけ周りの眼が厳しい中でも特に気にする風もなく好き勝手に振る舞っていたので、あの人たちの神 経ってきっと針金なんだな、と決めつけていたというか。だから今更自分たちに向けられる軽蔑の眼が多少 増えようが、メンタル面にそんな影響があるようには見えなかったのに。まさか引きこもるほどのダメージ を受けるなんて……こんな三流の小者もいいところな人たちだったなら……そうですよね、本当に悪いことを しました」
「………………………」
「………………………」
「「「「「「………………………」」」」」」
その時、彼らは明確すぎるほどはっきりと悟った。
やっぱり天草も連中に対しては色々と腹に据えかねてたんだね、と。
見た目が愛らしく、常にふわふわ笑っているからと言って内面もそうだとは限らない。
「だからって先輩たちがこれまでしてきたことがチャラになるわけでもないですし。散々校内を騒がせた責 任は取るべきですよね…、ならやっぱりどうにかして出てきて貰わないと。そもそも役員じゃなくなったん ですから部屋替えもしなきゃですもんね。それを理由にちょっと引きずり出しましょうか。それで僕が皆の 前で謝れば誤解も解けますよね」
よし決まり! とばかりに手を打った未散は顔に決意を漲らせ。
「えっと、引っ張り出すのにカードキーの融通とかは……、新しい役員の先輩たちに聞けばいいですか?」
「……あー…、うん、そうだね」
そう応じる桂川の笑顔はちょっと強張り気味。
何故なら、転校生と取り巻き連中のトラウマが更に上書きされるだろうことがたった今決定したからだ。
しかしそれも彼らがしたことの結果なのだから、と桂川&風紀委員たちは確定された未来から揃って眼を逸 らす。
すべては天草未散という存在を見誤った彼らの自業自得だ。
外見の通りに中味もふわふわしているだろうと舐めてかかれば、甘い綿菓子の下に隠れていたのはカカオ95%の苦み。
その苦さをこれからも折に触れて味わうことになるだろう連中を思い、桂川と風紀委員たちは心の内で手を 合わせる。
何せ引きこもっている連中を無理やり引きずり出そうというところからして未散は確実に無自覚なサディス トだ。
やはり馬鹿をやったツケは後々きっちりと払わされるものなのだろう。
「……やっぱ天草くん超カッコイイ!」
「ぅえ!?」
そして未散の言葉を聞いてきらっきら眼を輝かせたのは神崎だ。
がしっ、と彼の両手を掴み取り、なんで!? と眼を白黒させる未散に構わず上下にぶんぶん振る。
「純粋で可愛くて黒いなんて超ステキ!」
「は!? え、何が!?」
どういう意味!? とわたわたする未散とそんな彼を嬉々として愛でる神崎。
それを見て疲れたように溜め息を吐く桂川と風紀委員たち。
要するに。
『人に寛容であれ』という両親の教えを素直に聞く良い子であった未散は─────同時に兄二人の言うこ ともよく聞く子であった。
そう。『自分が受けた仕打ちは相手の屈辱でもって清算しろ』と長兄が言っていたように。
次兄の『言って聞かない奴に言葉は無意味だ拳と足で語れ』という言葉の通りに。
転校生と取り巻きに対処しただけのこと。
結局。
兄二人のことを抜きにしても、未散が何気なく漏らした言葉によって『やっぱり天草兄弟の末っ子だよな』 と周囲に認知されていたのだという事実を─────本人は未だ知る由もない。
天草未散→外見はふんわりふわふわ美少女めいた美少年の元生徒会補佐。自由人でタイ プの違う俺様な兄二人に振り回されて育ったせいか苦労が絶えず、せめて自分は周りに迷惑をかけないよう にしようと頑張っていた。が、幼少期の環境が環境だった為、ストレスが溜まったりテンパったりすると兄 仕込みの手癖足癖の悪さが表面化します。今回はその矛先が転校生と取り巻きに向かいました。
桂川将晴→転校生や生徒会役員が巻き起こす騒動で最も害を被った風紀委員会の副 委員長。しかし転校生とその取り巻きたちが精神的ショックで引きこもりになった後は風紀の仕事が激減し たので結果オーライ。未散のことは今も単純に可愛い後輩だと思ってる。
神崎巡→不運な元巻き込まれ少年。転校生や生徒会役員に抗いたくても容姿権力腕力で 太刀打ちできないのがわかっていた為、必死に一人耐えていた。が、未散のおかげでそんな日常から抜け出 し、今では色々と吹っ切れたらしい。