(8)
私はロレーヌの温かな体を腕の中に囲い、少しだけひんやりとした耳に唇を寄せる。
「好きなようにすればいい。それなら、私も手伝ったって構わない」
「え、いえ、でも……」
「以前の君が得られなかった沢山のことを、私が与えるから。ずっと一緒にいよう」
「は、はい」
掠れたような声の返事。それから、ロレーヌは黙り込んで、私に自然と身を預けて来てくれた。それは、信頼の証のように感じられた。
この女性にしてあげられることは何でもしよう。
抱えている痛みを、少しでも癒してあげられたらと願った。伝わってくる重みが、嬉しかった。
私は、自分が自然と微笑んでいることに気づいて思った。
幸せとはこういうことなのだろう、と。
◆
その夜、疲れているはずなのに仮装パーティは大いに盛り上がった。私はロレーヌと一緒に彼女の故郷の民族衣装を着た。
ロレーヌは大喜びで、他の客人たちも楽しんだようだった。
晩餐もダンスも済み、着替えたりそのままの格好でゲームに興じたりしている面々を置き、私は部屋へ戻るといつもの服装に着替えて、しまっておいた例のペンダントを取り出した。
ロレーヌにはダンスを踊った際、後で図書室へ来てくれるよう言ってある。彼女も着替えてから来るだろうから、少し時間がかかるだろう。
しかし、女性にしてはかなり早い方なのであまりゆっくりしても居られない。私は懐に贈り物をしまい込み、ランプを手に部屋を出た。
廊下を歩いても、邸はひっそりと静まり返っている。
今日は本当に内輪だけの集まりだったから、人が少ないのだ。
やがて図書室に着くと、まだロレーヌは来ていなかった。そのことに安堵していると、すぐに小さな足音が響く。振り返れば、髪も結わずに、簡素な夜着に防寒具を大量に着込んだロレーヌが現れた。
時間帯を考えると、あまりに目の毒な格好だ。
私は忍耐力を試されているのかと疑いながら、無理に笑みを作って見せた。
「早かったな、もう少し着込んできても良かったのに、寒いだろう」
「でも、待たせたくなかったんです。それに、どうしても寒ければどっちかの部屋に移動すればいいかなって、そうすれば暖炉もありますし」
ね、と相変わらずの明るい笑顔で言われれば何も言えない。
やましい気持ちになっている自分が馬鹿みたいだ。
「それで、お話って何ですか?」
何一つ疑っていない目で問われ、私はひとつ咳払いをして頷いた。
「ああ、聞きたいことがあったんだ。確か君がここに滞在するのは、ハビエル祭までだっただろう?」
「そうですね、一旦バルクールへ帰ります。それから社交の季節の準備ですよね、と言っても、そんなにやることはないですけど」
「それなら、一度バルクールに戻ってから、カスタルディ邸へ来ないか?」
ロレーヌは少し目を瞬いて、少し困ったような声を出す。
「で、でも、まだ婚約中ですし……」
「社交の季節まで、少し滞在していかないかということだ。結婚してからいきなり来るより、少しでも慣れておいた方がいいだろう?」
などと言いながら、本意は別のところにあるのだが、それは言わない。
「そうですね、その方がいいですよね。わたし、まだ領地にあるお邸には行ったことないですもんね。でも、驚かれませんか?」
「大丈夫、手紙で伝えておくから。それに、私が一緒にいたいんだ……。それだけじゃない、私のことや、私の家族のことも知って欲しい」
真っ直ぐにロレーヌの目を見ながら、私はどれほど自分が様々なことを彼女に望んでいるか言った。
こんなことをまだ婚約中の彼女に言うのは気が早いように思えたが、耐えられなかったのだ。どう反応されるか、恐ろしくもあり、しかし期待もしてしまう。
心臓の鼓動がうるさい。これほど何かを言うのに苦労したのは本当に久しぶりだ。同時に、誰かに何かを望むのも久しぶりのことだった。
すると、ロレーヌは、微かに笑い声を立てた。
「ふふ、もちろん、知りたいですよ。ジェレミアがそうして欲しいならなおさらです。本当は、わたしも早く行ってみたかったんですけど、なんだか焦っているみたいで、言いづらくて」
嬉しいなあ~、と笑うロレーヌは、無理をして言っているようには見えない。私は心からほっとした。
それから、おもむろに懐からあの贈り物を取り出した。
「ありがとう、それと……これを」
「え、あっ!」
私はロレーヌが何か言う前に、それを彼女の首に掛けた。金色の煌めきを閉じ込めた赤い宝石が、薄い夜着の胸元で揺れる。
それを見て、何故か深い満足を覚えた。
「またですか? 凄く綺麗ですけど……そんなに沢山は必要ないですよ」
「いいんだ。それは飾りと言うよりお守りだから」
「お守り?」
「そう、その色には魔除けの力があるそうだ。いつも私が側にいて守ってあげられればいいが、そういう訳にはいかない。だから、まあ、効果はないかもしれないが、気休めに持っていて欲しい。
それは君を飾るだめじゃない、私のわがままのために贈るんだ」
いつでも心配していると、その宝石を見るたびに思い出して欲しい。
ロレーヌは赤い石をてのひらに乗せ、じっくりと見た。ランプの明かりの中ではあまりはっきりと見えない。
「わかりました……大切にして、いつも身に着けておきます」
ロレーヌはそう答えて、てのひらの上で石を転がして呟く。
「そっか、お守りか。それなら、わたしも何か贈ります。邪魔にならないようなものを選んで、そうだ、誕生日に贈りますね」
いつもの贈り物とは違い、ロレーヌは本当に嬉しそうに笑った。
「うん、楽しみにしているよ」
本当は、自分のために贈るなど良くないと思っていたし、何かで返してくれなくても良かったのだが、その笑顔を見て、そう返事をするしかなくなった。
ロレーヌは嬉しくてたまらないと言うように宝石を眺め続けていたが、唐突にくしゃみをした。
「いい加減寒いな、部屋まで送るよ」
「そうですね。何か温かいものでも用意してもらいましょうか」
「ああ、そうだな」
答えて図書室を出る。
そのまま、ロレーヌが前を行き、私は小さな背中を眺めながら歩いた。やがて部屋へ着くと、ロレーヌは何の躊躇もなく私を部屋に招き入れる。
まだ暖炉に火が入っており、部屋の中は暖かい。
「何がいいですか? やっぱりお酒?」
屈託なく聞いてくる姿に、信頼されているのを感じつつ、それが少し不服に思える。とは言え、全幅の信頼を寄せているロレーヌを裏切れない。
「そうだな、温かいものがいい」
わかりましたと頷いて、使用人を呼ぶベルを鳴らす姿を見ながら椅子に腰かけると、ロレーヌは近くへやって来て言った。
「そうだ、明日から荷造りと手紙ですね。パオラにはジェレミアから言って下さいよ、わたしじゃ無理です。それと、ルチアのことも一応相談しないといけませんよね」
うーんと唸って悩み始めるロレーヌ。
急ぐ必要はないのに、律儀なところが可愛い。私は紙を探し出してきて何かを書き始めた彼女をぼんやりと眺める。
部屋の中は暖かく、大切なひとはすぐ側にいる。
何事もなく過ぎていく、静かな夜。
だが、そんな時間こそが愛おしい。こんな風に、穏やかな気持ちで誰かの側にいられる日が来るとは思えなかった。
このまま眠ってしまいそうだ。
きっと、この先もこの時間のことは何度も思い返すだろう。なぜかそう確信して、私は少しの間だけ目を閉じた。
了
この蛇足編までお読みくださった方へ、ありがとうございます。
続編であまり活躍させてあげられなかったジェレミアが、裏で結構やきもきとしていたことを書きたくて、つい書いてしまったものです。
以前より時間がとれなくて、更新が遅くて申し訳ありません。
とりあえず、このお話は終わりですが、周囲にいるキャラのその後など、書いてみたいお話はあります。
もしまた機会がありましたら、他の作品などにも目を向けて頂ければ幸いです。
ありがとうございました。