元カノ、送信に迷う
玄関のドアを閉めた途端、あたし、日向坂愛瑠のピンと張り詰めていた背筋から一気に力が抜けた。
「……ただいまぁ」
ママはこの時間は買い物に行っていることが多いので、誰もいない廊下に小さく呟き、ふらつく足取りで二階の自室へ向かう。床に鞄を放り出し、着慣れた制服を急いで脱ぎ捨てた。クローゼットから引っ張り出したのは、お気に入りの淡いピンク色をした、もこもこのルームウェアだ。
ショートパンツから伸びる足を無造作に放り出すようにして、ベッドの上へとダイブする。
「~~~~っ」
ふかふかのクッションに顔を思いきり押し付け、声にならないなんか呻き声を上げながら、両足をバタバタさせる。
……大丈夫だったかな……。
今日一日、たかじょーくんに張り付いてアプローチをしまくった自分の姿が、脳裏でフラッシュバックする。
朝の通学路での待ち伏せ。昼休み、無理やり隣に座って手作りのお弁当を食べてもらったこと。そして帰り道、十字路での別れ際――思わず袖口を摘まんでしまった、あの瞬間の彼の驚いた顔。
「まずったかもしれない……。特に最後の……! なに摘まんでんのあたし……」
クッションから半分だけ顔を出し、湿った声でぽつりと呟く。
「ドン引きされてたらどうしよ……。かなしみ……」
ぐるんと仰向けに寝返りを打ち、天井のシーリングライトをぼんやりと見つめた。
あんなにグイグイと押しかけて、ちょっと変な子にすぎるのではなかろうか。表面的には『お友達』という言葉を受け入れてくれたけれど、あれはたかじょー君が優しい
からだ。ホントはイヤだったかもしれない。
『ちっ。今更、図々しんだよ。やっぱ友達もなしだ。ウゼェ』
そんな言葉を想像して、勝手に涙目になる。
うっ。
いやね? たかじょー君はそんなこと言わないけど、言われてもおかしくないってわかるから……無理無理無理ぃ。ううぅ……ってなる。
「……や! 泣かない。泣かないってば……!」
両手で顔を覆い、小さく息を吐き出す。
中学の時、自分から彼を最低な言葉で突き放したのだ。彼が冷たい目を向けてくるのは当然だし、警戒されて当たり前だ。頭ではわかっていたつもりだったのに、いざ本当に冷たくあしらわれると、胸の奥がキュッと締め付けられるように痛かった。
それでも。
そんなキモチとは別に、思い返して胸が温かくもなる。
隣を歩いた時、彼が密かに歩幅を合わせてくれていたこと。お弁当の卵焼きを食べて「うまい」と呟いてくれた、あの声。袖口から伝わってきた、確かな体温。
久しぶりに、たかじょーくんの隣にいられた。声を聞けた。同じ時間を過ごせた。
その事実だけで、胸の奥に灯った小さな熱が、じわりじわりと全身に広がっていく気がした。痛いのに、ときめいたりしてる。なんだこれジョーチョフアンテイか!
今日の自分の言葉や行動を思い出して、あれでよかったのか、どう思われたのか、もっとああすればよかったんじゃないか、と一人でぐるぐると考えてしまう。
哀しくなったり、ドキドキしたり。
いや情緒不安定っすわ。
「だー!」
意味なく変な声を上げて体を起こす。放り出していた鞄からスマホを取り出す。
ダメ。ここで弱気になっちゃダメ。頑張るって決めたのだあたしは。
画面をタップし、緑色のメッセージアプリを開いた。
スクロールして、ずっと下の方に沈んでいた『たかじょーくん』のアイコンをタップする。トーク履歴は、二年前のあの日から完全に止まったままだ。たかじょーくんからのメッセージをガン無視していた、あのときのまま。これをみるのは正直辛い。かなりツライ。泣ける勢い。
でも、今日はこの履歴を新たに動かすとき!
「……よしっ」
キュッと唇を引き結び、意を決して文字入力の画面をタップする。
『今日は楽しかったよー』
『一緒にお弁当食べてくれてありがと』
『弓道の練習、頑張って』
打ち込んでは消し、消しては打ち直す。
重すぎん? てか馴れ馴れしすぎ? 絵文字はもっと少ない方がいいのかな……。普段は連打してるハートは多分ヤバい気がする? ♪マークくらいなら……いや、いっそ絵文字なし? それだと冷たい……?
たった数行の文章を作るのに、何十分もかかってしまった。
これ以上迷うと絶対に送れなくなる。あたしは目をぎゅっとつむり、震える親指で『送信』のボタンをタップした。
いっけぇぇぇ!
『今日はありがとね。また一緒にお昼食べたり、帰ったりしよーね!』
ポォン、と軽い電子音が静かな部屋に響く。ナチュラルに明るく、さりげなく! 熟考のすえのシンプル!
いつの間にか暗くなっていた部屋の中で、スマホのバックライトだけが、あたしの顔を青白く照らしていた。
送ってしまった。もう取り消せない。なにやら焦って、よく使うカワウソのスタンプまで送ってしまった。
画面を食い入るように見つめていると――メッセージの横に、小さく『既読』の文字がついた。
「……あ!」
息を呑む。見ている。たかじょーくんが、今、このメッセージを見ている。
心拍数が跳ね上がり、スマホを握る手にぐっと力が入る。画面の上部に『入力中……』の文字が出るのを、今か今かと待ち構えた。
……。
…………。
だが、画面は沈黙したままだった。
時計の秒針が、チク、タク、と無慈悲に時を刻んでいく。一分が経過し、三分が経過し、やがて十分が過ぎた。スマホの画面は真っ暗になり、あたしの情けない顔が、真っ黒なガラス面に映り込んでいるだけだった。
レスが、ない。
あ~……。これは……これは……。うっ……。
脳裏に、愛瑠・絶望音頭がしめやかに流れ始める。
「……」
あたしはスマホを放り出……そうとしてやめて、そっと机に置いた。そのままベッドの上に突っ伏した。
やっぱり迷惑だったんだ。ウザかったんだ。てかシンプルにきらわれ……。
あ、やばい! その方向性に考えるのはヤバい。なしナシ! 今の無し!
ネガティブな想像が次から次へと溢れ出し、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「愛瑠ー! お夕飯作るからちょっと手伝ってー」
一階から、ママの明るい声が響いてきた。
「……はーい」
クッションに顔を埋めたまま、くぐもった声で返事をする。
のろのろとベッドから這い出し、もう一度だけ、真っ暗なスマホの画面をチラリと見た。通知を知らせるランプは、点滅していなかった。
大きく肩を落とし、しょぼんとした足取りで部屋のドアノブに手をかける。
明日、どんな顔をして彼に会えばいいんだろ。
そんな不安を胸に抱えたまま、あたしは一階のリビングへと続く階段を降りていった。自分の足音が、とぼとぼ、と鳴っているように聞こえた。
なので、一回の廊下は意図的にスキップをしてみた。
「だいじょーぶ! 既読が付いたってことは、無視されてない! 読んでくれてる!
レスがないなら、明日話しかけるきっかけにすればいいだけじゃん!」
そうやって無理やり自分を納得させて、なんとか夕飯とお風呂を済ませる。親友の星亜と電話して気を紛らわせたりして――
数時間後。寝る準備を終えて、自室のベッドに再びダイブした、まさにその時だった。
ぴこんっ
静かな部屋に、通知音が響く。
慌てて手に取ったスマホの画面に浮かび上がっていたのは、『たかじょーくん』からのメッセージ。
「き、きたぁぁあああああ!?」




